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カテゴリ:タ行の著作者(海外)の書評
18歳でわたしは年老いた―。あの青年と出会ったのは、靄にけむる暑い光のなか、メコン河の渡し船のうえだった。すべてが、死ぬほどの欲情と悦楽の物語が、そのときからはじまった…。仏領インドシナを舞台に、15歳のときの、金持の中国人青年との最初の性愛経験を語った自伝的作品。センセーションをまきおこし、フランスで150万部のベストセラー。J・J・アノー監督による映画化。(「BOOK」データベースより)
■デュラス:愛人・ラマン(河出文庫,清水徹訳) ◎恋人ではなく、愛人 マルグリット・デュラスは1914年に、仏領インドシナ(現ベトナム)で生まれました。18歳のときに大学進学のためにフランスにわたっています。29歳で「あつかましき人々」を書いてデビューしました。実質的な文壇デビューは、『太平洋の防波堤』(河出文庫、初出1950年、36歳)からです。 そしてデュラスの代表作『愛人・ラマン』(河出文庫)を発表したのは、70歳のときでした。舞台は出生地の仏領インドシナです。 ――『愛人』では作者は若かった自分を本当に愛している。振り返って慈しんでいる。男物のソフト帽をかぶった若い自分の姿を目を細めて見ている。その一方で、あの歳であの状況を生き抜くことがどんなに大変だったかを思い出している。若かった自分への共感がある。(『池澤夏樹の世界文学リミックス』河出書房新社P45より) 『愛人・ラマン』はデュラスの自伝的作品といわれています。河出文庫のカバーは、18歳の著者自身です。タイトルとこの写真だけで、舌なめずりして買い求める人もいるでしょう。ところが本書は難解です。主人公が語り手なのですが、ときどきちがう人称がはいりこみます。時間も現在から、いきなり過去へととびます。幻視や幻聴が混入します。1文は短いものですが、著者の気まぐれにつきあう根気が必要になります。文体について小川洋子は、つぎのような指摘をしています。 ――高温多湿のじめじめしたインドシナで、支配層の白人でありながら、貧乏にあえいでいる。お金にも愛情にも飢えている。『ラマン』には、圧倒的な閉塞感があります。『ラマン』は回想形式を取っていますが、ほとんど現在形の文章で書かれています。ですから、いままで目の前でそれが起こっているかのようです。イマージュという言葉がよく出てきますが、遠い過去の出来事ではあっても、映像は自分の頭の中に生き生きと残っているのだと、主張するかのような、さらに自分自身に言い聞かせるような文体になっています。(小川洋子『心と響き合う読書案内』PHP新書P47より) ストーリーは単純です。15歳の主人公は、母と2人の兄と現ベトナムで暮らしています。母はフランス語学校を、創設することを夢見ています。そのための土地を求めるのですが、海水に浸かってしまうような価値のない物件をつかまされます。一家は貧乏です。長兄は排他的で、アヘン中毒です。なけなしのお金を盗んだり、次兄に暴力をふるったりします。 母は長兄だけを、溺愛しています。そして植民地に暮らす、白人としての誇りを堅持しています。母親はどこか狂気じみていて、それがしだいにエスカレートしてゆきます。 そんななかで15歳の少女は、裕福な中国人の青年に見初められます。青年に誘われて、少女の家族みんなで食事にいきます。母も2人の兄も、青年を完全に無視してがつがつと食べるだけです。 やがて少女と中国人の青年は、深い関係になっていきます。2人の関係について池澤夏樹は、つぎのように書いています。 ――十代の若い娘が親しくなった男を愛人と呼んでいるんだ、恋人ではない。そういう仲ではない。このあたりは「愛人」という言葉を選んだ、訳者清水徹のセンスのよさだ。なぜ恋人ではないかというと、あまりに多くのものが二人を隔ているから。男はヒロインより歳がずっと上だし、ずっと富裕で、人種も違い、この仲がどうにもならないものだと二人ともわかっているから。(『池澤夏樹の世界文学リミックス』河出書房新社P43より) ◎最初に『太平洋の防波堤』を読む ――それにしてもデュラスというのは、かなり、というよりも異様に自己愛が強い女性である。