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見落とされてきたものや見落とされがちなものを…
掬い取ってあげること。 何気ない日々を大切にすること。 出会ってきた人を一人残らず大切にすること。 悪夢を乗り越えること。 人気blogランキングへ ![]() Eili2005の日記 [全1329件]
今日の放送は衝撃的だった。 前回も僕の知らない時期の教団の姿であったし、それなりに重要なターニングポイントが既に現れていた時点で、教団の暴走は89年頃に既に始まっていたという観かたを強めるものだったけれども、 今日のは決定的で、 ・決して教祖の思惑と違う方向にいってしまったわけでもないこと。彼の目的が「救済という名を被った破壊そのもの」だったこと。 ・間違って、あらぬ方向へと進んでしまった・・・という淡い期待は余地がなく、まさしく「破壊するために」教団を運営していたのだな・・・ということ ・上祐さんが、麻原の目的を、実は知っていたこと。知った上でついていったこと。知った上で後続の信者拡大に寄与していたこと。左遷されたという僕の予想はやはり当たっていた。 ・井上君が、強制捜査の情報を掴んでいたこと。それ自体は新規性はいが、サリンを撒いても強制捜査が不可避であることを教団が知りつつ、撒いたということ。 ・70トンサリン計画が、よりリアルであったこと。致死量70億人・・・つまり全人類を破滅させる力を文字通り・・・得ようとしていたこと。 ・多くの人が未だに犠牲になったままで、その被害者の方々の姿を見たこと。 ・改めて河野さんが、被害者なのに加害者扱いされていた頃を思い出し、不憫でならなかったこと。 17年経っても、この衝撃には胸をつぶされそうになる。 僕のブログにおける悪夢とは、紛れもなくオウムのことだったのだけれども、2005年頃からつづり始めていた僕だけど、この番組で整理され表現された真相には、 多くの情報をこれまでに取得してきた僕でさえ、度肝を抜くものが多かった。 麻原彰晃 超攻撃的な教祖の性格が浮き彫りになり、それは世間では大方知られたことなのだけれども、当時のメディアが受け止め切れなかった事実。 彼の所業の悪さをあげて「批判」していた点がいかにも小さかったことを思いだした。 改めて彼の闇深さには度肝を抜かれる。 ・嫌う・退ける・・・ではなく、文字通り、相手を見境なく、いや、世界の土俵ごと「ひっくり返し、壊そうと」した人 ・世界はあと一歩で「人為的に」危機にたっていたこと。大げさではないだろう・・・ ※1:僕が出家したのは94年5月、このドラマで表現されていた時期は89年当たりからその後にかけて。ある一信者の視点からみた世界 ちなみに僕が脱会宣言をしたのが95年4月23日。 ※2:いまさらかもしれないけれども、「サリンはない・・・絶対ない」と述べていた上祐さん自身が、それをやっぱり知っていた事に対して、僕自身は「裏切られた」ような思いを感じたこと。 ※3:ただし、彼も教祖に「脅されて」いた事実や、その後のロシア左遷で実行犯にならずにすんだのだということがわかり、なんともいえない気持ちになる。 ※4:個人的には松本サリン事件が悔しい・・・僕があの街を出て出家後に、その教団に狙われたわけだから・・・僕自身はキリストのイニシエーションでヘロヘロにされていた時期だけども。 心境的には、たとえあの魔の巣窟から出てこられたとはいえ、お世話になっていた松本市自体にどこかで負い目を感じている。 ※5:上九一色村でみた富士山が、逆説的に美しすぎ、富士山のヴィジョンにオウム時代の記憶がアンカーリングしてしまっていることが、呪われていると想う。 ※6:当時上司であった村井さんと最後に決別することができて、良かった。 ※7:でも実行犯となってしまった豊田君や井上君を見捨てることができない。。。 警察のかたがた、止めてくださってありがとうございます。 報道の方々、夜も眠れず辛い仕事だったと想います。貴重な報道ありがとうございます。歴史に刻んでくださってありがとうございます。 江川さん、身の危険を顧みず、叫び続けてくださってありがとうございます。 