もしも世界が10人の村だったら
うちの新体制の始まりは5日から現在は新体制への移行期である。持ち上がりと新入りさんが少しずつ接触をもっていく時期だ。ところが、すでに微妙に摩擦が生じてきているようだ。馴れ合えとは言わない。好き嫌いの感情は誰にでもある。私にもある。言葉を選ばずに言うなら生徒でなかったら歯牙にもかけないであろう者は今までいくらでもいた。だが、私のこの社会での役割は「教え」「諭し」「導く」こと。嫌いだからと無視することでもいじめることでもない。好き嫌いで動いていては誰もついてこない。嫌悪の感情を全ておもてに出すのならば、ただの動物でしかない。人間は社会の中でしか生きられずうちのような家塾ではその社会は小さくもろい。社会が小さいだけに、各々に求められる役割は大きい。先輩は先輩としての役割を自覚して欲しい。子が親を見て育つように塾では、後輩は先輩を見て育っていく。私のように重大な責任を感じる必要はないが、あなたたち一人一人にも相互に成長を助け合う役割は少なからずあるのだ。人が牙を剥くのは、守りたいものを守る時だけで良い。