462839 ランダム
 HOME | DIARY | PROFILE 【フォローする】 【ログイン】

日々始まり

日々始まり

【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! --/--
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x
2012年08月15日
XML
カテゴリ:チャネリング

 
コノハナサクヤ姫
【よろしくお願いします。優越感、劣等感が教育などで付けられていく性質のものであり、人の本質で持つ感覚でないのであれば、その感情は本来、人が生み出す感情ではないとなります。それにも関わらず、快、不快は、感覚として人が持つものであり、それを想起させる優越感などは、いい材料になります。驕りを持った時、人は落ちるといいますが、驕りは人を選別するものだとすれば、感情とは、人を選別するものだといえるのでしょうか。】

ほほほ、感情を抱くのは人だけではないにしろ、人の特徴のひとつよの。
他人と比べ抱くのが、優劣という感情じゃ。
本来、比べてそこに優劣などはあるまい、無理やり比べる故に、抱く思いじゃ。
一つを無理やり、はがす故に抱く思いということじゃ。

人の社会の仕組みは、そのはがすことで成り立つともいえよう。
元々、何もない所に、何かを生み出すこと、創造ともいえようが、
優劣も同じもの、生み出すには、はがすように、二つに分けておるということじゃ。

二つに分かれたものが、人の本質ではないとは言えぬよの。
創造と申したであろう、本質とは創造するものなのじゃ。
感情とて創造される故に、あらゆる感情を抱くことができよう。

人の社会は、そうして長い年月の間に、抱いたことのない感情を生み出すために
続いてきたとも言えよう。その感情の良し悪しには無論、関係はない、
善悪の感情もしかり、正義、悪の感情もしかりじゃ。

だが、それでは人の本質は成長せぬ、創造が成長できぬということじゃ。
あらゆる感情が創造可能とはいえ、二つにはがすだけの創造では、創造力も成長できぬ。
粒子がぶつかり、消滅すると同時に光を放つように、
消滅という過程を伴わぬ創造では限りがあるということじゃ。

社会の停滞とはその限りが極まったということよの。
極まれば、消滅することが、一つの創造の過程であることが自然の理となろう。

【驕りは選別でしょうか。】

驕りによって生み出すものはなんじゃ、
それを考えればよいのじゃ。
さらに優越を強めるだけじゃ。
消滅もせず、創造もない、故に己の成長はそこで止まるのじゃ。
止まれば、飛べぬ鳥のように、地に落ちるだけよの。
成長とは、創造の力をつけるということじゃ。
消滅させる力をつけることが成長と言えよう。

社会はあらゆる感情を生み出す場じゃ。
そこにはあらゆる感情と感情のぶつかりあいがあろう、
それは消滅を誘い、あるものは消え、またあるものは生まれるのじゃ。
ぶつかりあい、光を出さぬのであれば、まだ力は足りぬということよの。
その機会は誰にでも平等にあるということじゃ。

【ありがとうございます】





お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

Last updated  2012年08月15日 21時46分52秒
[チャネリング] カテゴリの最新記事


PR

Calendar

Comments

コメントに書き込みはありません。

Favorite Blog

ダウンロード版ブロ… New! 上宮知樹さん


© Rakuten Group, Inc.