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カテゴリ:国内「ち・つ」の著者
幸か不幸か生まれながらのテレパシーをもって、目の前の人の心をすべて読みとってしまう可愛いお手伝いさんの七瀬――彼女は転々として移り住む八軒の住人の心にふと忍び寄ってマイホームの虚偽を抉り出す。人間心理の深層に容赦なく光を当て、平凡な日常生活を営む小市民の猥雑な心の裏面を、コミカルな筆致で、ペーソスにまで昇華させた、恐ろしくも哀しい本である。(アマゾン内容案内より)
筒井康隆『家族八景』(新潮文庫) ◎「家政婦は見た」を凌駕した 『野生時代』(2013年8月号)で「筒井康隆特集」が組まれました。非常におもしろい、インタビュー記事がありました。本稿に加筆することにしました。以下ポイントのみ引用します。 (引用はじめ) 質問者:既存の小説技法に飽き足らず、つねに新しい小説の形を探究し続けていらっしゃいます。筒井さんを駆り立てているものは何でしょうか。 筒井:これはやはり読者を楽しませたい、読者を喜ばせたい、読者を笑わせたい、そして何よりも読者をびっくりさせたいという強烈な思いがぼくを駆り立てているんだと思います。 質問者:筒井さんの作品に共通する批評精神と、読者を喜ばせることを「両立」させるコツのようなものをぜひ教えていただきたいのですが。 筒井:今までの小説になかったものを殊更に書こうとするのが、それまでの小説に対する批判になります。そうした冒険は、何度も繰り返してやるものではなく、今までの小説の欠点を次次に批判していくうちに、結果として常に新たな冒険をすることになり、これがどうも読者を喜ばせるようですね。 (引用おわり) この記事を読んでから、これまで「七瀬3部作」としてひとまとめで推薦していたものを、改めることにしました。ひとまとまりだったピースがはじけとんだのです。インタビューの最後に力強い筒井康隆の宣言がありました。「同じ手法で書かないというのは自分に課したこと」である、と胸をはっているのです。 それなら「七瀬3部作」を、別々に評価してみようと思いました。それが改稿の理由です。これまで私は「絶対におもしろい『七瀬3部作』」という見出しで、本稿を書いていました。筒井宣言をうけて、3作品をばらばらに評価することにしました。それが新たなタイトル「家政婦は見たを凌駕した」の意味です。 私は『家族八景』(新潮文庫)の後続作品を、あまり高く評価していません。私という読者は、筒井康隆の新しい仕かけになじめなかったのです。したがって、本稿を『家族八景』のみにしぼって、紹介させていただくことにしました。 本谷有希子は『野生時代』(2013年8月号)のなかで、『七瀬ふたたび』の読後感をつぎのように書いています。 ――「この小説を永遠に読み終わりたくない」と葛藤したのは初めてです。あんなに胸がひき裂かれる読書体験は一度きり。当時、私は枕に顔を埋めて、もうすぐ読み終わってしまうことの悲しさに涙を流しました。 本谷有希子は私が一押しの若手です。彼女のように「七瀬三部作」のすべてに、満足している読者はたくさんいます。 「なにかおもしろい作品はありませんか?」という質問をよく受けます。そんなときには、必ず「どんな本を読みたいのか?」と聞き返すことにしています。せっかく薦めた本が、途中で投げ捨てられる場面を、想像するとたまらないからです。 そして相手のニーズがエンターテイメントであったら、迷わず筒井康隆『家族八景』を薦めています。読んでみておもしろかったら、続編ともいえる『七瀬ふたたび』と『エディプスの恋人』(いずれも新潮文庫)という作品があるので、読んでみたらいい。これらは「七瀬3部作」と呼ばれる筒井康隆の代表作なので。 おそらくこのような推薦の仕方になると思います。 テレビドラマに「家政婦は見た」という、人気シリーズがありましたが、『家族八景』の主人公・火田七瀬もお手伝いさんです。