女流作家というのは、たいてい自己愛が強いものであるが、彼女の場合は少々度が過ぎているといってもよい。この『愛人』という本は、最初写真集として企画され始めたそうだ。彼女は十五歳の自分の顔が好きでたまらない。十六歳はもっと気に入っている。これほど美しくてこれほど中身のある少女は見たことがないでしょう、と他人にも教えたいわけである。(林真理子『名作読本』文春文庫より) 本書には何箇所か、写真についてのコメントがはいりこんでいます。読みながら私も、不可解な思いになりました。最初は写真集の企画であったことについては、訳者の清水徹も解説のなかでふれています。 デュラス『愛人・ラマン』については、たくさんの作家や書評家が解説を書いています。それらのいくつかを紹介させていただきます。 70歳のデュラスが『愛人・ラマン』を著した意義について、2人の作家はつぎのように書いています。 ――この作品は、七十歳で十代のことを書いたという時の隔たりを感じさせません。つい昨日体験したかのような生々しさがあります。辛い少女時代と決着をつけるためには、「書く」ことが必要だったのでしょう。あの時代のことを忘れるのではなく、もう一度体験し直すことによって、過去と折り合いをつける。つまり「書く」とは、再体験することなのかもしれません。(小川洋子『心と響き合う読書案内』PHP新書P48より) ――「隠された時期」の体験を、七十歳になってからのデュラスがやっと書いたことが成功の一つの原因である。そのことが、「劇化された語り手」としての「内在する作者」を現実の人間とは別のものとし、より優れた「第二の自己」を作ったと言える。読者が主人公の少女へ安易に感情移入できないことも成功の理由であろう。(筒井康隆『本の森の狩人』岩波新書P108より) 本書の読み方についてふれた文章もあります。 ――ヴェトナムでの情事が話題になりがちな小説ですが、渡欧後にヒロインが体験した波瀾も、ちゃんと語られています。この女の子の情事を語っているのが、そういった経験を経て老境に達しつつある大人の女性であることを、つねに意識して読むのがいいのではないかと思います。(千野帽子『世界小娘文学全集・文藝ガーリッシュ舶来篇』河出書房新社P103より) 私は『愛人』を読んだ後に、続編でもある『北の愛人』と『太平洋の防波堤』(ともに河出文庫)を読みました。この読み方は正しくなかったようです。瀬戸内寂聴は「私の選んだ文庫ベスト3」として、マルグリット・デュラス作品の『愛人』『モデラート・カンタービレ』『太平洋の防波堤』をあげ、つぎのように書いています。 ――『愛人』の背景になる母親の破滅的な防波堤事件を最初に書いたのが『太平洋の防波堤』である。仏領時代のベトナムで不毛の土地を買わされた母親の悲劇はデュラスの家に実際に起こった事件である。デュラスはこの作品によって文壇で、「当代最良の女流作家」という称号を手に入れることになる。デュラスを読むにはこの一作も是非とも読んでおかなければならないだろう。ここにデュラス作品の人物の原型がほぼ勢揃いしているからである。いわばデュラスへの入門の書ともいえよう。(瀬戸内寂聴、丸谷才一編『私の選んだ文庫ベスト3』ハヤカワ文庫より) 『愛人』のような作品は、あの時代に生きたデュラスでなければ書けません。支配されているベトナムで、支配している側の白人の住人として暮らしている。しかもその家族は詐欺にあってどん底の生活をしている。それでも住民たちには、近寄りがたい存在なのです。唯一接近を許されるのは華僑である富豪の中国人だったわけです。絶望のなかでのプライド。それは15歳の少女にも遺伝子としてありました。 くりかえしになりますが、まずは『太平洋の防波堤』から読んでください。瀬戸内寂聴の教えは、守らなければなりません。 (山本藤光:2013.12.14初校。2015.03.20改稿) お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2017年11月15日 08時27分14秒
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