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☆ご挨拶☆
ご訪問ありがとうございます。 読書,音楽,美術などの趣味について 思いつくままに記録していくだけのHPです。 袖擦り合うも多少の縁。もし気が向きましたならば おつきあいのほどよろしくお願い申し上げますm(__)m 一村雨(ひとむらさめ) [全1344件]
![]() ようやく、レンブラント展に出かけることができた。土曜日午前中。会期末近いので、入場券売り場には長い列。会場内も大混雑。いつもはめげるのだが、今日は久々の美術館ということで、気合を入れて、最前列に並ぶ。版画は間近ではないとよく分からないから。 ちょっと前の日曜美術館の「レンブラント傑作10選」で取り上げられた作品を見るのも楽しみにしていた。 まずは、油彩の「アトリエの画家」。レンブラント22歳の頃の作品。若者は「俺が俺が」と自己主張が強いものだが、この作品は画家は後ろに退き、イーゼルに立てかけたキャンバスが主役となっている。キャンバスの白い直線の鮮やかさが目を引く。画家としての決意がにじみ出ている。 レンブラントの自画像でも、自分の顔を影で暗くしているものが多いが、この時代にここまで、自分の感情を自画像に封じ込めた作品を描くことができるというのは、やはりレンブラントは天才なのだなぁと思う。 これも油彩の「東洋風の衣装をまとう自画像」。名声も富みも最高潮にある時期の自画像だろう。黄金の衣装の輝き。この写実的な味わいが、この時代の絵が好きな理由のひとつである。 そうそう、どうしてレンブラントは、自画像ばかり描いていたのかと常々疑問に思っていたのだが、展覧会の解説に、当時は有名な画家の自画像の市場があったということが書いてあり、やっと理解できた。単なるナルシストではなかったわけだ。 展覧会の大部分を占める版画。やはり黒い版画はの迫力を感じる。闇の中にほんのり浮かぶろうそくやランプの灯り。周囲にはぼんやりと闇に溶け込んだ人々の顔が見える。こんな感じの絵も多い。まるで、暗闇の中にしばらくいるとだんだん目がなじんで、周囲が見えてるような感覚である。 あとは、光と影を効果的に使った宗教画。和紙に摺ると黒のグラデーションが、西洋紙よりも格段に深まるといこともよく分かるように展示されていた。 ![]() レンブラントの版画の最高傑作といわれる「3本の木」。明るい空に向かって、写生をする画家の背後は、雲が渦巻き、嵐が迫ってくる。のんびりしているように見えながら、実はドラマチックな場面だ。右下に密会中の男女が描かれていると解説があったが、見つからなかったのが残念。 最初のコーナーで、レンブラントと同時代の画家の版画が展示されていた。その中で、ワレラン・ヴァヤンという画家の「ヴァニタス、壁龕の静物」には感激した。消えかけたろうそくと髑髏。メゾチントで摺られており、黒い諧調がすばらしい。レンブラントもメゾチントの作品を作っていればなぁと感じた。 しかし、「光と、闇と、レンブラント」って実にうまいコピーだ。
![]() 古今の洋画、版画、工芸品、写真、オブジェなどから森と人間のかかわりを探るというテーマは、すばらしい着眼点だと感じた。青葉茂れる今日この頃。樹木に囲まれた庭園美術館の雰囲気にぴったりな展覧会である。 玄関のエントランスは東京大学博物館のさまざまな骨格標本などの展示があり、ワクワクドキドキ感を演出し期待が盛り上がり、ホールでは、私のお気に入り画家のボーシャンの「楽園」が展示されていた。いきなり、コローとかロイスダールとなど本格的な森の絵ではなく、素朴派のゆるい絵を飾るところがうまい。そして、観客はだんだん深い森の中に迷い込んでいくのだ。 ここでは、さまざまなジャンルの作品に出会える。素朴派があったり、バルビゾン派があったり、シュルレアリスムがあったり、19世紀の版画があったり、岡本太郎の作品まである。 