しかも美貌の精神感応能力者(テレパス)なのです。おそらくテレビの方は、この作品をヒントにしているのだと思います。 ――他人の心を読み取ることができる能力が自分に備わっていると自覚したのがいつだったか、七瀬は記憶していない。しかし七瀬は、十八歳になる今日まで、それが特に珍しい才能であると思ったことは一度もなかった。(本文より) 七瀬は自分の超能力を、相手に隠しつづけます。もしも相手の心を読んで望むとおりのことをすると、「なぜそんなに勘がいいのかと怪しまれる恐れが」あるからです。したがって七瀬は、ときどき「故意のとんちんかんを演じなければならな」りません。 七瀬の読心には、多少の努力が必要です。また読心に「掛け金をおろす」ことも大切でした。そうしなければ洪水のように、相手の思考が入ってきてしまうからです。 『家族八景』(新潮文庫)には、8組の家庭が登場します。いずれも平凡な家庭です、しかしその裏には、邪心が渦巻いています。それは性的欲望や嫉妬など猥雑なものばかりです。七瀬はそれらにうんざりしています。テレパスであることが露見しないように、七瀬は住みこみでない、お手伝いさんを選んでいます。つまり8つの家族の、日常の姿にスポットがあたっているわけです。 『家族八景』は舞台が家庭だけに、SFとしての仕かけはわかりやすいものになっています。しかもコミカルでどこかシニカルな文体で、平凡な人間の深層心理にせまっています。 ◎筒井ワールド全開ですが 第2作『七瀬ふたたび』(新潮文庫)では、火田七瀬が家政婦を辞めて母の実家に戻る夜汽車の場面からはじまります。七瀬は列車のなかで、同じ超能力を保有する3歳児ノリオに出会います。 ――この子は今、私の心を読んだ。七瀬は全身がしびれるほどの驚きで、なかば自失状態に陥った。男の子の意識野には、七瀬が今思い浮かべたばかりの崖くずれの情景がはっきりと再現され、焼きつけられていたからである。泣いたのはそのためだった。(本文より) 七瀬とノリオたちは途中下車して、危うく難をのがれます。その後の展開は、筒井康隆らしいはちゃめちゃのものとなります。ほかの超能力者があらわれたり、対決したり……。最後は超能力者に迫る国家権力まで登場します。 第3作『エディプスの恋人』(新潮文庫)の七瀬は、高校教務課職員であり、女神に変身します。ホームドラマ(家族八景)が、ハードボイルド(七瀬ふたたび)になり、ギリシャ神話(エディップスの恋人)で完結されます。私は難儀して完結まで読みましたが、本書を紹介した何人かからは「『家族八景』はおもしろかったけど……」と口をにごされました。 筒井康隆は多才な作家ですが、すべてを受けいれられる読者と辟易する読者が、半分ずつくらいかと思います。私は第1作を100点としたら、第2作70点、第3作40点と思っています。 『時をかける少女』(角川文庫)など、話題作は枚挙にいとまがありません。やがて差別用語をめぐって断筆宣言をするのですが、その前後の著作活動をふりかえってみたいと思います。年代はいずれも初出年です。 私は断筆前までの、筒井康隆作品が好きでした。筒井康隆は書き終えた原稿を、「宝石」や「SFマガジン」にもちこんでいました。今では星新一、小松左京とならび、「SF御三家」と呼ばれていますが、苦労した時代が長かったのです。 筒井康隆は1934(昭和9)年に、大阪で生まれました。はじめての出版は、27歳(1961年)のときです。早川書房から『東海道戦争』(現中公文庫)を上梓しています。東京と大阪の間で戦争が勃発します。筒井SFの原点を知るには、貴重な作品です。『時をかける少女』の連載を開始したのは、このころです。 筒井作品のおもしろさは文体そのものだったり、既成概念への挑戦だったり、ストーリー展開だったりします。著者が「停まっている」ときに、読み「進まなければ」追いつけそうにないほど、たくさんの著作があります。 『東海道戦争』の扉書きに、こんな一文があります。 ――「僕の唾棄すべき常識を、/常に破壊してくれた、/三人の弟に――」。 筒井康隆には3人の弟がいました。彼らはそろって、筒井康隆が創刊したSF同人誌「NULL」に参加しています。筒井康隆には、デビュー前から3人の鋭い、読者兼評論家を持っていたのです。そのなかの作品「お助け」が、江戸川乱歩の目にとまりました。残念ながらその作品は、私の目にはとまっていません。 ◎『私のグランパ』は筒井作品ベスト3 『私のグランパ』(文春文庫)はすぐれた作品です。私は『家族八景』(新潮文庫)『時をかける少女』(角川文庫)とともに、筒井作品のベスト3にあげています。 『私のグランパ』の主人公・珠子(8歳)は、父親の日記のなかから「父は囹圄の人であり」という文章を発見します。珠子は「囹圄」の意味を学校の先生に質問します。両親や祖母にも質問します。答えは返ってこなかったり、あいまいなものだったりの連続です。珠子が本当の意味を、はじめて知ったのは小学5年生になってからでした。 「囹圄」は「れいぎょ」または「れいご」と読み、獄舎や牢屋を意味します。珠子が物心ついてから、祖父はずっと家にいませんでした。質問しても、外国へ行っているなどとはぐらかされていました。珠子は、祖父が刑務所にいることを理解します。しかし珠子は中学1年生になるまで、そのことを家族にも黙っています。 珠子の通う公立中学校では、学内暴力が横行しています。また珠子は、いじめにも遭っています。珠子の家は、地上げ屋に脅しをかけられています。さらに珠子の両親の不仲。そんなおり、祖父の謙三が刑期を終えて、家へ戻ってくるとの知らせがありました。それを聞いて、珠子が「グランマ」と呼んでいた祖母は、家を出て行くといいます。 祖父・謙三が出所してきます。珠子の身辺に、新たな紛争の火種が降りかかります。いじめに、「前科者の孫娘」という罵声が加わりました。珠子は祖父を「グランパ」と呼ぶことにします。グランド・パパだから、「グランパ」というわけです。グランパは夜な夜な外出します。 本の帯には、「名作『時をかける少女』から35年―著者、会心の少年少女小説」とありました。私は先入観で、タイムスリップ小説を想像していました。しかしこの作品はそうではありませんでした。15年という刑期を務めたグランパが、娑婆(しゃば)にタイムスリップしてくるのです。そして次々と珠子の周囲の障壁をとり除きます。珠子をいじめていた、木崎ともみが突然謝罪にきます。校内暴力をふるっていた、男子学生が謙三に頭をさげます。 ――「いじめたこと、堪忍してくれるかなあ」あたりに誰もいない、ふたりだけの廊下で、木崎ともみは懇願するような眼を珠子に向け、詠歎するように言った。(本文より) 筒井マジックは、「グランパ」という個性に託され花開きました。筒井作品の魅力は、ミステリーツアーと似ています。目的地が見えにくいのです。 地上げ屋や菊池組組長との対決。祖父が屋根裏に隠した二億円の謎。みかじめ料を要求されるスタンド・バーへの仁義。世間で「ゴタケン」と呼ばれるグランパに降りかかる火の粉。次から次へと仕かけのあるハードルがならべられています。読者は作品に引きずりこまれ、ときには放り投げられます。 冒頭で登場した「囹圄」の2文字が、最後まで作品をひっぱります。未知なる文字が、想像もつかない祖父の生きざまとオーバラップします。原稿用紙150枚ほどの作品ですが、筒井康隆らしい高密度の作品でした。最後まで、作品のなかで重なることのなかった「グランマ」と「グランパ」の出し入れが絶妙で、この作品の大切な隠し味になっている点にも注目です。 (山本藤光:2009.08.04初稿、2015.06.23改稿) お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2017年10月11日 05時03分49秒
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