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2003年09月20日
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カテゴリ:司法試験関連
検察官という仕事は、大変な仕事だと思う。ひどく大変な仕事だと思う。しがらみ、というか、当たり前のことなのだが、バリバリの組織体であることによる大変さが結構ある。
検察官は一応は独任制だが、検察官一体の原則の下の決済制度があり、これは極めて組織的である。
決済とは、事件についての処分方針について(起訴、不起訴、略式請求)上司の許可を得ることを言う。小規模庁では、次席と検事正の決済を得る必要がある。
決済の場では、かなり色々叩かれる。やれ、処分は適当なのか、その求刑は何でか、なんでこの点につき補充捜査はしないか、なんでこの点について供述が取れていないのか、等々叩かれる。結構大変だ。
まあ、それ自体は仕事だし、また、上司の経験や知識というのは、新米検事より遥かに優れたものであり、やはり非常に勉強になるものなのだと思う。自分のような修習生にとっては、「おお、なるほど」と感心することや、「言われてみればその通りだ、なんで気が付かなかったんだろう」とか、「気が付いていたのにやらなかったなあ。怠慢を見事に突かれた」とか、自分に溜息をつきたくなるけれど、勉強になることは非常に多い。っていうか、かけてくれる言葉の一つ一つが勉強にならないことがないくらいだと思う。
ただ、きっと大変なのは、大規模庁だと、かなり激しく叱責されたりするらしいのだな。これが怖い。相当怖い(らしい。)
っていうか、体育会系なのだ、基本的に。

そして、やっぱり取り調べはかなり疲れる。本当に疲れる仕事だと思う。被疑者と面と向かって、必要なことを取ることの大変さ。犯罪者と向き合って、真実を突き止めること、んー、なめられたらいけないし、必要なことをきちんと聞き出すことの大変さ、というか、全く知らない人間と真剣に向き合う大変さというのは、かなりのものだと思う。
当たり前だが、きちっとした取り調べをするためには、何を聴取する必要があるかをはっきりする必要があり、そのためには記録を精読しなければならない。
そしてこの記録の精読という作業が、やっぱりかなり疲れる。大変だと思う。記録を精読した上で、構成要件上必要なことを最低限押さえ、それをどういう形で供述調書に残すのか、また、供述調書に書きたいような事項をどうやって被疑者から引き出すのか、被疑者とのコミュニケーションの取り方。
修習中、取り調べに慣れてくると、ある程度相手に言わせることも出来るのではないか、と思う(ときもある)。ただ、あまりそれをやりすぎると作文になってしまうし、また、事件の筋を読み違えると、真実とのズレがかなり激しくなってしまい、他の調書などとのすりあわせも上手く行かなくなるし、下手をすると認定落ちなり無罪なりを食らうことになると思う。
他方で、性格的にきつい人や難しい人、頑固な人、頭の良い利害関係人も、これもなかなか結構いて、こういう人から自分が望む方向での供述を取ることはかなり難しい。
また、慣れないうちは、被疑者と話しているうちに相手方に同情してしまい、ついつい甘い調書を取ってしまう。事実に対する表現の仕方、同じ事実を表現するにしても、こいつはひどいやっちゃなーとも取れるし、こいつにも同情すべき点はあるな、とも取れる。でも、ついつい流されてしまう。同情しつつも、流されないできちんと取ることの難しさ。というか、私が甘いせいか、ついつい同情してしまうときがある。そうすると指導係検事には必ずきっつい方向で直される。
あと、細かいことかも知れないが、ひどく下らないと思うときもある。供述調書のつじつま合わせだ。KS(司法警察員面前調書)とPS(検察官面前調書)との間に矛盾というか、KSからPSで供述に変遷があった場合には、その変遷理由を取らないと、信用性に欠ける。そこで、変遷の理由を書くのは構わないのだが、KSが明らかに間違っていて、KS段階での事件の筋読みを間違えたがために、それをPSで頑張って直さなければならない。PS段階で正しいと思う事実についてそのまま書いただけでは行けなくて、KSで間違えた理由を書く。正直に言えば、KSが間違えただけだが、とてもそうは書けないわけで、理屈をひねったりする。
っていうか、供述に変遷があるから信用性に欠ける、と判断する裁判官にも問題があるのかも知れないけれど、一応そうなっている以上、検察官も直さざるを得ない。ひどく大変だ。どの仕事でもある側面なのかも知れないけど、ちょっと疲労感が大きい。