滝本さん、いつも見捨てずに声をかけてくださって、ありがとうございます。 河野さん、あなたこそ被害者なのに、当時の僕達のことを悪くもいわず、むしろかばうような発言ばかりしていただいて申し訳なく想います。 皆さん、皆さん自身が多くの苦しみを背負いながらも、この国を先頭にたって守ったのだと想います。 70トンのサリンが出来上がる前に、止めたのです。 そして被害者の方々、本当に、本当に申し訳ございませんでした。 僕のいたところは、宗教の仮面を被った魔窟だったのだと想います。 また、僕自身は、出てこられて良かったです。良かったと想っています。 オウムから帰還できて、僕は、最も幸運な男だと想います。 母さんへ、母さんは何も悪くないです。僕の抱えていた問題は、家族の問題ではありませんでした。 父さんへ、父さんも悔やむ必要ありません。麻原と喧嘩して勝てた人が、この世にいなかったのですから・・・ 僕が馬鹿だっただけです。 そしてその後出会った人たちへ、こんな僕のことを、人として扱ってくれてありがとうございます。 アメリカ兵がイラク兵を捕らえて拷問している動画を見ました。 彼はもうすでに「人として」扱われてはいませんでした。 もし国が違い、中国や北朝鮮の国民だったとしたならば、たとえ事件に直接関与していなかった僕ですら、牢獄いきでしょうし、惨殺されていたとしても不思議ではありません。 戦争・・・立場が違えば、時代が違えば、その国の法律により合法的に殺人を犯し、犯すことをよしとする世界観 その世界観そのものが波及してきた時空間は広いです・・・ 今までの人類の犯してきた事件のミニチュア版がオウム事件だったようにも見えます。 その意味で、歴史的なことも、遠い過去のものとは…他人事ではなくなってしまいました。 サリン謀議がされたといわれる村井氏のシールドルームと僕のいた場所の距離・・・6~7メートルでした。 あれほど知りたがっていた事件の真相ですが、自分がかろうじて事件の中心から少し離れていたからこそ、僕は今ここにいることができたのだと想います。 Eili ... 最終更新日時 2012年5月27日 23時40分39秒
ちょうど、今やっている。 http://www.nhk.or.jp/special/detail/2012/0526/ Eili ... 最終更新日時 2012年5月26日 20時36分24秒
先日、サンマーク出版の「精神世界が見えてくる」をBOOKOFFで購入した。100円だった。 値段はどうでもいいんだけれども、さほど力まずに、ただ漫然と精神世界なる用語の整理でもしておこうと想っていたところ、それなりに関心のある話は出ていた。 しかも、ここでも僕自身のことが題材にされて分析されているし・・・ 人にも分析されほうだいの(当時の)僕だけれども、自分でも当時の精神を振り返って見よう。 僕はやはり80年代のニューサイエンスというカテゴリーの影響を多大に受けていた。ここに挙げられている書籍はほとんど目を通していたと想う。 理系だったということもあるのだけれども、そもそもそうした未知の領域に関心を示すことは自然であり、哲学もいわば形而上学的な領域が根源的なテーマに近かった。 あまりオカルトという言葉で括られると、乱暴な印象を受けるし、多大な誤解も与えてしまうと想うのだが、手っ取り早くオカルト的領域への関心を「軽く」認めながら、そうした潮流は近年の量子力学的な課題などから、特異なことではなかったことを上げておきたい。 こうなるとまるで過去形だが、こうしたテーマは言わば普遍的なものであり、興味はつきないものなんだ。 ただオウム事件が大きく衝撃を与え、そうしたものを無残にも何の思慮分別もなく葬り去ってしまったような感覚がある・・・ 自分なりに丁寧に追いかけていたテーマだったのだが、あの事件でめちゃくちゃになってしまった。 それどころか、やはり大方の予想通り、こうしたニューエイジ、精神世界、ニューサイエンス的なものはすべてオカルトとされ断罪するものまで現れた。 