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フレッドペリー/FREDPERRY

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フレッドペリー【FRED PERRY】

Mens ・Polo Shirt  ・Tops  ・Jacket  ・Knit  ・Bottoms

Womens ・Polo Shirt  ・Tops  ・Jacket  ・Knit  ・Bottoms

Bag  ・Accessories  ・Footwear Mens  ・Footwear Womens
テニス界の英雄"フレデリック・ジョン・ペリー"
フレッドペリーブランドの創設者フレデリック・ジョン・ペリーは、偉大なテニスプレイヤーでした。英国で生まれ育ち、1930年に英国で開催されたテニス大会の最高峰「ウインブルドン大会」(全英)にチャレンジし、いきなりベスト16入りを果たします。
1933年には全米選手権(現USオープン)で初のシングルス優勝、1934年にはついに英国人で初めてウインブルドン大会でシングルス優勝、この後1935・36年にも優勝し、前人未到の3連覇を達成。
1934年には全豪大会、1935年には全仏大会においてもシングルス優勝を飾り、テニスをはじめてわずかの間にグランドスラム(世界四大大会優勝)を達成。
テニス界に一躍名を轟かせた。


フレッドペリースポーツウェア事業の開始
超一流のテニスプレイヤーとして認められていただけでなく、同時にそのしゃれたスタイルからベストドレッサーとしても認められていたフレデリック・ジョン・ペリー。彼は引退後の1940年代後半、当時あまり優れていたとは言えなかったスウェットバンド(リストバンド)の開発を、彼の愛称“フレッドペリー”の名を入れてスタートさせます。
努力のかいあって、そのスウェットバンドは軽く柔らかくしなやかな商品として開発することに成功。
テニスのトッププレイヤーたちが使用し、フレッドペリースポーツウェアが事業として開始されることになりました。
ベストドレッサーとしても認知されていた彼がこれにとどまらず、シャツの製造を開始したことはごく自然な流れであった。この時はじめて正式にウインブルドンから許可を得、今日にも継承される月桂樹のマークが誕生することになります。
そして1952年、英国ロンドンでフレッドペリースポーツウェア社を設立することになります。

フィットするフレッドペリーシャツ
だぶだぶのシャツが溢れていたこの時代のテニスウェアに対し、体にフィットするシャツは革新的でカッコ良く、多くのテニスプレイヤーから重宝がられました。
自らもテニス実況解説時にシャツを着用し、積極的な広告活動を行った。「月桂樹=世界最高のテニストーナメント・プレイヤー」とのイメージが確立し、人々はこぞってフレッドペリーのシャツを求めるようになります。
その後もウインブルドン大会がテレビで放送され、シャツの問い合わせはますます増えた。英国国内大手のスポーツショップが取り扱い、話題が話題を呼び、フレッドペリーのシャツはいつしかスポーツブランドとして確立していくことに。
「女王様、このシャツはフィットするのです。」この言葉はウインブルドン開会式に来賓として招かれた、かのエリザベス女王がフレデリック・ジョン・ペリーに対し、「フレッドペリーのシャツは、ほかのシャツよりどの点で優れているのですか?」という問いに対する彼の自信に満ちた返答です。
エリザベス女王が話題にする程、フレッドペリーのシャツは英国で浸透していきました。

カーナビーストリートからの発信
事業が大きくなると、必然的にシャツのバリエーションが検討されるようになります。
まずホワイトが主流のシャツにカラーバージョンが誕生し、そして襟にラインの入ったタイプも誕生します。
これがフレッドペリーのその後を大きく変えることになるのです。
1960年代当時“モッズ”と呼ばれていた英国の若者文化はファッション・カルチャーの最先端であり、その動向は世界中の若者に大きく影響を与えていました。
ブーツにジーンズ、細身の三つ釦スーツやジャケットをはおり、インナーにフレッドペリーシャツをトップボタンまで締めて着る、というスタイルが彼らの間で流行。
テニスシャツとして充実した機能性とバリエーションを持ったフレッドペリーシャツは、彼らのニーズに見事にフィットしたのです。
このようなファッションはロンドンにある若者ファッションの代名詞カーナビーストリートから、世界中に波及していったことはあまりにも有名であり、ビートルズやThe Jam、日本ではGSブームに反映されていった。
このようにしてフレッドペリーはスポーツウェアとして、またファッションアイテムとして、双方から認められるはじめてのクロスオーバーブランドとして確立することができたのです。

