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「死んだ後、神を信じる者の魂は天国で永遠に生き、信じない者の魂は地獄で永遠に苦しむ」という意味であれば、答えはNOです。
これは聖書の教えではありません。 多くのクリスチャンも誤解しているのではないでしょうか。 日本人であれば、魂が雲の上のようなところで生きるのが天国だというイメージは仏教の影響ではないでしょうか。 西洋人であれば、ギリシャの霊肉二元論の影響だと言われています。 それでは聖書にはどう書いてあるのでしょうか? 山崎ランサム和彦氏のブログを参考にさせていただきました。 https://1co1312.wordpress.com 1 天国という言葉の誤解 聖書には、 「天の国」(口語訳聖書では「天国」)、 「神の国」、「御国」、 「パラダイス」(新共同訳では「楽園」)、 「ゲヘナ」(口語訳、新共同訳では「地獄」)、 「ハデス」(新共同訳では「黄泉」)と いう言葉が出てきます。 ここで「天の国」はマタイ福音書のみの表現で、天はユダヤ人にとって神の婉曲的表現で、「神の国」と同じです。「御国」も「神の国」と同じです。 したがって、 「神の国」と「パラダイス」が信仰者の行くところ、 「ゲヘナ」と「ハデス」が不信仰者が行くところです。 2 神の国とは何か イエスの宣教の始めに、「神の国は近づいた」と言われました。(マルコ1:15) また祈りの中で、「御国がきますように」と祈れと言われました。(マタイ6:10) ここから「神の国」は私たちが行くところではなく、この世界に「来る」ものだということがわかります。そして「みこころが天で行われるように地でも行われる」こと、すなわち神の支配がこの地に実現することです。 またパリサイ人の質問に対しても、「神の国はあなたがたのただ中にある」と言われました。(ルカ17:21)これは心の中にあるという意味ではありません。現実の世界で始まっているということです。 口語訳聖書でマタイ福音書の「天の国」を「天国」と訳したために、誤解が生じているのではないでしょうか。 しかし「天の国」=「神の国」は今見たように、死んでから行くところではありません。 これに対して「パラダイス」ということばは、一般にイメージする「天国」に近いかもしれません。 イエスと共に十字架につけられた犯罪人のひとりは、「今日、わたしともにパラダイスにいる」と言われました。(ルカ23:43) またパウロは、生きたまま「パラダイス」に引き上げられた特殊な経験をしました。(2コリント12:4) 「パラダイス」は死者の魂の一時的な場所と考えられますが、それ以上聖書は詳しく述べていません。 しかし「神の国」でないことは明らかです。 3 最終的な希望 この世界の最終的な希望は、キリストが再びこの世界に来られて、「新しい天と地」が創造されることです。「神の国」の完成です。(黙示21:1) 創世記において神は天と地を創造しましたが、人間の罪により、この世界は堕落してしまいました。黙示録において、神は再び天と地を創造し、そこで復活の体を持った私たちが世界を管理するのです。 私たちは死んで魂だけが残るのではなく、新しい体が与えられると聖書は教えています。(1コリント15章) 魂だけが雲の上のようなところで永遠に生きるのではなく、「体を持って」、神が王として完全に支配する神の国である「新しい地」で永遠に生きるのです。 これが聖書の示す最終的な希望です。パラダイスは一時的なところに過ぎません。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
つまり、「死んだらどうなるか?」という問いにトリックがあるというか、返答をミスリードさせる悪問ということですね。
よみがえりがあって、永遠のいのちか永遠の死か、と問うべきでしょうかね? (2015.10.11 22:02:20)
Luceさん
>つまり、「死んだらどうなるか?」という問いにトリックがあるというか、返答をミスリードさせる悪問ということですね。 ミスリードですか。なるほど。そのとおりですね。 >よみがえりがあって、永遠のいのちか永遠の死か、と問うべきでしょうかね? 死後どこへ行くかというのが、福音による救いの中心ではないということですね。 ----- (2015.10.12 21:54:03) |
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