図書館で『宮本常一 伝書鳩のように』という本を、手にしたのです。
エッセイ集となっているが、宮本さんなら文化的センスに富んだエッセイとなっているのではないか、ということでチョイスしたのです。
そういえば・・・熱血ポンちゃんの勇ましいエッセイを読んだなあ。
【宮本常一 伝書鳩のように】
宮本 常一著、平凡社、2019年刊
<出版社>より
日本各地を歩き、漂泊民や被差別民、歴史の表舞台に姿を現さなかった無名の人々の営みや知恵に光を当てた「野の学者」宮本常一。膨大な著作のエッセンスを一冊に集成。
<読む前の大使寸評>
エッセイ集となっているが、宮本さんなら文化的センスに富んだエッセイとなっているのではないか、ということでチョイスしたのです。
rakuten宮本常一 伝書鳩のように |
どこから読んでもいいのだが、「自然を見る眼」が語られているあたりを、見てみましょう。
p147~150
<自然を見る眼>
■三 自然の重さ
この自然の重さの中で、時にはこれをはらいのけようとし、時にはこれにしたしみ、もつれあいにくしみあいつつ私たちは自然の本質というものをすこしずつ見きわめて来たのである。それだけに自然を見る眼はこまやかであり切実であったともいえる。迷信も科学もこうした中で芽吹き育って来た。
■四 見すてられたものの中に
同時にわれわれは、われわれの眼にふれ、手にふれたものに、われわれの生命をきざみ、人間の歴史をのこして来た。非情に見える木や石にすら、それが人間の手にふれたものであるならば、そこに人間の息吹と歴史を感ずることができるのである。
ちかごろ出版された柳田国男先生の「海上の道」は暗示にとむ本である。現在日本の主流をなしている米作を中心にした農耕民族は、南方から琉球の島々をつたって日本に来、定住したものであろうと見ているが、その見方に多くの示唆を与えられる。
たとえばアイという風の名をとりあげて、それがいろいろのめずらしいものを吹き寄せてくれる風の名であったこと、さらにはヤシの実が波のまにまにただよいつつ佐渡や但馬や若狭、奥州などにも流れついた歴史をふりかえって、海流による南方のつながりのあったことを認めようとしている。
だがしかし、それだけで南方とのつながりを説くのではなく、4000年もまえに栄えたシナの殷という国が宝貝を貨幣として利用し、この貝をことのほか珍重していたじじつから、その貝を沖縄から求めたのではなかったかと疑っている。沖縄の宮古島はことに美しい宝貝の産地で他のものは比較にならぬ。殷がこの島の宝貝を用いたとすれば、シナ大陸と琉球の間には当然盛んな交通があったはずだし、また宮古に近い八重山には古見というところがある。古く稲作のおこなわれたところであるが、古見、久美、久米などはいずれもコメと共通した言葉であり、それはまた日本の本土にもひろがっており、そこで米作のおこなわれた歴史も古い。
柳田氏がイネの渡来を南方からであると実証づけようとするものはこうした風の名や潮流や宝貝や地名なのである。いずれも日頃は忘れ去られようとするようなものの中にすら、このすぐれた学者は人間の歴史をよみとっている。
また鼠に対する人間の態度・・・わをするにしても鼠に都合のわるいことはできるだけ聞かれないようにするとか、あるいは鼠に若干の尊敬と畏怖を持つことなどから鼠の浄土がまた日本人のやって来たところではなかろうかと、多くの例証によってわをすすめている。
また宝貝の頸かざりとハトムギでつくった頸かざりが、形も似、言葉も通ずるものがあることから、琉球では宝貝が頸かざりとして用いられ、ハトムギの方言を通じて琉球と日本の関係を見ようとしている。
ここに出て来る話の素材の一つ一つは多くの場合見すごされ忘れられるようなものばかりである。まして歴史の主流になり立役者になるようなものとは思えないが、それすら人間の息のかかったものとしてとりあげ方によっては古い日本人の祖先の歴史を文書で書かれたものよりも暗示ふかく教えてくれる。
同様にある一つの角度によって物を見ていこうとするならば、われわれの周囲のあらゆるものの中に、これと同様の真理と法則が含まれたまま、そこにだまって存在しているのではなかろうか。
見るということはいたって簡単な行為であるが、その見方には無限のひろがりと深さがある。そしてそのような物を見る眼は永い間かけて、一貫した態度でありふれたものをも見すてないで、見つけていく以外にひらけては来ない。
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『宮本常一 伝書鳩のように』2:すばらしい食べ方
『宮本常一 伝書鳩のように』1:塩の道