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2015年05月06日
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独創的かつ大胆な発想とレトリックを駆使、ルネッサンス期に生きたレオナルド、ルター、更にポー、ゴッホら二十二人の巨人達を俎上に載せ、滅亡に瀕した文化の再生の秘密を探る。戦時下、自由な言論が窒息するなかで書き継がれた本書には、目前に迫る滅びから必死の反撃を試みんとする比類のない抵抗精神と、生涯を貫く「近代の超克」への強烈な意志が凝縮している。花田清輝の代表作にして古典的名著。(「BOOK」データベースより)

花田清輝『復興期の精神』(講談社文芸文庫)
はな花田清輝:復興期の精神.jpg

◎楕円のレトリック

 大学時代の私は、超貧乏学生でした。そんな私ですがアルバイトをしながら、『花田清輝著作集』(全7巻、未来社)を揃えました。卒論が安部公房だった関係で、どうしても避けて通れない人だったのです。安部公房は花田清輝を尊敬していましたし、大きな影響を受けています。

『復興期の精神』(講談社文芸文庫)は、1946年に発行されています。実質的には第2評論集なのですが、この著作で一躍脚光を浴びたので、デビュー作ととらえられています。幻の名作といわれた処女評論集『自明の理』は、学生時代ずっと入手できませんでした。それが1977年に『花田清輝全集』(全15巻+別巻2巻、講談社)が刊行され、第2巻「復興期の精神」に所収されたのです。

 戦時中の花田清輝について、書かれた坂口安吾の文章があります。紹介させていただきます。坂口安吾は花田清輝『復興期の精神』が誤読されるのを恐れて、つぎのように書いています。

――ファンタジイを見るのみで、彼の傑れた生き方を見落してしまふのではないかと怖れる。彼の思想が、その誠実な生き方に裏書きされてゐることを読み落すのではないかと想像する。(坂口安吾『花田清輝論』青空文庫より)

 そしてつぎのようなエピソードを紹介しています。

――彼は戦争中、右翼の暴力団に襲撃されてノビたことがあつた筈だ。戦争中、影山某、三浦某と云つて、根は暴力団の親分だが、自分で小説を書き始めて、作家の言論に暴力を以て圧迫を加へた。文学者の戦犯とは、この連中以外には有り得ない。/花田清輝はこの連中の作品に遠慮なく批評を加へて、襲撃されて、ノビたのである。このノビた記録を「現代文学」へ書いたものは抱腹絶倒の名文章で、たとへばKなどといふ評論家が影山に叱られてペコ/\と言訳の文章を「文学界」だかに書いてゐたのに比べると、先づ第一に思想自体を生きてゐる作家精神の位が違ふ。その次に教養が高すぎ、又その上に困つたことに、文章が巧ますぎる。つまり俗に通じる世界が稀薄なのである。(坂口安吾『花田清輝論』青空文庫より)

 講談社文芸文庫の巻末参考資料のなかに、花田清輝自身はつぎのように書いています。

――戦争中、私は少々しゃれた仕事をしてみたいと思った。そこで率直な良心派のなかにまじって、たくみにレトリックを使いながら、この一連のエッセイを書いた。良心派は捕縛されたが、私は完全に無視された。今となっては、殉教面ができないのが残念でたまらない。思うに、いささかたくみにレトリックを使いすぎたのである。(巻末「初版跋」花田清輝より)

 花田流レトリックについては、百目鬼恭三郎がわかりやすい解説をしています。引用させていただきます。

――転形期を捕まえるには、事実というひとつだけの焦点をもって円をえがいていてはだめで、虚と実、二つの焦点をもって楕円を描かなければならない。ところが世間は単円主義者ばかりで、事実の論理しかうけつけない。したがって、この世が楕円であることを彼らにわからせるには、論理ではなく、虚を実のようにのみこませるレトリック(修辞)によるほかはない、というのが花田の文学論であるようだ。(百目鬼恭三郎『現代の作家一〇一人』新潮社P162より)

