780876 ランダム
 ホーム | 日記 | プロフィール 【フォローする】 【ログイン】

ニッポンとアメリカの「隙間」で、もがく。

ニッポンとアメリカの「隙間」で、もがく。

【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! --/--
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x

PR

キーワードサーチ

▼キーワード検索

カテゴリ

フリーページ

カレンダー

2006.11.21
XML
カテゴリ:仕事
元同期のK君から忘年会の案内がメールで来た。

主催は別の同期のY君で、その名も「第2回チキチキ Y主催 ドバってドバって忘年会~!」。ガハハタイプのY君らしいネーミングで笑ってしまった。そういや、当時金髪の可愛いアメリカ人と付き合っていたY君は、彼女がアメリカに永久帰国してしまう日、病気だといって会社をサボったんだよな。で、サボったということがなぜか同期全員、さらには研修の講師までに知られていたんだよな(笑)。

もちろん、私は忘年会には出席できないが、これを機にぽつぽつと他の元同期たちからの近況が寄せられ、楽しく読んでいる。

男女合わせて約30名ぐらいだったと思う。それが、同期でその会社に残っているのはたったの一人。一番先に辞めそうだった(笑)私と同じ大学かつサークル出身の彼女が、結婚・二人の子供の出産を経ても頑張っている。
私が就職した年はバブルが崩壊する前年で、就職内定者に入社まで毎月美味しいレストランでビュッフェ形式の会食が開かれるなど、いやあ考えたらやはりバブリーでしたな。

外資系のシステムコンサルティングの会社で、もともと通訳と翻訳の仕事がしたいと思っていた私は、いきなりフリーになるより何らかのビジネスの経験と専門知識があった方がいいと聞き、その頃「これからどんどん伸びる」といわれていたIT関連の仕事を専門にしてみようとこの会社に入ったのだった。親会社の研修センターがあるフロリダ州のタンパというところで2ヶ月間新人研修という餌につられ、確かにその2ヶ月間は夢のように楽しかったが、その後プロジェクトに配属されてからは毎日のように残業残業でとことん働かされましたわな。3年働けば研修にかかった費用は回収できると聞いていたので、ほぼ3年で兼ねてからの目標だった通訳・翻訳の専門職へと転職したのだが、こうして10年以上の月日が流れても当時の同期たちとこうして近況を報告しあえるのはとてもありがたい。

私は肩をいからせ(確かに当時のスーツは肩パッドがいっぱい入ったデザインだったし 笑)ながらバリバリと現役でキャリアウーマンをやってそうなタイプだったと思うので、こんなところでこうして地味?に子育て中心の生活を送っているのは意外に思われているかもしれない。先に書いた彼女が、私の近況報告を見てライフワークバランスがとれていてうらやましいと返信してくれたが、どうだろう。プラスマイナスいろいろ考えた上で、子育て優先、仕事は二の次の生活を今は送っているが、決して満足しているわけではない。だからといって、今の状況でフルタイムでバリバリ仕事をする意味も見出せないので、まあ、これが最良と思うようにしているのが正直なところ。

そういえば、タンパでの研修中、週末を利用してボストンを訪れた同期がいて、その子が「いやあ、ボストンはタンパに比べたらラジオでかかっている曲ももっと垢抜けていてゼンゼンいい」みたいなことを言っていた。その時は、まさか自分がボストンで暮らすことになろうとは夢にも思っていなかったけれど、そんな言わばどうでもいい話が記憶に残ったということは、やっぱり何か縁があったのかもしれない。





お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

最終更新日  2014.10.16 22:38:32
[仕事] カテゴリの最新記事



© Rakuten Group, Inc.