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病気がちな妹のために自作の物語をよく書いていた小夜が、本格的に綴り方(作文)に目覚めたのは、ある奇妙なきっかけからであった。 飛び石連休も近いある四月の夕暮れに、小夜はいはれ(芳子)とみくまりの三人で学校がひけてからの長い道草の後の帰り道を急いでいた。 そして、相生の里も近い小径(こみち)で、三人は蛙の合唱の鳴り止まぬ小川のわきを通りかかった。 ──やぁ、今日は蛍があがりよる。 いはれが早足をしばしゆるめて目を細めた。その言葉に、好奇心旺盛なみくまりがすぐに反応した。 ──遅なるけど、ネギとってきて蛍狩りせんか? みくまりの魅力的な意見は、全員一致で賛成だった。小夜たちは時間を忘れて季節より少し早い遊びに興じた。蛍はネギの中で青く光ってうんときれいだった。 ──あぁ、日が暮れるっちゃ。 しばらくして時間を気にしだした小夜が、あとどれほど暮れ残っているかと空を見上げると、たいこうがなるの山の端にある松林の上から、ほうっほうっと光る大きな蛍のようなものがこちらに近づいてくるのが見えた。 ──あーっ。 と思う間もなく三人の目の前で、青い鬼火が十余り、高くもない低くもない中空に乱舞していた。そして、ほど近くにあった墓場の墓石のひとつにとりつくと、橙色の大きな舌のような形に変わって、その表面を舐めるようにして燃え上がりはじめた──。 おそろしさに凍りついたようになっている小夜が、ほんの少しでも恐慌をしずめることができたなら、その時にいはれとみくまりが豊がどうとかと言っているのを聞いただろう。だが、それはまったく彼女の耳に届かなかった。ふたりの友達の手を無理に引いて、どこをどうして帰ったか、家につくなり小夜は39度の熱を出して寝込んでしまった。 さいわいに高熱は翌朝すぐに下がり、次の日から彼女は学校に通えるようになった。 その登校途中で、後ろからのんびりと追いついてきた豊に、すれ違い際に声をかけられたのである。 ──おとついはおどろかしてもうて、堪忍な。 それから分校に着くまでのあいだ、豊は追いすがってきた小夜に発熱の原因の罪滅ぼしとして強行に乞われるがまま、魂が抜け出る実感をまざまざと語らされるハメになった。 豊が淡々と話したのは、こんな不思議な話だった。 ─── わしが生まれてすぐのとき、その時分にはちょうど年子の兄や姉が続いていたから兄弟は皆小さくて、父の兄弟やらの家が連れて行って、お産の済んだばかりの母の代わりに抱いて寝てた。 そしたらなぁ、わしが枕元にくるんだと。そこへ。 母の隣で寝ているはずの生まれたばかりのわしが。 で、その親戚は泣いたんだと。この子はお産で死ぬんだなぁ、こうして魂抜けてきたんじゃ、とっても助かないっちゃ、って。 このときから豊は助からないどころか、あるときは火の玉となって畑に姿を見せ、また不二屋敷の門前にしつらえられる大鳥居の横のサルスベリの木の上に現れたりした。 薄月夜の晩が多くてなぁ。今夜もああなるかなぁなんて心がさわぐとそうなる。 ふっと目が覚めると、しぜんに縁側のところに行っている。気がつくとそのふちに立っていて、庭先に落ちかけているからこわいはずなのに、ちょうどプールに飛び込むように飛び出すと、ふわっと浮いて飛んでいく。とてもいい気分なんだっちゃ。 ただな、ひとにさわがれると面倒で。 火の玉だ火の玉だって石投げるやろ。ちょうど今時分のホタルのころなんかな(笑)。あっちへ逃げようって、足でひとけりすると、ふわーって大きく飛べるっちゃ。 飛んでばかりいると疲れてな。家に帰るときは、ちゃんと歩いていく。 けど、子供らと逢うたりすると、ああ光るものがあるってやっぱり追っかけてくる。つかまりそうになると、さーっと飛んでしまう。そしてどこまでも飛んでいく。気持ちいいっちゃよ。 こんなこと、皆して知っとるわして。 すせりな(綾一郎)のところに飛んでいって、窓をカタカタ鳴らしたりすると、次の朝におまえ昨日の晩にうちに来よろうが、と言うてくるっちゃ──。 だから、不二屋敷では眠っている豊を急に起こしたり、兄弟がその寝顔にいたずらをして面をかぶせたりすることを禁じている。 睡眠中に抜け出した魂が、帰る身体を迷ったり間違えたりして、新たな悶着が起こるのを防ぐためだという。 ─── さて、体がすっかり回復した後、小夜はこの怪しげな土地の住人に怯えるどころか、がぜん興味を覚え始めた。 豊の「飛ぶ」話は、よく聞く魂の抜け出した体験談とは違って、実に生き生きとしたものであるように小夜には感じられた。 なぜなら、自分も魂が抜け出したことがあるとどんなに申し述べる人があっても、他者が同じ時刻に「あ、火の玉だ」と認めて言ってくれないかぎり、自分では知ることができないからである。 さらには、夜毎魂が抜け出る息子の魂魄(こんぱく)の帰り道を父が案じて、そのほかの子供たちに彼の身体を動かすことを禁じているというあたりに、ぞっとするような現実感がある。 これは現代の民話だ、と小夜は直感的に思っていた。 以来、小夜は週末になると、父に車を出してもらって市内にある県立の図書館にまでいって民話の本を読みあさった。 不思議なことに、ひとつの本からは彼女が聞いた話の連れともいうべき民話というものが必ず見つかった。 まず小夜は、抜け出した魂が火の玉として現われるばかりではないことに気づかされることになった。