「常時駐留なき安保」論
このところ政党支持率とか普天間移設問題でゆれているが、鳩山さんは本当にルーピーなのかということで、おっとり刀でネットの論調を探したところ・・・沖縄の海兵隊は抑止力にはならないと高野さんが述べていました。在日米軍は朝鮮有事、台湾有事に対する抑止力と言われるが・・・・大使の認識もその程度であり、ルーピー鳩山さんの認識とたいして違わないようです。5/5"抑止力論の罠"に絡め取られた鳩山首相 高野論説より「中国の海軍力増強」というが、それは主として米第7艦隊の問題で、海兵隊はほとんど関係ないのではないか。中国が台湾に上陸侵攻した際に海兵隊が地上戦闘に加わるというシナリオはあるのかどうか(多分、ない)。台北の米人救出? そのために沖縄に待機しなければならないというものでもないでしょう。「海兵隊が沖縄から出て行ったら尖閣諸島はどうなると思う。次の日から尖閣諸島に中国の旗が立つだろう」と米政府高官が言っていると、朝日新聞5日付の船橋洋一主筆が書いているが、これこそ典型的な"抑止力"を御印籠とした対日恫喝で、彼も言うように「尖閣列島を守るのはまずは日本の自衛隊と海上保安庁が果たすべき役割」であるし、大体、仮に中国が尖閣を支配しようとしても米国が中国との軍事紛争突入を賭けてその防衛のために出動する予定があるのかどうかも定かでない。 こういう議論を米国ととことん交わした上で、なおかつ鳩山が、上記のレベルのうち第3レベルで「抑止力はやっぱり必要」と言うのであれば、説得力が湧かないでもなかったろう。第2レベルの自民党的常識に立って"抑止力"を口にしたのでは、それ以上詳しい説明など出来るわけがなく、従って県民はじめ国民を納得させて負担を求めるなど出来るはずもない。今からでも遅くはない、「5月末」までにさらに「学んで」米国と論戦を交わし、第3レベルで物を言って貰いたい。やや頼りない鳩山さんではあるが、民主党がルーピーというわけではなくて・・・・かって野党時代の民主党は「常時駐留なき安保」論という大胆な論陣をはったようですが(仕事に追われる大使はとんと覚えておりませんが)高野さんは「その論は今こそ有効であり、普天間問題の日米再交渉の基礎でなければならない」と心強いメッセージを発していました。1/11後ろ向きに終わった「日米安保再確認」高野論説より96年4月に橋本・クリントンによる「日米安保再確認」宣言があって、それに対する異論というかオルタナティブとして同年9月旧民主党による「常時駐留なき安保」論の大胆な提起があった。それは突拍子もないことでも何でもなくて、米国の国防政策中枢においても"ポスト冷戦"の時代状況への適合と沖縄少女暴行事件の悲惨に象徴される沖縄での過大な基地負担への対応を計ろうとするそれなりに真剣な努力が始まっていた。 しかしその米国側の動きは、東アジアにおける「勢力均衡=抑止力」という19世紀的な旧思考に足をとられた不徹底なものに留まっていて、沖縄県の「基地返還プログラム」やそれに学んだ旧民主党の「常時駐留なき安保」論は、まさにそこに切り込んでいって、日米が共に"脱冷戦"を果たすよう、日本のイニシアティブで米国を積極的に導いていくことを狙いとしたものだった。 大事なポイントは、アーミテージが言ったように「朝鮮半島情勢が緩和すれば在沖海兵隊は撤退すべきである」ということで、当時はまだその条件は熟していなかったが、今日ではまさにそれが可能になりつつあるという点である。「常時駐留なき安保」論は今こそ有効で、それこそが鳩山政権の普天間問題の日米再交渉の基礎でなければならない。普天間問題を考える際に、9 月11日米国同時多発テロ事件以降の日米安保はどのように変質したか?という認識もまた重要ではないかということで、ネットを巡ったところ「テロ関連法案を成立させた国内背景」というのがヒットしました。政治家・外務省・防衛庁・専門家といわれる人たちの総意が果たして日本の総意なのか?という疑問が沸くのですが。「対テロ戦争」と日米同盟より(2)テロ関連法案を成立させた国内背景テロ対策特別措置法の可決、成立後、米政府は直ちに歓迎の意を表明した。そもそも9 月11 日以降の日米安保関係の専門家の間では、「日米同盟のテスト」という表現が使われていた。そこでは、日本が対応を読み誤った場合には「日米同盟を崩壊させないか」という懸念が支配していた。この懸念は、湾岸戦争の経験と記憶(湾岸シンドローム)と相まって、政治家・外務省・防衛庁・専門家の間で広く共有されていた17。しかし、実際のその後の推移は、テロ事件の6 週間後にはテロ対策特別法の成立につながるという、これまでの経緯と比較すればきわめてスピーディな立法成就であった。それを可能にしたのは、日本に六つの政治環境があったからだと考えられよう。第一に日米安保関係者の危機感である。湾岸戦争時の日本の貢献が、130 億ドルという支援規模にも関わらず”too little, too late”と評され、日本が一国繁栄主義との評価を得たことは外交当局者が繰り返してはならない事例としてまず肝に銘じたことであった18。第二に国民の米国の軍事行動及び日本の支援に対する基本的な支持があった。読売新聞の世論調査(10 月30 日)では83%の有効回答者が「米軍の軍事行動に賛成・まあ賛成」と答え、毎日新聞の電話世論調査(9 月24 日)でも米国の後方支援のために自衛隊を派遣することを63%が賛成していた。湾岸戦争の際の日本の世論と比較すると、明らかに広く国民が米国の軍事行動を支持し、日本が何らかの貢献をしなければならないという意識をもっていたことを意味する。第三に小泉内閣の人気も法案の成立を大きく後押しした。2001 年4 月の小泉政権発足以来、内閣支持率は平均77.7%(4 月から10 月まで)という記録的な高水準であった。この小泉政権自身の高支持率は、第二の理由の国民世論の支援と重なって、国会論戦における法案審議を後押しした。その結果、「テロ対策特別措置法」に法案審議段階から明確に反対を表明していたのは共産党、社民党にとどまるに過ぎなかった。また、民主党は自衛隊の派遣に関わる国会の「事前承認」をめぐる問題で与党との妥協が折り合わず、最終的に反対に回ったものの、「反対のための反対はできない」という立場を終始鮮明にしながら、立法意図については賛成を表明していた。また、残りのテロ三法のうち「改正自衛隊」法については民主党が賛成し、さらに「海上保安庁法改正法」については共産党までもが賛成にまわるという結果になった。高い小泉内閣の支持率は、政府提出法案に反対すること自体が、政党支持率の低下を招くというスパイラルを生じさせ、結果的にテロ特別三法案(特に後二法案)は幅広い超党派的な賛成によって成立したことが特徴である。