ベタすぎる展開で、何にも面白くはないのだけれども、そうした批判者とも、僕はかなり突っ込んだ話をしている・・・ あんまし論争はしたくないんだけど、疲れるし・・・ でもオカルトという短絡なくくりと、その意味を人々がどう受け止めているのかがわからない点といろいろあって、あんまし好ましくは受け止められていない。 時空間と存在がテーマなんだ。そしてその存在の確定性・・・偶然と必然に関する考察と「現在の次元の選択」というのが、僕の最大の関心ごとで、そのツールやメソッドとしていくつかのアプローチをしてきたわけなんだけれども、どうやら僕自身にも少なからずサイキックな性質があるため、そうした分野を納得させる言葉が発見できなくとも、感覚で即座に理解する分野がある。 で、ここの領域を言葉の世界に変換する作業には、それほどこだわっていない・・・多少の痕跡はあるし、結構僕は言葉の次元に落とし込むのがうまかったと想っている。 今も昔もあまりかわらないけれども、この世界に関しては、結局不可思議だけれども「霊」という自分でもよくわからなかったものを認める姿勢が一番しっくりくる。 そこで、科学から逸脱した行為として、毛嫌いされたとしても・・・もはや僕は扉を開いてしまっているんだなと想う。 ・・・主義じゃないよな・・・て想うんだ。そうした表現が好きな人が多いし、それを機軸にして語るほうが整理されて解りやすいと捉える人がいるんだけれども。。。 なんだかもどかしいけれども。 デビット・ボームの述べる「織り込まれた秩序」というのが最もしっくりくる表現だ。 オカルトを高みにたって統合・批判する人たちにとって、彼のような量子論の物理学者たちも危険に映っているのかもしれないんだけれども、あの時代の彼の発見や考察は有意義なものだった。 ある意味、生命体として自分の身体に織り込まれている「自己」に全宇宙が宿されている・・・という感覚 これは、仏教者や瞑想修行者のたどる道として、ある地点だ。 僕は自分自身に絶望的な無力感にさいなまれたとき、その蔑んだ自己意識をよみがえらせてくれたのは、この全宇宙内部空間・・・という感覚なんだ。 Eili ... 最終更新日時 2012年5月22日 20時11分18秒
少年時代というのは、何故あるんだろう。 そんなことは、当たり前のことだとすることはできる。 でも、人が成人に達してから社会的存在を帯び始めるとき、彼の素養を作り出したのは間違いなく少年時代だ。 僕の心の中には、いつ頃からか「賢者」と呼ぶ老いた隠遁者がいて、夢の中でさえも、思わせぶりに寡黙な彼の後をずっと追いかけていた。 そして、その少年の頃の、まさに少年自体も、心の中に、ある意味成長を止めたままの姿で存在しているんだ。 時に、その賢者を、小説や神話や実在の人物に重ねていったわけだ。 僕の来世のサビアンシンボルは、確か「三人の巨匠を探し出すこと」 シミュレーションとして、今生僕はすでにその三人を絞り込んでいる・・・ この三人は「述べている真理が、互いにそしりあっているほどバランスがいい」ということを僕は学んだ。 これは過去世では、体感できなかった今生の成果だ。 自分の中の少年・・・という意味では、一頃「アダルトチルドレン」なる言葉が心理学の世界からやってきて一世風靡していた。 そこで、なじみのある人はいると想うのだが、僕は、そこにも自分の内面の姿との微妙な有様の違いを感じ取っていた。 そう、師・・・というべきものを、なぜか僕は求めていたことになる。 想定外であればあるほど「ふさわしかった」。 もともと、この世界を「疑って」いるわけだから。世界のあるべき姿を弁護などしなくていい・・・ 吐き捨てるように「厭世的に」評価を下すことに違和感は生じない。 そして、それは「老人でなければならない」という錯覚からスタートし、それは大方間違いではなかったのだが、地球年齢はさほど意味を成さないことも掴んだのだ。 その賢者は、少年であってさえいいのだ! そして、もうひとつ「道化」であってさえいい。 ある種の領域に長けていること・・・これは熟成時間としては、確かに年齢が優位ではあるのだけれども、 人は想った以上に「集中力を維持できない」わけだから、ひとえに経験値だけで世の中を見渡すことも、畏れおおい。 賢者と少年 知っているものと、知らないでいるものが、僕の内側に常にいる。 