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<雑記帳より>2013.06/27
■世界観を変える ■視点を変える ■顕微鏡でみるハチの目、アリの目、サカナのうろこ鱗 ■習熟の勘違い:宿題はしないけれども習熟はする。使いこなせるようにする。→文章問題の中で、適切に使えるようにする。用途に応じて、道具として、自在に使えるということ。 ■計算に習熟すると言うのは、実は高速で計算できることではなく、思考を促し、思考の手伝けを出来るようにするということである。従って、高速練習が、思考の邪魔をするならば、それは、やってはいけないということだ。現実は、ここに気付いていないので、平気で「習熟」の名のもとに、習熟とは正反対の「考えない練習」を毎日させられている。当然のことながら、これでは、永久に習熟はできない。 ■計算は、道具の1つにすぎない。道具は自在に操ることができて、初めて役に立つ。ここで、勘違いしてはいけないのだが、「あらゆる計算をできること」が「自在に操る」ということではない。型通りのことを速くできてもそこに意味はないし、何の役にも立たない。計算は、意味を理解し、文字や言葉と同レベルで扱わなければならないということである。習った計算方法をすぐに使う必要もない。言葉と同じである。知っていても実感がなければ使うのは難しいし、納得していなくては、使う気にならないのは正常なことである。割算を知らなければ分割算で、掛け算を知らなければ足し算で、引き算を知らなければ消去法で、足し算を知らなければ書き加えで、そして数え上げで、ということだ。 これらを踏まえた上で考えると、一層のこと「準備教育」という 味わう日常生活の重要性が分かる。コピー上手なのではなく、本当に飲み込みが早いのは、納得出来るバックボーンがあるからだ。 1、外で遊ぶ。 2、ゲームは持たない。 3、ゆっくり生活する。。 4、伝統行事に参加する。 5、本の虫には、させない。 ■スモールステップで、立ち止まって考え込むことをしないで進んでしまうと、思考の忍耐力を養成する機会を失ってしまう。 ■簡単なことをプリントでしてはいけない。それは、頭の中の視覚イメージだけでもできるようにする。 ■文字ではなくて、声とイメージ ■複雑で、整理しなければ理解できないものをする。 ■文法を理解する時には、文の中で部分を理解しなければ分からない。つまり、主語を主語だけで理解し、〜は、不可能ということである。国語のプリントでよく見られる□は◯を{ }する形式の穴うめ学習はダメだということである。
*適当に入るものを変えるようになる。
生活の中で、遊びの中で、体験しながら実感とともに言葉を身につける方法がベストである。逆に、複雑で微妙なものを暗記してしまうと、使えないので、マイナス学習となる。応用がきかないので、すぐに限界となる。気付いた頃には、コピーだけしかできないマリオネット症候群を発症している。 ■手→記録するという技→道具の使い方を教える。 ■ニュースは、異常な世界の入口 :ショツク映像→X :速すぎる展開→X :復線が多すぎるものも→X ■言葉あそび系の「しりとり」や「クイズ」は、知っている言葉を使うのでOK ■小3・4くらいからは、アニメ、ドラマ、バラエティ、映画等は程よく一週間で2時間程度見るといい→モード変換、シーン切りかえ人工的な流れにも多少慣れていく必要がある。バランスを考えてとりいれてゆく。もちろん、中学になって切り良く変化させるほうがもっといい。 ■パズルは人工的なので不向き ■テレビ→人工時間 ■ゲーム→X ■読書→仮想時空間(制限する) ■内遊び→単調すぎる。工作ならまだいい。外遊び→Good ■いくつかの結論:いくつか分かったことがある。気付いてはいたし、アドバイスもしていたので、指導者へのアドバイス等では、テクニックの1つとして定着していたが、今回、数千枚の作品をまとめて見ることで、1つの結論に達した。どんぐりの理論上では、明らかな結論であり、原因も理由も明確なので議論の余地はないのだが、検証して発表するには、もう少し時間が必要だと思っていた。これがマイナスにならない場合は、極めて稀である。非常に余裕があって、尚かつ素直で思考を楽しめる子に限られる。 ◎文字が思考をさまたげる。→小2くらいまでは、文字は書けない方が伸びる。書けると書きたくなる。分かっていないのに、分かった気になる。安心する。そして、考えなくなる。使うには、再生が必要だが全体を正確には反映していない場合が多い。数式もダメ。そえるだけなら害はない。文字を入れたら、その場から進めない。 ■もう1つは、早期教育は、思考の忍耐力を養成しずらくする。 ■うちは算数ではなく国語しかさせていないので大丈夫だと、思います。→残念ながら、同じである。正解を求める学習は全てマイナスに働く。プラスは、味わうだけの学習のみである。 ■効果のない設問形式:答が空欄になっており、問題文から適当に言葉を見つけてきて書き込む形式の設問ほど、考える力を育てられない形はない。選択形式よりも劣る。その中でも、この形式を使って、さらに同じ問題でやり直しをさせて、正解とする方法は、何の効果も期待できないどころか、何の工夫もしない習慣を育ててしまうという実に恐ろしい学習方法である。なのにだ。なのに、それが商売になっているのだから、困ってしまう。時間とお金を使って、100点をとっているのに、学力が育たないどころか、考えることができない頭を育てることになる方法があるということである。子供がやっていることは、書いてある言葉を、ただ、適当に入れかえているだけだから、考えることができない頭に育つのは、当然である。小さい時にはこれくらいの問題で、100点をとって「達成感」を味わうことが大事です、などと言われてなっとくしている。陳腐である。
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最終更新日
2016年06月04日 19時06分15秒
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