ミーハー・フェンシング観戦記 太田雄貴選手に会ったぞ、後編
誤って消してしまった日記は、前編、後編に分けるほど長くはなかったんです。今回日記を書き直していて気付いたんですが、僕の場合、同じ内容の日記をもう一度書くと確実に、消してしまった日記より長くなります。なんで分けなければいけないほど長くしてしまったのか…。後編です。日本人選手対韓国人選手写真の裏では「僕対彼女」が展開されています。上の写真にもあるように、日本人選手対韓国人選手、日本人選手対ドイツ人選手など、容易に感情移入できてしまう試合が、盛りだくさん。基本的に8試合が同時進行で行われていたので、退屈する間もなく時間が過ぎていく…。日本人トップ、世界ランキング7位の太田雄貴選手対やたらとにぎやかなイタリア人選手。試合は15点先取。残り1ポイントを争う手に汗にぎる展開。結果は延長戦の末、太田選手が勝ち進んだ。試合後の太田選手この試合ではイタリア人選手が何度も審判に、文句を言ったり、笑顔で話かけたりと本当に騒々しかった。審判は審判で、すんごい笑顔で楽しそうにその彼と会話してるし…。フェンシング界の公用語はフランス語なので、なにを喋っていたのかは全然わからなかったけど、審判はあんなに試合中、選手と会話していいのか??なんて思ったりもしました。審判があんまりニコニコ笑顔をみせると、威厳もなにもなくてだめだと思うんですが…。結局、太田選手は準々決勝で、世界ランキング3位のドイツ人選手に敗れ、ベスト8。それにしてもルールがまったくわからなかった割には、「日本人選手が多かった」のと、「初めて観るスポーツ」、ということもあってかなり楽しめたなぁ。今、僕の敬愛する糸井重里氏の「海馬」という本を読んでいるんだけど、こういう新しい刺激というのは、脳にとっても、人間が成長する上でも、とっても大事なことのようです。今回の観戦で、これからもちょっと意欲的に、興味のなかったスポーツなんかも観戦にいってみたいな、と、思った吉田でした。モジモジしていたところ、彼女に「行ってきな!」とケツを叩かれて、撮ってもらった写真。しかし…僕の締りのない顔と、後ろの半裸選手の肉体の締り具合の差は、かなり大きそうです。◆太田 雄貴(おおた・ゆうき) 1985年(昭60)11月25日、滋賀県生まれ。17歳で全日本選手権フェンシング男子フルーレ個人で史上最年少優勝。04年アテネ五輪9位、06年ドーハ・アジア大会で金メダルを獲得した。172センチ、68キロ。22歳。(日刊スポーツ)アサヒ・コムの記事