そして、常に少年を脅かす事実にたいし、少年は無垢であろうとする・・・ この姿勢が、僕自身を「驚くほど守ってくれて」いる。 「僕は大人には決してならない・・・」 ちいさいころに唱えた言葉だ。 これは甘酢っぱい郷愁ではなく、言わば自分に課した「戒律」のようなもの。 できすぎた大人にはならなかったが、それはプランどおり・・・ しかし、社会生はなかなか身につけることが難しかった。 それでいい。。。僕は、そういう意味では、その事に長けていたくないから。 ところで、その賢者はいま、どこで何をしているのだろう・・・ まるでツァラストゥストラだ・・・彼は「滅びる」ことがないのだ。 そして、当初より目だって代わり映えなどしていない・・・ 隠遁したまま、この世界を見つめている。 そして溜息まじりに「つぶやく」のだ。 Eili ... 最終更新日時 2012年5月19日 18時58分2秒
![]() 占星術では、こんな説明がされていることが多いです。。。 ■太陽と金星のアスペクト 太陽と金星は48度以上離れませんので、アスペクトは合と45度のみです。 太陽と金星のコンジャンクション(0度) 人生に快楽を求め、美しいもの、美しい音楽に親しみ、センスのある人になりやすいです。人に愛されやすく、親しみやすい態度を取ります。(ただし、サインの性格も関係してきます。おうしやてんびんやうおで出来ていれば芸術的なセンスを発揮することでしょうし、さそり・おとめ・おひつじで出来た場合は、さほど快楽主義にはならないでしょう。)女性の場合は、夫となる人の容姿は好ましいものとなりやすいです。 --- でも僕は、一般的なこの象意には、納得していない。・・・筋が通っていないから。 今年の6月6日のような例では、金星は太陽の前を通過します。 内惑星のコンジャンクションには実は2種類あり、太陽の裏側に隠れてしまうようなコンジャンクションもある。 僕は、この2つのコンジャンクションの意味は「全く異なるはずだ」と想っている。 その点、月は衛星なので、いわゆる新月は、太陽と月のコンジャンクションであり、かつ確実に太陽のほうが奥に座している点で1種類しかない。 この場合の意味合いは、月が太陽にいわば「パワーで負ける」のだろう。 月が普段は遠慮する・・・貞節な感情を意味している。 だから、今回のような金星の通過は、「金星の意味を弱める」もしくは「金星の意味の奥に太陽の意志が介在してしまう」と読める。これを単純に「パワーアップ」だなどと言えないのだと想う。金星が控えめな美しさをもつ。 しかし、もうひとつ奥深い分析ができる。 日食は、いわば新月のなかで特別であり、この瞬間だけは「月は太陽に勝つ」のだ。距離が違いながら、見かけ上ぴったしと大きさをそろえる。 普段は控えめな感情=月が、時折、太陽に「反抗」しているかのような振る舞いを示し、太陽信仰を持つものに「不安」をもたらすのだ。 天体のバランスとしては、ちょうどよいと思う。 ・金星が隠れてしまうコンジャンクションと ・金星が焼かれてしまうコンジャンクション・・・ どちらが魅力的だろうか。 少なくとも、金星はコンジャンクションでも、月のように日食を起すことはできない。 Eili ... 最終更新日時 2012年5月16日 17時34分20秒
もし、仮にあと一時間で命がつきるとしたならば、 僕は次のようなことを思い浮かべるだろう。。。 荒涼とした大地に、天が割れて、寡黙な隠遁者に光が差し込む・・・ そこには、自然と「賢者」が立ち尽くしていて、幼児のような自分の「わずかばかりの」生に一瞥だけするんだ。 そのめったにみせることのない、老人の視線を感じたせつな、僕は、爆発したように、その賢者に向かって、表明する・・・んだ。 おそらく突然訪れるその瞬間に対し、僕は何の下準備もないままに、思いのたけをほとばしる。 「人生においては・・・!!!」 表面的な繋がりなんていうものは、なくていい・・・ むしろ非言語的な世界に関しての深い共感さえあれば、その世界を表す言葉さえも必要ではなく、 魂は、ただ一粒の音の粒子でも、光の粒子ですら構わない。 それどころか、その達成不能な、夢物語のような世界にもし触れることができたとしたら、 その瞬間で、人生が閉じられて構わない・・・だろう そこまで、いってしまっているから、出家したんだよ。 