検事は社会正義をになう仕事だと思う。公訴権限、公訴権の独占、また、起訴便宜主義というのは本当にすごいことだと思う。目の前の事件の最終処分について、ほぼ実質的に決められることのすごさ、また、必要な補充捜査をできるというフットワークの良さ、かなりやりがいのある仕事だとは思う。

また、検察官の良さは、組織体であることからして、教育がかなりきちっとしていることだと思う。任検して(検察官に任じられることをこの様に言う)、2,3年もしないうちに、ばりばり取り調べが出来るようになるし、公判もガンガン立つので、そこらの2,3年目の弁護士より遥かに公判慣れ、実務慣れしてくるところがある。相当しごかれるわけだ。
そう言った意味で、自分の力を伸ばそうと思うのであれば、かなり良い職場だと思う。
もっとも、正直、自分がやっていけるような気はしない。ちょっと辛すぎる気がする。そこまで戦うほどの気力はないとも思う。んー、なんというか、最近平和と幸せを求めるようになったからかな、とも思う。そのための手段として、自分が取る手段ではない、ということかもしれない。
おそらく検事を続けるためには、悪い方向では、権力欲に取り憑かれるか、良い方向では、純粋な正義感をしっかりと持ち、飽くことなく世の中に対して向かっていこうとする堅さの様なものが必要だと思う。そのような堅さを持つことはひどく難しいこと、というか、大変というか、精神的な疲労が大きい気がする。
同じような意味で、警察官も本当に大変だと思う。犯罪者に向き合うことの大変さ、あるいは何をどうやっても犯罪は起こり続けることへの徒労感、そういったものを抱えつつも、敢然と向き会い続けていくことの大変さには頭が下がる。

ただ、それが個人の人生として、幸せになることなのかはちょっとよく分からない気もする。仕事とはいえ、面と向かってずっと犯罪者に関わり続けることについては、なかなか選択できない。かなりの覚悟がいると思う。

 もちろんこれらは検察修習しか見ていない段階の話であり、弁護や裁判でどうかというのは分からない。法曹三者はどれも人と直接にシビアに向き合う仕事であり、それぞれがかなりのストレスを持つとのことであり、検察官に限られたことではないかもしれない。なお念のため、これも付記しておきたいと思う。


しかし、一人暮らしって言うのは気を付けないと太りますね。実家にいたときは、やはり親が食事とかに気を使ってくれますので、体に良いものをバランス良く食べていたのですが、今日みたいに雨が降るとろくに外出せずに家にあるものだけでついつい済ませようとしてしまいます。
今日は朝昼兼ねての昼食は、パスタですが、夕食はジャガイモやキャベツの塩茹でくらいで、後はアイスバーというひどい感じでした。
 でも、意外と塩茹でって美味しいですね。にんにくやしょうが、唐辛子、ローレル、ネギなど薬味になりそうなものを色々突っ込むだけで、結構味わいが深くなった気がしました。

しかし、法曹の仕事って思った以上に泥臭い仕事なのかも知れません。弁護士さんにしても、渉外などの華々しく見える仕事にしても、目に見えない泥臭い部分は想像以上に多いと思います。
法曹の仕事、どうしてなりたいと思うのか。わざわざリスクの大きい、難しい試験を受けてまでなりたいと思うその情熱はどこから来るのか、向き不向きもあると思いますが、その面倒くささを受け止めようとする、受け止めていきたいと思う心持ちをずっと忘れないでいて欲しいと思います。





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最終更新日  2003年09月20日 23時18分45秒


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