日本でのフレッドペリー
日本においては1970年にはじめてフレッドペリーが上陸。
「ウインブルドンの名品・日本に上陸…胸に輝く栄光の16葉」をキャッチフレーズに、白を基調とした気品あるテニスウェアとして広く認知されていきました。
1972年にはデビスカップ日本チームの公式ユニフォーム、1976年からはフレッドペリージャパンオープンとして国際テニス大会を開催するなど、テニスブランドとして確固たる地位を築いていきます。
そしてポロシャツブーム。1980年代から1990年代前半にかけて若者を中心に、月桂樹のワンポイントの半袖ポロシャツが何度かブームとなり、1990年代半ばからはスポーツカジュアルウェアとして、テニスだけでなくトータルスポーツファッションを目指し、さらに躍進していきました。

ヴィンテージファッションから隆盛
昨今の若者のファッションスタイルは流行の移り変りが激しい。
しかし、ヴィンテージファッションはある種カルチャーとして定着していることは世界共通と言えます。
そのような中で、英国では1999年にロンドン・コベントガーデン、2000年にマンチェスターにフレッドペリーショップがオープンしました。
レトロスポーツ感覚のアイテムが、ヴィンテージ志向の強い若者が求める需要を満たし、英国でフレッドペリーはヴィンテージファッションブランドとして改めて注目されるようになった。
日本においても、若者のヴィンテージ志向は近年定着しています。
このような背景の中、フレッドペリー・ヴィンテージポロシャツが日本で復刻版(MADE IN ENGLAND)としてインポート発売。
1960年代モッズたちに愛されていたフレッドペリーポロシャツを、素材感・タグ・ロゴマーク・シルエットなどを当時そのままリアルに復元。
日本でも時代の流れに合わせ、当然のことのように若者に受け入れられた。ポロシャツに次いでジャージなども発売されました。
2002年、フレッドペリーは事業開始から幾多の変遷をへて、記念すべき50周年を迎え、現在では商品構成において世界戦略のもとに、ワールドワイドな商品を世界中で同時に展開してています。
[ Profile ]
フレデリック・ジョン・ペリー:Frederick John Perry
出身地:イングランド・ストックポート

1909年
・5月18日、イングランド・ストックポートにて誕生

1928年
・卓球の世界チャンピオンとなるもすぐに引退
 テニスを始める

1931年
・男子テニス国別対抗戦・デビスカップのイギリス
 代表に初めて選出される

1933年
・イギリス代表、デビスカップで初優勝を飾る
 フレッド・ペリーは代表を勝利へと導く貢献を果たす
・全米選手権優勝

1934年
・全豪選手権優勝
 (対戦相手:ジャック・クロフォード / 豪)
・ウィンブルドン選手権優勝
 (対戦相手:ジャック・クロフォード / 豪)
・全米選手権優勝
 (対戦相手:ウィルマー・アリソン / 米)

1935年
・全仏選手権優勝
 (対戦相手:ゴットフリート・フォン・クラム / 独)
 前人未踏の4大大会制覇、グランドスラム達成
・ウィンブルドン選手権優勝
 (対戦相手:ゴットフリート・フォン・クラム / 独)

1936年
・ウィンブルドン選手権優勝
 (対戦相手:ゴットフリート・フォン・クラム / 独)
・全米選手権優勝(対戦相手:ドン・バッジ / 米)
・プロテニスプレーヤーに転向

1939年
・肘の骨折を期に、プロテニスプレーヤーを引退

1940年代後半
・スウェットバンド(リストバンド)の
 開発・販売を開始

1952年
・フレッドペリースポーツウェア社を設立

1975年
・国際テニス殿堂入りを果たす

1984年
・ウィンブルドンのサマセット・ロードの入場口が
「フレッドペリー・ゲート」と改名
 同時に彼の銅像も設置される

1995年
・オーストラリア・メルボルンにて死去(享年85歳)


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