|
カテゴリ:ブログ
1980年モスクワオリンピック
西側諸国は出場しなかった。いや、出なかった、出れなかった。 政治とスポーツは分けられることはなかった。 柔道・山下泰裕の涙は忘れられない。 1984年ロス・アンジェルスオリンピック 今度は東側諸国が参加せず、カール・ルイスショー 日本人体操選手・森末慎二が鉄棒で金メダル 女子体操は小柄なメアリー・ルー・レットンのメダルラッシュで総合優勝が記憶に強い。 また、女子100mジャマイカからマリーン・オッティが出場し銅メダル。 アメリカ男女陸上全盛時代に「なんか凄いな」と思うこと12年あまり、陸上の世界は一変していた。 怪物ウサイン・ボルト・・・。 このオリンピックから「参加することに意義がある」というオリンピックから、ビジネス化したオリンピックとなり、開催国アメリカはかなりの利益を出したと見られている。 話は飛ぶが、2006年トリノオリンピック 前年12月時代を担う浅田真央選手がグランプリファイナルで優勝し、彼女を中心にスケート界が回るのを実感させられた大会の翌年のオリンピック。 静かに準備をしてきた選手がいました。 荒川静香 彼女は実は、オリンピックでの活躍よりアイスショーに興味を抱き、夢見た女の子だった。 ただ、どのスポーツのトップ、協会とはそういうことには無頓着である。 要はメダルの数となる。 1998年長野オリンピック、マスコミは煽りに煽り、熱狂を作り出した。 マスコミなれしていない17歳の普通の女の子が動揺しないはずがない。平常心でいられるはずがない。 肩にのしかかるプレッシャー・・・・。 結果は総合14位。彼女が傷つく前にマスコミは去っていった。 大人とはそういうものである。 2002年ソルトレイクシティは村主に敗れ、出場を逃す。 もう終わった呼ばわれされ、長野で高校生選手として注目して持ち上げるだけ持ち上げ、戸惑う女の子を一気に胴上げから落とすように突き落とした。 あまり、注目されてた方は長野の荒川の件はご存じないと思う。 しかし、僕は追いかけていた。 トリノオリンピック前、NHK杯など優勝し、徐々に復活の兆しを見せ始めていた。 当時、絶大の人気を誇る選手が現れていた安藤美姫だ。 果敢に挑む4回転ジャンプにマスコミは注目し、ファンも期待した。 そして、欧州大会特有のルール変更、荒川静香が得意とするイナバウアーを得点除外。 またもやかと・・・。 しかし、荒川静香は落ち着いて登場した。 なにか底知れぬものを見た感じがした。 静かに始まった。時が流れている中、彼女は得点には加算されることのないイナバウアーを 披露した。 もうすでに僕は涙ぐんでいた。 優勝が決まった瞬間、もう涙がとまらなかった。 17歳の高校生の女の子が長野オリンピックでスターにされ、それで落とされ、どういう気持だっただろう。 彼女はクレバーな選手だったんだろうと思う。 この大会日本人金メダルは荒川静香だけである。 そして、何よりも嬉しかったのは欧米中心の種目の壇上の真ん中に日本人選手が立ってい る。 荒川静香はとても美しかったと思う。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2019年03月30日 04時17分23秒
コメント(0) | コメントを書く
[ブログ] カテゴリの最新記事
|