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Jan 23, 2014
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カテゴリ:日記

普及について、考える。

冬になると、ヨットハーバーに人がいなくなる。
海の上に、セイルボートが浮かんでいない。

だから不安になって、考えてしまう。

春になったら、ちゃんとみんな戻ってくるんだろうか・・・。

この季節の、僕の悪い癖だ。


---------------------------


僕はセーリング競技が好きというわけではない。

辛いし。
怖いし。

でも、一度はじめてしまったのが、運の尽き。

「負け逃げは大嫌い」という感情だけで、人生のかなり長い時間をこの競技につぎ込んでしまった。

高校も、大学も、2番や3番ばかりだった。
社会人になってからは、スナイプ全日本で早々に勝つことができたが、調子にのって世界へ出たら、負けてばっかし。

負けず嫌いの性格のせいで、この競技から抜け出す時期を見失った。もう意地になって、やり続けるしか仕方がない。



だからなのか。

自分が払った犠牲の大きさゆえに、この国での、セーリング競技の認知度の低さが許せない。昔から、ずっと。

僕が学生時代には、“ニッポンチャレンジ”があった。まだ今よりはマシだった。夢も見れた。

でも、ニッチャレの消滅とともに、セーリングがメディアに登場する機会は激減した。

セーリング競技の認識を一般大衆に広げる可能性は、ここで無くなった、と言ってもいいだろう。


このままで、いいのか。

このブログをはじめたり、KAZI誌での連載を続けたり。それらも、そんな気持ちが動機なのだ。

最初は「僕がこのセーリング界をデザインし直してやる」という意気込みもあった。


いまはどうだ。

やっぱり僕には、力不足の役不足。
思い上がりもいいところ。

何一つ、変えることはできなかった。




長年、海のうえをチョロチョロ帆走り続けて、いま感じていること。

やっぱり、セーリング競技なんて、この国で普及するわけがない。

だって、道具(ヨット)が高額なんだもの。

野球やサッカーだってお金が掛かるのに、それでも一般大衆に愛される庶民のスポーツだ。

ヨットには、どうしても“お金持ちの趣味”という先入観がつきまとう。

欧米のような階層社会なら、セーリング競技に抱くイメージは違うのかもしれない。

でも、ここは日本なのだ。

巨人の星とタイガーマスク。
そして、あしたのジョー。

古来より、この国の競技スポーツでは、その成功とともに貧困から這い上がる姿が、美徳とされてきた。


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大衆は、自分たちと同じ、もしくは自分たちよりも辛い境遇から成功した人間を、評価し、応援し、共感する。(そして、成功しすぎたら、妬む)


「ヨット」という言葉は、庶民には「自分とは住む世界が違う」と連想させる。

外車で乗馬クラブへ通う人。
劇場へオペラを観に行く人。
白いヨットに乗っている人。

受ける印象に、違いは無い。

そんなイメージがはびこる中で、セーリング・アスリートが、一般大衆から共感や評価が得られるだろうか。


このままでは、むずかしい。


でも、ゴルフやフィギアスケートだって、お金が掛かる。
なのに、競技の認知度は、ヨットと比べれば格段に上だ。

何が違うのか。

テレビに映る回数が違う。
新聞に掲載される回数が違う。

セーリング競技は、一般大衆にとっては“見たことがないスポーツ”なのだ。

見たことがないものに、興味を抱くわけがない。
見たことがないものを、はじめるわけがない。

だから、次のように考える。


(1)認知度を上げる為の「見せる(=魅せる)セーリング」
(2)競技者・愛好者を増やす為の「はじめやすいセーリング」


この2つを徹底して追求することが、セーリングを普及するための唯一の策ではないか。


どうだ、違うか?


次回に続く。


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がお~。





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Last updated  Jan 23, 2014 07:24:20 AM


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イダコウジ

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