【MINOLTA SR-1】旧古河庭園の春のバラフェスティバル
今日のブログはバラの写真を撮りに行こうと思っていたのが雨で中止となったので、以前に撮ったバラの写真を載せることにします。2013年6月頃に撮った東京都北区にある都立公園の旧古河庭園でバラの季節になると開催されるバラフェスティバルの光景を載せます。この旧古河庭園の春のバラフェスティバルは、バラの開花期(春バラ/5月中旬~6月、秋バラ/10月中旬~11月)に毎年行われています。1917年(大正6年)に古河虎之助男爵の邸宅として現在の形に整えられた洋館を背景にバラを見るのは大変好評で、多くの人を集めています。ただ見学して楽しむ人、カメラを片手に写真を撮って楽しむ人、筆を持ってスケッチをして楽しむ人など、楽しまれる人は非常に多彩です。東京で人気があるイベントの1つだと思います。使用カメラはMINOLTA SR-1、使用フィルムはKodak GOLD 400です。旧古河庭園は、東京都北区にある都立庭園です。所在地は東京都北区西ヶ原一丁目です。JR京浜東北線の上中里駅、または東京メトロ南北線の西ヶ原駅から歩いて行くことが出来ます。旧古河庭園が公園になるまでには、様々な歴史がありますので簡単に書きたいと思います。明治期の当地は陸奥宗光の邸宅でした。それが宗光の次男・潤吉が古河財閥創業者である古河市兵衛の養子となったため、所有権が古河家に移ります。その後、1917年(大正6年)に古河財閥3代目当主の虎之助(市兵衛の実子)によって西洋館と庭園が造られ現在の形となります(洋館と洋風庭園の設計は、戦前に亘り多くの洋風建築を手掛けたジョサイア・コンドルによるものです)。またここには、それ以外に日本庭園があるのですが、それは近代日本庭園の先駆者として数多くの庭園を手掛けた小川治兵衛の手により作られました。1926年(大正15年)に虎之助夫妻が牛込市谷船河原町に転居した後は、古河家の迎賓館として使用されましたが、第二次世界大戦中は陸軍に接収され、終戦後は連合軍に接収されます。終戦後はイギリス大使館付駐日武官の宿舎などに利用されたそうです。その後、財産税の物納で国有財産になり東京都に無償で貸し出されるようになり、1956年(昭和31年)4月30日に都立公園として開園されることになります。公園になった直後は、洋館は半ば放置された状態で荒廃が進んでいましたが、1982年(昭和57年)から1989年(平成元年)まで7年をかけた修復工事により現在の状態まで復元されました。2006年(平成18年)には、大正時代初期の形式をよく留める庭園が評価され、国の名勝に指定されています。【今回の使用カメラ】【送料無料】【ジャンク】フィルムカメラ レンズ付き【MINOLTA】【ミノルタ】【送料無料】【ジ...価格:6,480円(税込、送料込)カメラのナニワMINOLTA SR-1は(カメラの写真は姉妹機のSR-1sです)、1959年(昭和34年)〜1963年(昭和38年)にかけて5回のマイナーチェンジを繰り返しながら発売された、金属製のマニュアルフォーカス(MF)の一眼レフカメラです。その後ミノルタはMINOLTA SR-3、MINOLTA SR-7を発売しますが、ミノルタは、このカメラをスタンダードカメラという形式で並行して販売したとのことです(調べてみると、最終モデルに関しては、世界で初めてCdS素子使用の外光式露出計を内蔵した一眼レフカメラSR-7の廉価版モデルのためMFカメラではないようです)。このカメラですが、ミノルタが初めて出した一眼レフカメラのMINOLTA SR-2の次に発売されたカメラです。SR-2の廉価版として作られたカメラで、マニュアルフォーカスカメラなので当然の如く露出計はありませんが、SR-2がシャッター速度はBと1秒~1/1000秒であるのに対して、SR-1はシャッタースピードが1/500までと機能が下げられて作られています。金属製のため、非常に重たさを感じるカメラです。現在のオートフォーカスが当然の時代にあって、撮るのに露出計が必要、しかもシャッタースピードが1/500までしかないというカメラのため、中古市場では人気が低く、中古カメラ屋さんでは10,000円以内で、リサイクルショップのジャンクコーナーに至っては、安い物なら1,000円以内で購入可能のカメラです。▼良かったらクリックして下さい。にほんブログ村