◎言論弾圧を逃れるため

 花田清輝は難解だという人がいます。しかしそれは大いなる誤解で、非常に歯切れのよい、わかりやすい文章です。長くなりますが、1例を示します。「極太・極小―スウィフト」の章では、こんなことが書かれています。

――習慣とは何か。ドストエフスキーの『悪霊』の冒頭に、ガリヴァが小人国から帰ってきたとき、自分だけすっかり大人気どりで、ロンドンの街をあるきながら、通行人や馬車に向かって、さあ、どいた、どいた、用心しないか、うっかりしているとぶっつぶすぞと怒鳴りつけ、人びとから冷笑されたり、罵倒されたり、無作法な馭者などからは鞭でなぐられさえした、まことに習慣の力は恐ろしいものだ、というようなことが、もっともらしく書いてある。ところが、これがドストエフスキー一流の出鱈目で、『ガリヴァ旅行記』によれば、主人公が錯覚をおこし、そういう侮蔑をうけるのは、小人国からではなく、大人国から帰ってきたときのことなのだ。まるで反対である。大人ばかりみなれていたために、普通人まで小人のように感じた、というのがスウィフトの論理なのだ。(本文P125より)

 このあとに、なぜドストエフスキーは錯誤したのか、の論考がつづきます。そして突然、ユークリッドが登場します。花田清輝の著作を読んでいると、知らぬ間にとんでもない世界に迷いこむことがしばしばあります。

 前記「楕円」の考えについては、「楕円幻想 ─ ヴィヨン」の章にくわしく書かれています。ここでは最初に「円は完全な図形であり、それ故に、天体は円を描いて回転する」というプラトンの説と、デンマークの天文学者ティコの予言「惑星の軌道は楕円を描く」をならべて提示します。それからコクトーは神戸で、日本のこどもが路上に完全な円を描くのをみて、感動したというエピソードが紹介されます。そして核心部分に筆が進んでいきます。

――「焦点こそ二つあるが、楕円は、円とおなじく、一つの中心と、明確な輪郭をもつ堂々たる図形であり、円は、むしろ、楕円のなかのきわめて特殊なばあい、── すなわち、その短径と長径とがひとしいばあいにすぎず、楕円のほうが、円よりも、はるかに一般的な存在であるともいえる。(本文P221より)

『復興期の精神』には引用例のほかに、ダンテ、レオナルド。ポー、ゲーテなど22人のヨーロッパの文化人がとりあげられています。いずれも楽しいエピソードをちりばめながら、花田節が炸裂します。それぞれは短い章だてなのですがまるで寄木細工のように、たくさんの人物や作品がもちいられています。

 丸谷才一も著作『文学のレッスン』(新潮文庫)のなかで書いていますが、花田清輝の文章は「曲がりくねってどちらともとれ」ます(本文P194より)。これは本人が書いているように、言論弾圧を逃れるための手段だったのです。したがって読者は虚と実を、しっかりと読みこむ必要があります。そんな楽しみが花田清輝の著作にはふんだんにあるのです。

◎追記:花田清輝『復興期の精神』のこと

朝日新聞に作品社の増子信一さんが、花田清輝『復興期の精神』(講談社文芸文庫)について書いていました。本書は「山本藤光の文庫で読む500+α」で取り上げています。増子さんは次のように時代を語っています。

――1970年代の初めは「埴谷千年、吉本万年」という言葉がまだ生きていて、埴谷雄高『幻想のなかの政治』、吉本隆明『共同幻想論』がもて囃されていた。(朝日新聞2019.04.17)

このあと増子さんは、
――花田・吉本論争でコテンパンにやられたオールド・左翼、花田を読んでいると白眼視されること必至。
と書いています。しかし私同様、花田清輝によって読書の幅が拡大したとも添えています。若い人にはぜひ読んでもらいたい作家が、花田清輝です。埴谷、吉本よりもずっと知的だと、私は信じています。もっとも二人はほとんど読んでいないのですが。
山本藤光2019.04.22

(山本藤光:2012.07.24初稿、2018.02.20改稿、2019.04.21追記)









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最終更新日  2019年04月21日 10時04分56秒
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