ジョン・マーティンの版画、「エヴァを誘惑するサタン」の小さいながらもダイナミックな構図に見とれてしまった。暗い森に光の射す様子。幻想的な画面。見ていてスカッとする。ヘンリー・フューズリの「真夏の夜の夢」も同様。両者とも、かつてどこかで見ているが、改めて、名前をインプットし直した。 クールベやコローの深い森の油彩画も本領発揮。ザ・定番という感じで眺めていると、やがて、ガレやドーム兄弟のガラスの花器のコーナーへ。見慣れているはずの花器ではあるが、今までの流れで、森の中の生き物に実際に出会ったようで、しっかりとツボにはまった。 2階では、「シュルレアリズムの森」のコーナーがよい。エルンストの描く森も不自然さも無く、この文脈の中に溶け込んでいる。宮崎県立美術館のレオノーラ・キャリントンの「狩猟」は、依然、シュルレアリズム展で見て以来、好きになった絵。空飛ぶじゅうたんの下に蛹のようにぶら下がっている獲物と、不思議な狩人。ぞくぞくする絵だ。この後、この画家の訃報を聞くことになった。 森に囲まれた邸宅の中にさらに森が存在しているような展覧会。メジャーからマイナーまで、強烈な印象を放つ作品がずっと並んで、本当に森の中をさ迷ってしまったような感覚だった。
![]() ニューオータニ美術館は、ビュフェとの関わりが深く、常時何点かのビュフェ作品が展示されている。今回は開館20周年記念ということで、26点のビュフェ作品を集めた。ほとんどが、三島のビュフェ美術館所から運んだ作品である。 ビュフェの絵は、1950年前後のグレーを中心とした沈んだ色調の時代の作品が人気を博しているとの琴。ユトリロも白の時代が人気があったように、こういう孤独感あふれる憂いに満ちた作品が、人々の共感を呼ぶのだろう。 私が学生の頃は、ビュフェのリトグラフが、あちこちで数多く売られていて、気軽に手の届く値段であったことを思い出す。その時、はじめて、ビュフェという画家の鋭い黒線を知ったのだった。 ビュフェの黒い輪郭線は、墨で描かれた線を思い起こさせるので、日本人はひときわ愛着を感じるのであろう。 ビュフェの若い頃の自画像は、自分を痛めつけるような強烈な黒線が、痛々しも感じさせられるのであるが、こちらの心にもグサッと刺さってくる。 「目玉焼きのある静物」は、40×175の横に細長い絵だ。黄色い背景、緑のビン、赤いワイン、黄色いパン、青のフライパンに目玉焼き二つといったカラフルな色使いで面白い。きれいにまとまった絵で、気に入った。 「東京の高速道路」、「石鏡港、志摩」など日本の風景を描いたものは、パリの都会と異なる日本の湿潤な気候を感じさせられる絵だ。 「睨み合い」は、横綱大乃国を描いたもの。どうも睨むというより、のんびりとした顔つきに感じられる。行事や勝負審判の方が鋭い顔つきをしている。 作品数こそ少ないが良品が多く楽しめる展覧会であった。
![]() 浮世絵ファンを自認しているのだが、役者絵だけはどうも苦手である。まずもって歌舞伎の素養がまったく無いことが決定的。だから例えば「四代目松本幸四郎の大和のやぼ大じん実は新口村孫右衛門と初代中山富三郎の新町のけいせい梅川」などというタイトルだけで、もうあっぷあっぷしてしまう。役者の名前と役どころの名前が入り混じって、チンプンカンプンになってしまうのだ。写楽の有名な大首絵も、その絵のタイトルをすんなりと思い出せないので困ってしまう。次に、美人画は好きだが、男性には興味が無いことも理由のひとつ。だから見得を切って立つ役者の姿を見ても何とも感じない。 それでも写楽のデフォルメされた独特の大首絵だけは、楽しんで見ることができる。北斎の富嶽三十六景とともにDNAの中に摺りこまれてしまっているのかもしれない。写楽の正体のミステリアスさも好奇心を煽るのだろう。 今回の大規模な写楽展。写楽作品全146点のうち、142点を展示している。東博所蔵の作品をはじめ、ホノルル美術館、ギメ東葉美術館など海外の美術館や中右コレクションや平木浮世絵美術館から、美しい彩色が残る作品を借り出している。