解脱なんていうものが目的ではない。 社会のあらゆる関係性を、一旦は切り捨てたのさ・・・ そうでないと得られない世界があることを、僕は察知したのさ。 悪魔の匂いがにおっていたとしても、彼が入り口で待ち構えているのであれば、僕は、それを避けて通るわけにはいかない・・・ そうするしかなかったさ・・・ その後どうなるかなんて、わからない・・・ そう、文字通り天に任せた人生となったわけだ・・・ いま存在する自分こそが奇蹟であり、どんなに金がなくとも、最大の幸福だろう・・・ それを「賭けるほどの存在」としてアーナンダや豊田君を見出せたし、 あれほど拭い去れない泥をかぶってしまった彼らの魂のなかに、 ダイヤモンドのようなきらめくものを見出せていることこそが、 今生の僕自身の課題であり、答えなんだ。。。 彼は彼で、もっと恐るべき「闇の支配者」の餌食となったけれども、僕はならなかった・・・ 今では感じるよ、彼を救い出すのが僕なんだ。 彼が去り際に、君と僕とは驚くほど縁が深いんだ・・・といった意味が、ようやくわかりかけている・・・あれは、今生のことだけではないんだ。 精神的には、圧倒的に世話になりっぱなしであった構図が、ここで見事に裏帰るのさ・・・ なにもかもを諦めたときに、最も希求したものがたち現れるし・・・ 悪夢の中に、天の光もさす・・・ 虚無感という存在感のなさのなかに、感動を呼び寄せる・・・ ああ、僕は殺人鬼となった人の心の中にさえ、絶望は見出さないよ。 そうさ、僕は、成功したのかもしれない・・・ 何もかもを失うと、何もかもを得る・・・ こんな手の込んだところに「鍵」をかくしたのは誰なんだい。。。 それが、神なのか、誰なのかしらない・・・ 問題は、時間さ・・・ この時に、時間は別の有様を示し始めなければいけない・・・ あと、恐るべき真実がここ・・・ あわい期待をかけた瞬間に、失うのさ・・・ アーナンダは、1審で、安堵感という「逃れがたい罠」にかかってしまったんだ。 あの時点でも、「決して何もかも、信じても期待してもいけなかったんだ」 その点、あらゆる意味で、期待も弁解も示さなかった豊田君は、あの地獄のような精神的苦痛から、かろうじて1歩退いているんだ。 誤解されないように、いっておかなくちゃ・・・ 僕は、日常の何もかもを、誰よりも祝福し、愛しているよ。 なぜって、「本来、僕が得ることのなかった世界」こそが、この「日常生活」だと想っているから。 この通勤ラッシュの不快な空間ですら、僕には「天国」だなって深く深く感じるよ。 Eili ... 最終更新日時 2012年5月10日 21時7分28秒
世の中から完全に離れること・・・ それは家出や失踪や出家というような、「なまやさしい」逃走からではなく 自殺というような、考えられる限りの究極の選択さえも、超え出でて テロを起すというような、 完全に「世界そのものを確実に敵に回すこと」によって 帰るべき地点を粉砕し、 自分を愛するものも含め、文字どうりすべてを・・・ 完膚なきまでに、存在の外に遠のかせてしまうこと・・・ こんなにも、絶望的な信仰があるだろうか・・・ 彼の求められた「帰依」という名の呪縛は、想像を絶するものだった・・・ ただし、彼はその行為を、行った直後にして、 自らの行いを、 神の計画などという手前勝手な聖戦とは 納得させる事ができなくなってしまったんだ。。。 この時にはじめて起された意識の変容・・・ 彼は、地下鉄サリン事件の実施後、 たった一人の同伴する女性信者を伴って、都内のホテルに潜伏する。 もう誰にもあいたくなかったらしい・・・ 独りにはなれなかった。 そう、弱さが訪れたのだろう・・・ 実情をまるでしらされていないその女性信者は、 いつもは毅然としている彼が、取り乱していることが心配だったという。 そして、狂ったように尾崎の歌をうたいだしたという・・・ 尾崎豊 シェリー 僕は、ある日、とあるルートを使って、その女性信者とあって話をきいた。 あの日の出来事が一番知りたいことだった。 彼女には僕がアーナンダを敬愛していた事が知られていたから、あって話してもらえた。。。 