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テーマ:日本的なるもの(437)
カテゴリ:陽明学
体充曰く、左様に候はば、中行にいたらざるうちは、 儒門の学者も、仏家の学者もおなじことにて候や。 師の曰く、その心の位〔くらい〕、意馬〔いば〕の奔走は、 初学の間は同じけれ共、その修行の道は真妄各別なり。 たとえば山にのぼるがごとし。 儒門の学者の力行〔りょくこう〕する道は、 峯までよく通じぬる定まりたる道をのぼるがごとし。 平常不易の道なる故に、是を天真と云うなり。 仏家の学者の修行する道は、山八分にき(切)れとありて、 峯頭〔ほうとう〕まで通ぜざるすじの、 のぼるべき道なき所を木かやをわけてのぼるがごとし。 険阻にして道なく、人間のとおらざる所なる故に、 これを妄行〔もうこう〕と云うなり。 初学の間心の位のちがわざるは、山をのぼるみちのほどおなじければ、 その高下〔こうげ〕のろく(陸)なるがごとし。 しかれ共、あし(足)下〔した〕の道、 真にしてのぼりやすきと、妄にしてのぼりがたきとは各別なり。 よくよく体認あるべし。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2016年06月04日 15時47分16秒
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