━『ルシアンの青春』『ルシアンの青春/LACOMBE LUCIEN』(1973)ルイ・マル(Louis Malle) 『ルシアンの青春/LACOMBE LUCIEN』(1973) 監督: ルイ・マル Louis Malle 製作: クロード・ネジャール Claude Nedjar 脚本: ルイ・マル Louis Malle パトリック・モディアノ Patrick Modiano 撮影: トニーノ・デリ・コリ Tonino Delli Colli 音楽: ジャンゴ・ラインハルト 出演: ピエール・ブレーズ オーロール・クレマン オルガ・ローウェンアドラー テレーゼ・ギーゼ ステファーヌ・ブーヌ ルム・イヤコベスコ <ルイ・マル Louis Malle > 1932年10月30日、仏、ノール県テュムニー出身。ルイ・マルはフランスの大ブルジョワ家系の家に生まれ育った人です。父親は精糖と鉄鋼業を経営する大実業家。映画高等学院(IDEHEC)在学中の20歳の時、海洋学者ジャック=イヴ・クストー大佐に見いだされ、彼の長篇記録映画『沈黙の世界』の見習い助監督としてカリプソ号に乗船、三年間に渡って海上生活を送り、そのまま映画高等学院を中退。クストーとともに23歳で共同監督としてクレジットされた『沈黙の世界』が1956年のカンヌ映画祭でグランプリ受賞。ブレッソンの助監督を経験を経て24才にして映画史に残る傑作「死刑台のエレベーター」で監督デビュー。ノエル・カレフの犯罪小説をもとに、画面を観ながら即興演奏したというマイルス・デイヴィスの画面に突き刺さるようなミュート・トランペット、名カメラマンとアンリ・ドカエの鋭いモノクロ映像の中、既成の撮影方法や映画文法を否定した斬新な手法を駆使したそのマル独自の技巧に依った作風が絶賛された。ヌーベル・バーグの草分け的存在ではあるがヌーベル・バーグとは一線を画すものがある。以後、次々とヒットを飛ばし、1977年から10年間はアメリカで活躍。80年にアメリカ人女優キャンディス・バーゲンと再婚。1994年の「42丁目のワーニャ」を遺作に、1995年11月21日、ベヴァリー・ヒルズの自宅で63歳で癌により逝去。 意識的にせよ無意識的にせよブルジョワ資質の肌にしみこんだ気品ある豊かな感覚は、作品に着実に反映している。本物のナポリの貴族であるルキノ・ビスコンティの美意識と通底するものがあると思うが、ルイ・マルの映画はルイ・マルならではの高貴な芸術性に溢れています。 <Filmography> 1956年「沈黙の世界」 1957年「死刑台のエレベーター」 1958年「恋人たち」 1960年「地下鉄のザジ」 1961年「私生活」 1962年「トゥール・ド・フランス万歳」 1963年「鬼火」 1964年「バンコクより愛をこめて」 1965年「ビバ!マリア」 ジャンヌ・モローとブリジッド・バルドーが共演する夢のような作品! 1967年「パリの大泥棒」 1967年「世にも怪奇な物語」 1969年「カルカッタ」 1969年「インド幻想」 1971年「好奇心」 1974年「ルシアンの青春」 1974年「人間的な、あまりに人間的な」 1974年「レピュブリック広場」 1975年「ブラック・ムーン」 1976年「CLOSE UP」 1978年「プリティ・ベビー」 1980年「アトランティック・シティ」 1981年「アンドレとの夕食」 1983年「クラッカーズ」 1985年「アラモベイ」 1986年「神の国」 1987年「そして幸福を追い求めて」 1987年「さよなら子供たち」 1989年「五月のミル」 1992年「ダメージ」 1994年「42丁目のワーニャ」 Dデー(第二次大戦中、連合軍がノルマンディに上陸作戦を敢行した日)直後のフランスの片田舎に展開するナチとフランス・レジスタンスとの激闘に巻きこまれた若者とナチに追われるユダヤ娘との愛の逃避行とその悲しい終末を描いています。 ’68年5月革命の後、政治と社会への関心を高めたマルは、ナチ占領下のフランスの田舎の青年を通して、ユダヤ人差別とファシズムに翻弄される若者達を題材に”凡人に潜む悪”をテーマにした青春映画としてこの映画を撮りましたが、後の、マルの自叙伝とも言われる入魂の傑作「さよな子供たち」につながる重要な作品でもあります。 