その人もガリガリにやせこけていて、みていられない人だった。 ずっと、胸に秘めていたんだけれども・・・ …最近たまらなくなってきている。 彼女は、何かとてつもないワークだったんだろうな・・・と想ったという。 そして、彼がTVで地下鉄サリンの事件を食い入るように見つめながら、何か叫んでいた・・・というんだ。 そのとき、はじめて、「もしかして・・・彼は・・・」 と不安になったと言っていた。 その光景、僕には想像を絶する・・・ 彼の研ぎ澄まされていた精神が、崩壊した瞬間なのだろう・・・ 彼は、確かに興奮気味で、あぶない状態だったようだけれども、 誓ってもいい、自分の部下達には極力巻き込まないようにしていたらしい。 「君は知らなくていい!!!」そう叫んでいたようだ。 彼は慕われていたから、多くの部下に、 自分も何か手伝うことがあればいってください・・・ といわれていたらしいけれえども、 彼らには決して、その秘密のテロ行為に関しては、 内緒で関与させたくなかったようだ。 自分でも納得しかねるワークを、マハームドラーの名の下に課されること・・・ それを行ってしまったあと、彼の絶望の叫びが、シェリーにかぶさる。 これが、真実 アーナンダの真実 取り返しのつかないことをしてしまった後の 恐るべき自問… Eili ... 最終更新日時 2012年5月7日 22時33分34秒
形をもたずに通り過ぎてしまう存在 たしかに存在しているにも関わらず、 そのものはあまりにも儚く 時に無視され、 踏み潰されてしまうもの・・・ そして、ともすると、容易に諦められてしまうもの・・・ 目にはとまりにくく、 注視してみないと見出せ得ない大切なもの・・・ そういうものを大切にすること。 そして、息吹を吹き込むこと。 できれば、しばらくの間、形をあたえ・・・ とどめてあげること。 それが、僕のできる精一杯のこと。 Eili ... 最終更新日時 2012年5月7日 21時44分17秒
よく考えて見れば、 人生で重要なものは、 生き続けることではないと想う。 刻み込むこと。 もしくは、生をドライブしたことを、正しく伝え、響かせること。 善なのか悪なのかといった問題よりも、 振り向いてもらえること。 それは切実なはずだ・・・何よりも。 ただ孤独ではなく、 このわけの解らぬままに始まってしまった生命に対し、 理由のわかなぬ生と死に対し、 もがき苦しみ、 ぶつかりあってきた存在の愛おしさを 胸にひめることだと想う・・・ もし、生きている間に、愛したことがないのだとすれば、 命がけで、人を愛して見ること。 それでも見つからない場合は、文字通り「命を張って」みること その際に、それが切実のものとなり、 時に自虐的になったとしても、 それが社会的にいけないことになってしまったとしても。。。 僕はきれいごとはいいたくない。 まちがいなく、逃げずに、 この真実の生の問題に取り組んだ人にたいしては、 取り組んだ人に対しては、 まちがいなくその葛藤を精神と肉体と時間と空間に刻み込んだひとたちは 勇者だと想う。 Eili ... 最終更新日時 2012年5月7日 21時6分57秒
![]() 鴨居玲 『出を待つ(道化師)』B→G変換 しばらく悲哀に充ちていたこの「道化師」も、今日改めて見つめてみると、また別のイメージを受け取るのだ・・・ 完全にこちらを「コケ」にしたようなその態度に、無性に腹立たしくなってくるのだ・・・ それは、僕達が、何かに取り組み一生懸命事を成し遂げようとし、その刹那にその大願が崩れ去ったときに、この絵を見つめるのだ。 その静かな虚脱の包み込むような「無関心」にあざけりを感じてしまう・・・ まるで、そんなことをしても「意味はないのだ」と言うかのような・・・ 特にその半開きの口元には、無益さを増長させて意識させるし、どこに向けられるともしれない瞳には、己の無知を知らしめているかのよう・・・ すごい絵だ・・・ Eili ... 最終更新日時 2012年5月5日 13時38分19秒 |一覧| |
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