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 月光院璋子の日記  beside you

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Ms gekkouinn

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Aug 24, 2007
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カテゴリ:眼差し
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個人的にお目にかかったことはありません。
けれど、冒し難い世界をお持ちだったゆえに美しい人だという思い---
そういった思いを抱かされた数少ない日本女性のお一人でした。

各紙で追悼文が寄稿されていましたが、
産経新聞のSankeiWebの追悼文が印象に残りましたので、
それを転載させていただくことに。
いまさらご紹介するまでもまい山口小夜子さんですものね。

  **  ***  **

ちょうど2年前の夏。

東京・白金台のホテルに現れた彼女を一目見て、何だかとてもうれしくなったのをおぼえている。「あ、世界のSAYOKOだ!」
切れ長の大きな目。透き通るような白い肌。まっすぐな黒髪。1970年代にパリコレで一世を風靡(ふうび)したころと変わらない、完璧なアジアンビューティーだった。

和やかに世間話をして、いざ撮影に入ろうとした瞬間、部屋の空気が一変した。彼女はまるでコンテンポラリーダンスを踊るように窓辺に近づき、ゆっくりとポーズを取った。足を組んだり、背中を反らせたり…。愁いを含んだ横顔がとても妖艶(ようえん)でドキリとした。窓の外では雨が降っていた。

「典型的な日本人の顔立ちでしょ。日本では最初、全く仕事に恵まれなかったんです」。服飾専門学校で勉強中、偶然モデルの世界に足を踏み入れた。が、必要とされたのは、外国人のような彫りの深い顔のモデルばかりだったという。

ところが、パリは違った。72年に「ジャンマリー・アルマン」のショーで初舞台を飾ると、アルマンのアトリエには、他のデザイナーから問い合わせが相次いだ。
旧来の西洋の美意識を覆す存在として、山口小夜子は欧州ファッション界に“発見”されたのだろう。当時、日本人デザイナーの高田賢三や三宅一生らも、エキゾチックな色彩や布の使い方で、欧米をあっと言わせており、山口は彼らのミューズだった。突然の訃報に三宅は「貴重な、すばらしい表現者でした」と振り返った。

70年代に英アデルー社が「SAYOKOマネキン」を製作し、世界各国で販売したことがある。しかし、彼女自身はマネキンに甘んじることはなく、演劇やダンスなど、常に表現の場を求めて活動していた。先月封切られた映画「馬頭琴夜想曲」が遺作となった。

インタビューの中で、彼女はこう話していた。「人の言葉や評価は移ろうもの。だから他人にどう見られるかは関係ない。自分の好きなこと、信じることをすればいい」

年齢を明かさず、ミステリアスな自己演出の一方で、いつも快活で気さくに取材に応じてくれた。その美しい容姿の通り、日本的な情緒を失わない人だった。(黒沢綾子)

  **   ***  **

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(この清冽なエロティシズム--- 写真家ヘルムート・ニュートンの作品ながら、モデルあっての作品。これ、好きでした。)

こうした日本女性が、美に関わる世界で活躍されたということ、
日本の女の一人として記憶に留めたいと思います。
ご冥福をお祈りいたします。







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Last updated  Aug 26, 2007 12:04:06 AM
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