テーマ:相撲(1569)
カテゴリ:相撲 本&雑誌&映画&TV
その3のつづきです。 元立行司 三十一代・木村庄之助さん *9* 軍配五十年 *最強横綱*強烈 初代若乃花と大鵬 *10* 軍配五十年 *十両格昇進*晴れ姿を見せて親孝行 角界に入って以来、28人の横綱を見てきた庄之助さん。だれが一番強いかについて…。
理由は、「いずれも巡業先のけいこ土俵」なのだそうです。本割りではないところが、なんとも「通」な話です。若乃花の大関時代の巡業先の土俵。迫力と強さに目を見張り、大鵬は、横綱全盛期。柏戸はいなかったものの、佐田の山、栃ノ海、栃光、北葉山、豊山ら横綱と大関だけを相手の申し合い。土俵を譲らなかったそうです。 大鵬さんの稽古の凄さについては、雑誌「相撲」で清国さんが対談中でも語っておられませしたし、いたるところで目にします。一体どんな稽古をしていたのか…。映像があったら見たいみたいです。 大鵬に関しては
上記に述べた申し合いが、1時間も延々と続いたそうですから、それは凄い稽古だったと想像します。「ほかの横綱」との比較が出来るのは、庄之助さんだからこそだと思います。28人もの横綱を間近で見てきた方は、そんなにいないと思います。 土俵態度
総合的に考えて、庄之助さんにとってベスト力士は、初代若乃花のようです。今なら豊真将?などと想像するのですが、庄之助さんレベルになると、また違う見方があるのかもしれないです。 千代の富士が序二段の頃のエピソード
良い根性している、と言うより、無礼者!かもしれないです…。ウルフ…。 関取になる前までは、千代の富士のことを「みつぐちゃん」と呼んでおられたそうで、マージャンも一緒に打っておられたそうです。マージャンも相撲と同じで負けず嫌い…。 ウルフ、北の湖、大鵬さん(打つのか知らないです)、と囲むってどんな感じなんでしょう。想像しただけで怖いんですけど。でも一度くらいなら囲ってみたいかも…。風速どれくらいで囲っているのやら。余談でした。 1970年名古屋場所十両格に昇格
立行司になったとき以上に嬉しかったそうです。 1966年に伊之助さんは他界していたのですが、伊之助さんの奥さんは生きておられ、真っ先に奥さんの所に報告に行ったそうです。秋場所にはご両親を蔵前国技館に招き、晴れ姿を披露したとか…。既にご両親は他界されているのですが、「感謝すると同時に元気なうちに親孝行できてよかったと思っています」とコメントされています。 行司名
伊之助さんが付けてくれた式守正夫のまま十両格に昇格したので、改名を勧められたそうです。「木村庄三郎」はどうか?との案があったものの、伊之助さんが三役格の時「庄三郎」を使用されており、恐れ多く、「正三郎」にされたそうです。1974年名古屋場所から「木村正三郎」と改名。伊之助さんの奥さんに許しを得に行かれたそうです。律儀です。 幕内格に昇格してから庄三郎に改めらました。 番付の誤記により翌3月場所のみ旧名の木村正三郎を名乗ったそうです。BY Wikipedia 豆知識
行司マニアの方には、常識的な話かもしれないですが、知らない事だらけです…。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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