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カテゴリ:タ行の著作者(海外)の書評
チェスタトン『ブラウン神父の童心』(創元推理文庫、中村保男訳)
奇想天外なトリック、痛烈な諷刺とユーモアで、ミステリ史上に燦然と輝くシリーズの第一集。小柄で不器用、団子のように丸く間の抜けた顔。とても頭が切れるとは思われない風貌のブラウン神父が真相を口にすると、世界の風景は一変する! ブラウン神父初登場の「青い十字架」のほか、大胆なトリックの「見えない男」、あまりに有名な警句で知られる「折れた剣」等12編を収める。(「BOOK」データベースより) ◎得意の警句と逆説 G・K・チェスタトンは、1874-1936年のイギリスの詩人、批評家、小説家です。「ブラウン神父」シリーズがあまりにも有名なために、その他の肩書きを忘れられがちです。しかし、シリーズを読んでいるうちに、詩人や批評家としての慧眼(けいがん)が随所にあらわれてきます。つまり「ブラウン神父」シリーズは、彼の全能力を総動員して書かれているのです。 そのあたりについて丸谷才一は著書のなかで、次のように書いています。 ――チェスタトンの魅力は、まづ何よりも彼の詩にあるのだ。彼のトリックも、彼の神学も、すべては彼の詩のために存在する。(丸谷才一『快楽としてのミステリー』ちくま文庫P374) もうひとつ、G・K・チェスタトンの魅力を、辞書的に確認させていただきます。 ――平凡至極な事柄を取り上げて、その中にひそむ重大深刻な意味をとり出して読者を驚愕させるのが彼の手法で、得意の警句と逆説を縦横に駆使して、才気あふれる鋭利な批評を行った。(『世界文学小辞典』新潮社) 「ブラウン神父」シリーズの魅力は、トリックのおもしろさだとよくいわれます。もちろんそれもそのとおりですが、私は詩的な描写力にも魅力を感じます。そのあたりに触れている文章があります。 ――本作の魅力は、トリックだけではない。そもそも、既に著名な論客で風刺家だった作者がミステリーを書き始めたのは、当時蔑視されがちだった大衆小説に「現代生活の詩的感覚を表現し得る大衆文学」の可能性を見出したからだ。本作の魅力の一つに美しい色彩描写がある。それは芸術を志した作者ならではの手法で、解明された謎や人物の心理と響きあい、豊かな読後感を与えてくれる。(文藝春秋・編『東西ミステリーベスト100』P273) 「色彩描写」の一例を、引いておきます。私が思わず、うなってしまった箇所です。まるで絵の具箱をのぞいているような、感じになります。 ――孔雀のような緑を帯びた空が頭上に完全な丸天井を描き、黒味を増す立木と濃い菫色の遠景に接するところでは、空は金色に映えていた。ほんのりと明るい緑色の空にも、はや、水晶のような星がひとつふたつ、瞬きはじめた(本書P28) もう一つだけ、「ブラウン神父」シリーズの魅力を語った文章を紹介させていただきます。森礼子は北杜夫に勧められて初めて本書を読みました。そのときの感動を、谷沢永一が伝えてくれています。 ――地の文にも到るところに、機智に富んだ表現がちりばめられている。どんな気難しい人間でも、思わず吹き出さずに読み通すことは出来ないだろう。しかも日本で機智というと、単なる駄洒落が多いけれども、チェスタトンの機智には、人間性への深い洞察や鋭い文明批評がひらめいていて、あっと新しく眼を開かれる思いがしばしばする。(谷沢永一『人間通になる読書術』PHP新P120) チェスタトン得意の逆接表現の一例が示されている文章があります。引用する書籍(「探偵小説の弁護」)は持っていませんので、孫引きさせていただきます。 ――探偵とは「独創的かつ詩的な資質に富む人物であり、一方強盗や追いはぎは、ただ鈍重で古くさい、きわめて保守的な連中にすぎず、猿や狼のごとく太古からの因習のなかで嬉々としている」。こうした表現はチェスタトンの際立った才能である。(キーティング『海外ミステリ名作100選』早川書房P46) ◎ブラウン神父登場 チェスタトン『ブラウン神父の童心』(創元推理文庫、中村保男訳)は、1911年(37歳)のときに発表されました。シリーズ第1作「青い十字架」では、その後シリーズを引っ張る3人がロンドンに勢揃いします。 