主演者は、この映画製作のために、一般公募でマル自ら選出した17歳の若者ピエール・フレーズ、パリのモデル出身の新星オーロール・クレマン。町の病院で掃除夫として働く17歳の少年ルシアンは、ナチズムに抵抗するレジスタンスへの協力を志願するが拒否される。世間からのはみ出し者でしかなかった彼の失意は大きく、その満たされぬ心を安易に正反対の方向への行動へと走らせ、ゲシュタポの手先になってしまう。ゲシュタポの身分証明書ひとつで大人たちが彼の前に沈黙してしまうという現実に快感を覚えはじめ、次第に人間的な心を忘れていく。だが、美しいユダヤ娘フランス(オーロール・クレマン)と出会ったとき、彼は本来の自分を取り戻すのだった……。 ルイ・マルのルシアンへ向ける<眼差し>は優しく暖かい。 ルシアンを演じたピエール・フレーズは一般教養など全く無い野生児の少年で、生涯一度も映画を見たことも無ければ、映画館にも行った事も無く、俳優になる気も全くなかったそうです。おまけに、仏が独の占領下にあったという事情さえ知らなかった。しかし撮影が進むにつれ17歳のこの野生児は、いとも簡単にルシアンになったといいます。何のイデオロギーも持たないルシアンも下層階級の一員として、ドイツ軍やゲシュタポの手先になる事で社会に対する報復を見出していったのです。この悪に魅入られた少年は、お金と権力を手に入れた時、何年もの間彼を見下してきた人々に仕返しをするのですが、おそらく自分のしていることが道徳的に正しい事かどうかをわかっていたとは思えません。一人の人間として、すべての矛盾を抱えたこの複雑なキャラクターをピエール・フレーズは見事に自然体で演じきりました。 マルは最初のラッシュを見た時からスクリーンの中のピエール・フレーズにとても得たいの知れないものを感じたそうです。 フランスを愛し始めたルシアンはフランスと祖母をドイツ兵士とともに逮捕するが、ルシアンは兵士を殺しゲシュタポの追及をのがれ、フランスと祖母を連れてスペインへと脱走します。.....国境に近い山間の空家にたどりついた三人は、追ってを逃れて森に隠れ、そこで様子をみることにしました。それはかつて体験したことのなかった安らかな日々でした。山々には花が咲き乱れ、ルシアンとフランスはその中で子供のように遊び廻った。それは生まれて初めて体験する楽しさだった。兎を捕らえたり、鳥を撃ったりと、得意満面のルシアンの顔.....だがそんな楽しい日々も束の間だった。.....ルシアンとフランスと祖母ベラの三人はやがてゲシュタポに捕えられてしまう......。 ルシアンを演じた野生児ピエール・フレーズはこの映画の完成した二年後に交通事故で死んでしまいました。この映画を精一杯生きた見事な演技でした.....。 冒頭、長い下り坂を自転車で疾走するクレジットシーンはとても見事で忘れられない青春の1ページです。 このシーンに使われていた軽快でおしゃれなジャンゴ・ラインハルトとステファン・グラッペリの音楽は大人のかおりがしました。音楽演奏はジャンゴ・ラインハルトとフランス・ホット・クラブ五重奏団、アンドレ・クラヴォ、イレネ・ド・トレベール。 追ってを逃れて森に隠れる場面で使われた音楽はインドの民族音楽でベンガル地方のフルート音楽だそうです。この映画の全てが自然音によるオリジナル・サウンドで、この映画の真実味を見事に盛り上げています。 YOKO MY LOVE ルイ・マルは自作のベスト3を厳選すればという問に、 「さよなら子供たち」「鬼火」「ルシアンの青春」をあげ、 「...私は映画とは何であるかと模索し、新しい可能性を見出し続けてきたが、年を重ね人生を長く生きるにつれて、観念的なものよりも、より情緒的なものを信じるようになっていったのだ...」と述べています。 CAT-O 「ルシアンの青春」サントラ盤見事GETいたしました!コレクター冥利に尽きます。 ジャンル別一覧
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