和歌山県出身の著名な民俗学者である南方熊楠の存在も、このときの読書で知った。明治44年(1911)8月の「人類学雑誌」第27号に掲載されている彼の論文には、ほかにも、鼠になった例、白い鳩になった例、さらには猫、トカゲ、コオロギになった例も載せてあるのだった。 これを読んで小夜はすぐに思った。 同じ型の民話がある。 何か意味があるのだろうか。この普遍性が各地域で個人の特性として単発に起きる出来事としての点と点ではなくて、もし線になり、面であることが証明されれば、日本人の民俗性について、なにか明らかになるものがあるのかもしれない・・・・・・。 小夜の休み中の計画はすなわち決定された。 連休のあいだじゅう、小夜は民話や民間伝承のたぐいにどっぷりとつかり、豊だけでなく、人生の体験も豊富である大人たちの話も聞きまわった。 子供への伝承を大切にするこの集落らしく、喜んで語ってくれる人がだいたいであったが、危惧の念を抱く人もいた。 夢の知らせやあの世の話に至ると、急に不安げに渋りだす人。 小夜はそういう人には逆に強硬に語ることをねだった。 小夜の経験によると、このように容易に口を割らない人こそ、そういう世界に浸っている人であり、それだけに小夜のような年端もいかない子供が首をつっこむことをなお案じてしまうのであるらしかった。 しかし、彼女はあくまでもこれはオカルトではなく、現代の民話というべき物語であるという認識でいたのである。 小夜はその日に聞いてきた民話を、残らず帳面に書いて書いて書きまくった──もちろん相生文字で。 本日の日記--------------------------------------------------------- 今日は、自分で挿絵を描いてみたんです。 画像がうまく入るかな? どきどき。 【子育て幽霊】 本文では、全国あちこちで聞かれる魂の抜け出る人の話を書きました。 ですが、全国で語られる伝説としては、子育て幽霊の話が一番有名なものとして挙げられることでしょう。 夜な夜な飴屋に一文銭を持ってひとりの女が飴を買いにくる。七日目、もう金がないので一文ぶん、飴をわけてくれという。飴屋の主人は飴を包んでやり、どうもおかしいと思って女のあとをつけていく。女は寺の墓地の新墓で消えた。掘ってみると、臨月で埋められた女が赤ちゃんを抱いて死んでいた。この子は寺にひきとられ、やがて名僧になったという。 このような話は意外と多いのです。 兵庫県氷上(ひかみ)郡遠阪(とおざか)トンネルは私が鳥取にいた頃の昭和50年代に開通しましたが、ここを通るトラックの運転手さんに聞いた話です。 真夏の深夜、朝来(あさご)郡山東(さんとう)町をはずれたところで、道ばたで困っているような女を運転台に乗せてやる。急に車内が寒くなり、トラックの前方には青い火の玉が飛びはじめた。トンネルを抜け、遠阪の灯が遠く見えるところで降ろしてくれと言うので降ろした。その途端、車内の冷気は消えた。その後、秋のはじめ、どしゃぶりの夕立のあったあと、深夜に女があらわれて但馬から鳥取に乗せた。遠阪から嫁入った女が身ごもったまま離縁され、山東で子供を産んだまま死んだ。その子は鳥取に引き取られた。死んだ母の幽霊は、夜な夜な、鳥取の赤ちゃんに乳をのませに通ったのだという。鳥取兵庫間を行き来するトラックの運転手仲間で、何人もの人がこの女を乗せたという。 もうひとつ、哀切な母の幽霊がいます。 昭和24年の出来事。 昔、鳥取にはイカ船といって水上生活者がいた(イカを追って船を進め家族が船で生活している)。明け方に近い頃、海辺の民宿を営む家に「氷を下さい」と水上生活者らしい女が来たが、「氷は朝にならないと来ないが」と断ると「子供が病気なので・・・・・・」と言う。そこで鮮魚をつけてあるとろ箱の中の、とけかかった小さな氷を拾い集めて渡してやった。朝になると、つり舟のほうで人の声がしたので行ってみると、子供が高熱を出しているという。そこで、馬渕医院へ運ぶリヤカーを貸して、父親に昨夜氷をもらいに来た家かと訊ねると、母親はその子を産んだあと、産後の肥立ちが悪くすでに何年も前に死んでいるといった。しかし、父親が不思議に思っていたのは、「子供の額にのせる手ぬぐいをひたした水が、なまぬるいはずなのにある時から手が切れるほど冷たかったのです」と。 私はこの話が忘れ難かった。 遠い伝説のなかの子育て幽霊が、この現代にも鳥取地方に出現して子供の命を守っている。 なんとも美しく、神秘的な話です。 私はこの話を思うたびに、歌舞伎十八番「菅原伝授手習鑑」(延享三年竹本座初演)の一節を偲ぶのです。 いろは書く子はあへなくも 散りぬる命 是非もなや あすの夜たれか 添乳せむ 憂き目みるは親心 剣と死出の山路こへ あさき夢見し心地して 跡は門火にゑひもせす 今日は故郷と立ち別れ 鳥辺野さして雲隠れなむ── 明日は●妖狐三話●です。 小夜がほんとうにほんとうに不思議な体験をします。 もちろんこれも実際にあった話ですよ。 タイムスリップして、あなたも狐に化かされにきなんせ。 狐も狸も──みんなで化かされれば怖くない(笑)! ◆お読みいただけたら人気blogランキングへ 1日1クリック有効となります。ありがとうございます。励みになります! お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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