ブラウン神父は、背の高いもう一人の神父とともに、カトリック聖体大会に参加するために列車でやってきます。パリ警察のヴァランタン刑事は、国際的な大泥棒フランボウを追ってロンドン入りします。 パリからロンドンへの移動の列車のなかで、ヴァランタンは間抜けなちびの神父と遭遇します。神父は、 ――車中のひと全員に向かって、わたしはこの茶色の紙包みのひとつに「青い宝石つきの」本物の銀でできた品物を持っているものだから、よくよく用心しないといけない、と白痴同然の単純さで説明するしまつだった。(本文P12) これがヴァランタン刑事とブラウン神父の出会いです。しかし、お互いに、この時点では名前すら知りません。 ヴァランタンには、聖体大会でフランボウが盗みを働くとの確信がありました。フランボウは変装の名人ですが、背がとてつもなく高いという身体的特徴がありました。 ロンドンに着いて、ヴァランタンはレストランで、コーヒーに砂糖を入れました。ところがそれは砂糖ではなく、塩でした。彼は給仕を呼んで、そのことを訴えました。砂糖壷と塩壺が取り替えられていました。給仕はそのいたずらをしたのは、帰りがけに壁にスープをかけた、2人組の神父の仕業だと断定しました。 ヴァランタンは、2人を追いかけました。すると果物屋の店頭でも、商品札が入れ違えられているのに気づきます。やはり2人組の神父の仕業だと店主はいい、「ひとりはのっぽだった」と告げます。ヴァランタンの脳裏に、フランボウの姿が浮かびます。 ◎のっぽとちび 『ブラウン神父の童心』には、12作品が所収されています。そのなかの10作品目(「アポロの目」)を読んだとき、私は思わず「あれ?」と小首を傾げてしまいました。冒頭の作品(「青い十字架」)と同じ描写になっていたのです。 ――ぴったりと寄り添った一群があった。――僧服を着た二人の人物である。(中略)ヴァランタンは、そのうちの一人が連れに較べてやけにちびなことを見てとった。連れの男は学者のように猫背で、その動作は目立たなかったが、身長はたっぷり六フィートを越えている。(P29「青い十字架」) 背の高い神父は、大泥棒フランボウが変装しています。 ――二人の男があった。一人はいたって背が高く、いま一人はいたって背が低かった。(P272「アポロの目」) これもブラウン神父とフランボウが並んで歩いている描写です。しかしフランボウは大泥棒ではなく、改心してブラウン神父の助手になっている姿です。 本書は冒頭から順序よく、読まなければなりません。ブラウン神父の所属が代わり、やがて「J・ブラウン」と明らかになります。改心したフランボウのフルネームも、「アポロの目」で明らかになります。 ◎魂の引き継ぎ ミステリー小説の開祖は、エドガー・アラン・ポオの「モルグ街の殺人」というのが定説です。その後、コナン・ドイルが「シャーロック・ホームズ」を引っさげて登場します。それを横目に見ながら現れたのがチェスタトンになります。その魂はやがて、エラリー・クイーンへと引き継がれます。 日本では江戸川乱歩が開祖となりますが、筆名からも、ポオの影響を受けたことは明白です。 本書を読んだあとで、気になる評論に出会いました。具体的にどの作家のどの作品なのかは、わかりません。 ――収録の「見えない人」(本書のタイトルは「見えない男」。ハヤカワ文庫はこのタイトル)と「折れた剣」の二作は、ミステリー史上もっとも多くの応用作品を生んでいる。(『海外ミステリハンドブック』ハヤカワ文庫P63) イギリスが生んだ偉大な2人の探偵、シャーロック・ホームズとブラウン神父は、世界中の探偵小説作家に大きな影響を与えています。応用作品を探してみるのも、楽しいかもしれませんね。ちなみに私は、小林秀雄が本書の愛読者であると、勝手にしんじています。詳細は、小林秀雄『無常という事』で触れます。ちかいうちに発信予定です。 山本藤光2017.08.06 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2017年11月16日 08時47分23秒
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