関係者の並々ならぬ意気込みを感じる。 連休の午後に出かけたため、第一室の歌舞伎の屏風から浮世絵のコーナーに行くまで、長い人の列ができていて、その混雑さに辟易したが、後半はその人の列もなくなって、やや快適に眺めることができるようになった。たぶん皆さん、私と同様に飽きてきたのではないかと思われる。 それでも、芝居の内容の説明をビデオで行ったり、同じ役者の絵を絵師によって比較したり、摺りの違いや保存状態の違いを見せたり、展示方法の工夫が十分になされていた。特に、この芝居の説明はありがたかった。私自身、はじめて知ることが多く、大変参考になった。こういう視点で、勉強すると浮世絵もさらに楽しめるということを実感した。 浮世絵を楽しむのには、いかに当時の色が残っているかが、いちばんの決め手である。実は、今回の展覧会でいちばん素晴らしかったのは、残念ながら写楽ではなく、フランス・ギメ東洋美術館所蔵の歌麿の浮世絵である。特に「歌撰恋之部 深く忍恋」なんか、背景の薄紅色の雲母(きら)刷りが美しすぎるくらいだった。これには驚いた。 最初に役者絵は好きではないと書いたが、歌舞妓堂艶鏡の作品も例外。現在では7作しか確認されていない。今回は「初代市川男女蔵」が展示されているが、後期は「三代目市川八百蔵の梅王丸」が出るとのこと。以前、ミネアポリス美術館展で見た時にすっかり気に入ってしまった。太田記念美術館蔵のこの作品がどのくらい美しいか、ちょっと楽しみ。
私はたまに長谷川潔の版画を無性に見たくなる。ちょうど展覧会がはじまったというので、喜び勇んで横浜まで出かけた。ゴールデンウィークの真っ只中というのにこの美術館は静寂に満ち溢れている。本来開催予定のプーシキン美術館展だったら、こうはいかなかったことだろう。おかげさまでじっと彼の版画と対峙するには、絶好の環境であった。 木版からメゾチントに至るまでの軌跡をたどって、展覧会は進む。 初期の木版、「風(イェーツの詩に寄す)」は、黒と白の男女の抱擁の場面。単純な木版ながら、女の髪が男に連なっていくという無限ループのような構成に眼を見張る。この絵はいい。 長谷川潔というと静謐な静物画を思い浮かべるのだが、官能的なヌードを描いた作品も多く、その一つ一つが魅力的である。また、固い輪郭線が感じられるフランス語の絵本竹取物語のかぐや姫もすばらしい。 長谷川潔は、エッチングとかドライポイントなどの版画表現を試しつつ、あの「黒の手法」のメゾチント技法を再現する。そこに至る過程で、長谷川は戸外で「ニレの木」の話し声を聞くという神秘体験をし、宇宙や生命の神秘について思索を深める。 ![]() 対象は自然から、小鳥、花、魚、そして生命の無いすべての「もの」に向かう。彼の描く静物画は、あたかも無生物の世界にも命が宿るようだ。「もの」にも命が宿る。命を版画にした長谷川潔の静謐な世界に、心が癒された。
![]() 予備知識もまったくなく、ただ時間調整のために足を運んだだけなのだが、この画家?の奇妙な世界に引きずり込まれてしまった。 掲示されているヘンリー・ダーガーの生い立ちを読み進めるうちに、少年時代の彼の行動に引っかかるものがあり、よもやと思ったのだが、あとで、アール・ブリュットに連なる画家だということを知ってその疑問が解決した。 少女と大人の戦争という荒唐無稽の物語。挿絵として描かれた少女たちの絵は、雑誌の写真をトレースしたものという。そして嫌悪感をもよおす場面の連続。 彼の絵は、まったく「美」とは無関係だ。彼の絵はまるで美しくない。ただ、彼は他人のそんな評価などまったく無関係に、この「非現実の王国で」という世界を何十年もの間、孤独のうちに創り上げたという事実を知れば知るほど驚く。 彼の残した「非現実の王国で」は、たぶん決して理解できないだろうし、共感もできないだろう。この物語を読むつもりもない。しかし人間という不可思議な存在を知るひとつのきっかけとして、不快感と好奇心の狭間で揺れた興味深い展覧会だった。 |一覧| |