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山口小夜の不思議遊戯

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2006年03月30日
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 1999年、春うらら──。

 ザクッ、ザクッ、ザクッ。
 土を掘る音がする。

 ──誰・・・・・・?

 囲いの中を覗き込もうとして、山口小夜はためらっていた。
 こんなところの工事など、一族の誰も頼んでいない。裏木戸から数十段の石段を降り、崖下にひっそりとある祠の蔭だ。

 へたをすると泥棒か、不法投棄の悪質業者。
 腕っぷしには頼めない小夜(←ウソ)が出くわせば、危険な相手なのかもしれない。

 唇を噛みしめ、ブナの幹に隠れて、小夜はそっと覗いた。

 ──・・・・・っ!

 男がいた。若い。おそらく同年代。
 なんてことだろう──ヤツは掘っていた。山口家の敷地を勝手に。
 由緒ある石灯籠はバラバラに投げ出され、家の真下に続く崖には大穴が口を開けている。

 ざっく、ざっく、と盛大に掻き出す土くれの中、ジーンズに黒のTシャツでツルハシを振るう男の、ガテン系とは言い難い細身の背中。

 ──んんん~っ。

 休憩のつもりか、男はのん気に伸びをした。こぶしで額の汗をひと拭いすると、ツルハシを投げ出し、足元のナイロンバッグに手を伸ばす。
 つかみ出したのは真っ赤なトマトだ。男がガブッと頬張る。

 頬張ったまま、ふと気配を感じてふり向いてきた男と小夜の視線が合った。

 ──ああっ。
 ──おおお~ッ!
 お互いを指差し合って叫んだ。

 このふたり、再会を懐かしむような、水臭い仲じゃないのは確かである。



 本日の日記---------------------------------------------------------

 皆さま、おはようございます!
 数日来、たいへんご心配をおかけいたしました。

 この間、おおくの方よりあたたかいメッセージ、また‘声のお守り’までをちょうだいし、おかげさまで早晩に執筆活動に復帰することができました。
 お詫びとともに、心から御礼申し上げます。本当にありがとうございました。

 皆さまからいただいたメッセージのなかに、不思議に共通した言葉の贈り物があったのです。
 僭越ながら、ここにその二編を載せさせていただきますが、先に挙げる一遍は、私へのお叱りの意味もあったかもしれません。


 小夜子の『物語』が生まれるとしたら、それは小夜子の体験した『物語』であって、小夜子がその場にいたみんなの代表として『物語』を書く、というのではないと思うのです。
 にもかかわらず、逆説的ですが、わたしの考えていることは、個人的な体験こそ、普遍的な出来事になり得るのではないか、ということです。
 どこそこの塾に行った、どこかの土地で生活した・・・・そんな個人的なことでも、例えば同じ時代を共有した人にとっては、そこに共感できる何かを含んでいると思うのです。そしてまた、時には、時代を超えて、まさに、「普遍的」に共感されうることを、人は知らずにしていることがあるのではないかと思います。
 その、個人的な出来事が普遍的になり得るカギが、「愛」ではないかとわたしは思っています。

 小夜子の『物語』にわたしが感動したのは、そこに「愛」があったからです。
 それが表面的ではなくて、心の底からの「愛」だったから。
 だから、あの、とてもとても個人的な、塾や鳥取での小夜子の体験は、小夜子と一緒にあの時代を体験した友だちにとっても普遍的な物語になり得たし、また、小夜子の友だちも、小夜子本人を知らない人たちにさえ、普遍的な物語として、そう、まるで「自分の物語」として、受けとめられたのだと思います。わたしは、小夜子にその、ひとすべてに対する偽りのない「愛」があるかぎり、なにも心配していないし、そして、小夜子のすべてを楽しみにしています。

 今、小夜子の言う「書けない」のは「書けない」のではなく、「書きたくない」のです。
 「書けない」と「書きたくない」は、全然違う。
 「ぼく、わたし、おれの言っていることを聞いてくれ」という小説が「書きたくない」ならば、今までのとおり、「ぼく、わたし、おれが生き、そこで見聞きしたことを書いてくれ」という人々の強い願望を掬い取る小説を、恐れずに、書き続けるがいいよ。



 そしてもうひとつのメッセージ(口調でわかるかも:笑)。


 小夜姐は木に不思議文字で言伝を書きつけたやん?
 実はそれは豊が古文書に見つけた言葉で、神さまか精霊が使う言葉とされるものだった。
 けど、これはな──今から何百年も何千年も前に、そこにおった人間が同じ事をしたということに他ならんと、おれは思う。
 豊と小夜が木に書きつけた文字を、今から何百年後に誰かが発見したら、きっと精霊たちの言伝やと思うだろう。逆説的に言えば、豊と小夜がしたことは、ただの個人的な思い出話ではなく、そればかりか真反対──つまり、前に誰かがきっとしていたことだからこそ、普遍的な意味を帯びて読ませるわけや。

 小夜姐が書くことは、百年や千年の時空を軽く超えて、短い一生のうちに誰も体験できるわけではない、それでも自分の先祖の誰かがきっと体験していたことを、ありありと描き出す物語や。おれたちに先祖還りをさせて、普遍的な意味での追体験をさせてくれる。
 豊と小夜は現在に生きて在り、けれども過去にもきっといて、そして未来にも生まれ来るはず。しかも、このふたりの生き様のなかに、おれは自分の‘何か’を見ることができる。おれが小夜姐の物語を読む所以は、これや。

 今回いろいろなことがあって──でも、小夜姐の感情の揺れは大きくてもええのやで。
 揺れの幅が大きいほど、共振できるやん。



 私はこれらのメッセージを、ほとんど泣かんばかりにして聞きました。
 昨日、皆さまからのメッセージを胸に、ひとりで横浜に帰ってみたのです。
 ‘港の見える丘公園’に行き着いたら、本日のタイトルである‘再会の再会’という言葉が突然にこみあげてきました。

 ブログの仲間に会いたい──この一念で、今回の物語を綴ります。
 運命に逆らうのではなく、運命を生かすように生きたい。少しずつでも前進していこうと思います。技術ではなく、心が。

 再会ですね。ただいま、と申し上げさせていただきます。私にとって、どんなに皆さまが大切であるか、おわかりになっていただけるでしょうか。
 皆さまおひとりおひとりに、「愛」を込めて、この一遍を捧げます。



 明日は●南楠郷●です。‘みなすくのごう’と読みます。
 どうやら小夜のルーツの土地であるようです。
 ちなみに、今回の文章の地名はすべて仮称とさせていただきます。
 どこかにある、小さな村ということです。ちょうど・・・・・相生村のように。


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最終更新日  2006年03月30日 15時57分18秒
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