781905 ランダム
 ホーム | 日記 | プロフィール 【フォローする】 【ログイン】

ニッポンとアメリカの「隙間」で、もがく。

ニッポンとアメリカの「隙間」で、もがく。

【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! --/--
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x

PR

キーワードサーチ

▼キーワード検索

カテゴリ

フリーページ

カレンダー

2006.05.20
XML
カテゴリ:エンタメ_映画
さっそく映画『ダ・ヴィンチ・コード』を観て来た。
感想は・・・・・


めちゃくちゃおもしろかったー!!!


・・・と言いたいところなのだが、実際はというと・・・
「原作に忠実なあまり、少々退屈になってしまった」というのが正直な感想。

しかし、この退屈さというのは、上下巻にわたる長作を2時間半という映画としては長い時間にしろ短縮せざるを得なかったことも関係しているだろうし、私がすでに原作を読んでいて先が分かってしまっているという面も大きかったに違いない。だからといって、原作を読まずに字幕なしでキリスト教の背景も知らずにいきなりこれを観たら、恐らく何が何だか分からなかったと思うが。

この前、『コンスタント・ガードナー』という映画をDVDで観た時、ボーナス特典にこの映画の原作を書いた作家と映画化についてのドキュメンタリーがあったのだが、その最後にこの作家が『この映画は原作とはかなり違っているが、この映画ほど原作のエッセンスをうまくとらえたものはない』というようなことを言っていたのがとても印象的だった。それに基づけば、やはり私が『ダ・ヴィンチ・コード』に対して抱いた『原作に非常に忠実であるが、そのために原作のエッセンスがうまく伝わってこない』という感想は外れていないと思う。たとえて言えば、翻訳には直訳と意訳というのがあるが、直訳は正確でも意訳の方がその原文の本意をうまくとらえているもので、この映画は直訳のぎこちなさというかつまらなさが表に出てしまったという感じ。日本で大ヒットとなった『セカチュウ』の映画もドラマも、原作とはかなり異なっていたが、どちらも作品としては面白かったと思う。活字を映像化する際は時間的にも描写の面でも制約があるもので、活字をそのまま映像化するだけではその制約がマイナスに働いてしまい、原作の脚色化というのは制約をプラスに転向させるためのテクニックとして重要なのかもしれないと思った。

もう一つ、私がこの映画(もとい原作)にのめり込み切れない理由というのは、私がキリスト教徒でないということも大きいと思う。この話はキリスト教に関する隠された秘密の証拠となる宝を探すものとそれを阻止するものの話で、そのせいで世界各地、特にカトリック色の濃い国で波紋を呼んでいるわけなのだが、その秘密が自分にとって関係なければその秘密が暴かれたところで、感想は「ふーん。それがどうした?」になってしまう。これも自分なりに例を挙げて説明すれば、私は糖尿病になって20年間という長い間、血糖値を上げるのはカロリーだと信じて来た(信じさせられて来た)のが、ある日突然、実は血糖値を上げるのは主に「炭水化物」だと言われて、まるで自分の根底をくつがえされるような大きなショックを受け、この気持ちは糖尿病でカロリー計算を強いられたことのある人なら少なからず分かってもらえると思うのだが、そもそもカロリーも炭水化物も関係なく暮らしているヒトは「ふーん。それで?」で終わってしまうに違いない。それと同じようなことを、この作品に対しては「部外者」の立場で感じてしまうのである。でも、どんな世界にも、あるいはどんな時代にも、真実を暴こうとするものと、それを暴かれると自分の優位性が覆されることで脅威を感じ、それを阻止しようとするものの攻防戦をテーマにした話というのはいくらでもあるわけで、この作品もそのうちの一つという風にとらえればかなり楽しめるのではないかと思う。

という風にマイナスの面ばかり強調してしまったが、もちろんプラスの面もあった。原作を読むだけでは想像するしかなかったさまざまなシーンをビジュアル化してくれたのはすごく良かった。特に、キリスト教に関する史実や考察をCGで一瞬に説明してくれたので、まさに「百聞は一見にしかず」で分かりやすかった。また、パリの風景をはじめ、舞台となる各地が大きなスケールで映し出された時は、思わず感嘆の声を上げたほどだ。フランス人だけの会話の時はフランス語に英語の字幕という手法も、おふらんす色が前面に押し出されていて良かった。

特に、トム・ハンクスとジャン・レノ(ちなみに彼の英語は上手いと思う)が英語でしゃべっている導入部分から、暗号解読官役のオードレー・タトゥーが出てきてぺらぺらとパリジェンヌのおふらんす語をしゃべり始めたとたん、おふらんすの雰囲気が画面いっぱいに広がり、パリのルーブル美術館という舞台が一気に現実感を増してわくわくした。舞台が外国でもアメリカで制作された映画はずっと英語で話されていることが多く、たとえば日本が舞台で日本人の映画なのに日本人同士が英語をずっとしゃべっていると、何だか違和感を覚えるものなのだ。

オードレー・タトゥーは映画『アメリー』の不思議な雰囲気の女の子のイメージが強く、果たしてこの映画のこの役にふさわしいか疑問に思っていたのだが、なかなかどうして、ハマリ役だった。仕立ての良さそうな広い襟のシャツブラウスにカーディガン、細身のスカートにパンプスというごくごくシンプルな出で立ちなのに、かっこよくてうらやましい限り。私もああいう最低限のファッションでもかっこ良く魅せることのできる女性になりたいものだ。

DVD化されたらもう一度じっくり観てみたいと思う・・・ってことは、何だかんだ言ってもやっぱり面白かったんじゃん(笑)。





お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

最終更新日  2014.10.17 05:59:53
[エンタメ_映画] カテゴリの最新記事



© Rakuten Group, Inc.