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18-a (背負えない重荷を与えられることはない)
地上生活は内部の完全性が不完全な環境の中で表現を求めようとする一種の闘争の場です。金塊が不純物を払い落としていく試練の場です。霊的開発と成就への道においては困難と苦痛と障害とハンディが必須不可欠の要素です。もしも霊的な宝が容易に手に入るものであれば、それはもはや手に入れるほどの価値はないことになります。自己鍛錬、自己制御、自己開発、これを成就するのが人生の目的です。これは容易にできるものではありません。王道はないのです。
悪戦苦闘すること、暗闇の中に光を見出さんと努力すること、嵐との戦いの末に再び太陽の光を見てその有難さをしみじみと味わうことーー魂はこうした体験を通して初めて成長するのです。低く身を沈めただけ、それだけ高く飛躍することができるのです。 "ゲッセマネの園" を通らずして "変容の丘" へ辿り着くことはできません。ナザレ人イエスの生涯は地上の人間の全てが体験するものと本質において同じものです。敗北も勝利もともに必要です。敗北の味を知らずして勝利の味が分かるでしょうか。
私は日常生活で是非とも活用すべき教訓をできるだけ簡潔に述べようと苦労しているのです。決して難解な哲学ではありません。いたって実用的な霊的教訓なのです。それが人生から然るべきものを体得する方法を教えてくれます。魂の真の満足は内的な静寂と輝きとなって表われます。すなわち真の自我を見出したことから生まれる魂の平安と自信です。魂がその状態になった時を "悟った"というのであり "神を見出した" と言うのです。そうなれば人生のいかなる苦しみにも悲しみにも負けることはありません。なぜなら悟りを開いたあなたは、いついかなる時でも神の兵器庫の扉を開けることができるからです。また、あなたに解決できないほど大きな問題、背負えないほど重い荷を与えられることはありません。それが与えられたのは、それだけのものに耐え得る力があなたにあるからです。
『シルバー・バーチの霊訓(1)』(近藤千雄訳)
潮文社、1988、pp.188-190.
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18-b (困難や苦しみの克服が霊的進化をもたらす)
地上の人類はまだ痛みと苦しみ、困難と苦難の意義を理解しておりません。が、そうしたものすべてが霊的進化の道程で大切な役割を果たしているのです。過去を振り返ってごらんなさい。往々にして最大の危機に直面した時、最大の疑問に遭遇した時、人生でもっとも暗かった時期がより大きな悟りへの踏み台になっていることを発見されるはずです。いつも日向で暮らし、不幸も心配も悩みもなく、困難が生じても自動的に解決されてあなたに何の影響も及ぼさず、通る道に石ころ一つ転がっておらず、征服すべきものが何一つないようでは、あなたは少しも進歩しません。向上進化は困難と正面から取り組み、それを一つひとつ克服していく中にこそ得られるのです。
『シルバー・バーチの霊訓(4)』(近藤千雄訳)
潮文社、1986, p.41
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18-c (解決できない難問に直面させられることはない)
霊的な宝はいかなる地上の宝にも優ります。それは一たん身についたらお金を落とすような具合に失くしてしまうことは絶対にありません。苦難から何かを学び取るように努めることです。耐え切れないほどの苦難を背負わされるようなことは決してありません。解決できないほどの難問に直面させられることは絶対にありません。何らかの荷を背負い、困難と取り組むということが、旅する魂の当然の姿なのです。
それはもちろんラクなことではありません。しかし魂の宝はそう易々と手に入るものではありません。もしラクに手に入るものであれば、何も苦労する必要などありますまい。痛みと苦しみの最中にある時はなかなかその得心がいかないものですが、必死に努力し苦しんでいる時こそ、魂にとって一ばんの薬なのです。
私どもは、いくらあなた方のことを思ってはいても、あなた方が重荷を背負い悩み苦しむ姿を、あえて手をこまねいて傍観するほかない場合がよくあります。そこからある教訓を学び取り、霊的に成長してもらいたいと願い祈りながら、です。知識にはかならず責任が伴うものです。その責任をとってもらうわけです。霊は一たん視野が開ければ、悲しみは悲しみとして冷静に受け止め、決してそれを悔やむことはないはずです。さんさんと太陽の輝く穏やかな日和には人生の教訓は身にしみません。魂が目を覚ましそれまで気づかなかった自分の可能性を知るのは時として暗雲たれこめる暗い日や、嵐の吹きまくる厳しい日でなければならないのです。
地上の人生は所詮は一つの長い闘いであり試練なのです。魂に秘められた可能性を試される戦場に身を置いていると言ってもいいでしょう。魂にはありとあらゆる種類の長所と弱点が秘められております。即ち動物的進化の名残りである下等な欲望や感情もあれば、あなたの個的存在の源である神的属性も秘められているのです。そのどちらが勝つか、その闘いが人生です。地上に生まれてくるのはその試練に身をさらすためなのです。人間は完全なる神の分霊を享けて生まれてはいますが、それは魂の奥に潜在しているのであって、それを引き出して磨きをかけるためには是非とも厳しい試練が必要なのです。
運命の十字路にさしかかる度毎に、右か左かの選択を迫られます。つまり苦難に厳然として立ち向うか、それとも回避するかの選択を迫られますが、その判断はあなたの自由意志にまかされています。もっとも、自由といっても完全なる自由ではありません。その時点において取り巻かれている環境により制約があり、これに反応する個性と気質の違いによっても違ってくるでしょう。地上生活という巡礼の旅において、内在する神性を開発するためのチャンスはあらかじめ用意されているのです。そのチャンスを前にして、積極姿勢をとるか消極姿勢をとるか、滅私の態度にでるか利己主義に走るかは、あなた自身の判断によってきまります。
地上生活はその選択の連続といってよいでしょう。選択とその結果、つまり作用と反作用が人生を織りなしていくのであり、同時に又、寿命つきて霊界に来た時に霊界で待ち受けている新しい生活、新しい仕事に対する準備が十分できているか否か、能力的に適当か不適当か、霊的に成熟しているか否か、といったこともそれによって決まるのです。単純なようで実に複雑です。
近藤千雄訳編『古代霊は語る』潮文社、1986、
pp.107-109
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18-d (神が用意された苦労と悲しみと痛み)
太陽がさんさんと輝いて、全てが順調で、銀行にたっぷり預金もあるような時に、神に感謝するのは容易でしょう。しかし真の意味で神に感謝すべき時は辺りが真っ暗闇の時であり、その時こそ内なる力を発揮すべき絶好のチャンスなのです。しかるべき教訓を学び、魂が成長し、意識が広まりかつ高まる時であり、その時こそ神に感謝すべき時です。霊的マストに帆をかかげる時です。
霊的真理は単なる知識として記憶しているというだけでは理解したことにはなりません。実生活の場で真剣に体験してはじめて、それを理解するための魂の準備が出来あがるのです。その点がどうもよくわかっていただけないようです。タネを蒔きさえすれば芽が出るというものではないでしょう。芽を出させるだけの養分が揃わなくてはなりますまい。養分が揃っていても太陽と水がなくてはなりますまい。そうした条件が全部うまく揃った時にようやくタネが芽を出し、成長し、そして花を咲かせるのです。
人間にとってその条件とは辛苦であり、悲しみであり、苦痛であり、暗闇です。何もかもうまく行き、鼻歌まじりの呑気な暮らしの連続では、神性の開発は望むべくもありません。そこで神は苦労を、悲しみを、そして痛みを用意されるのです。そうしたものを体験してはじめて、霊的知識を理解する素地が出来あがるのです。そして一たん霊的知識に目覚めると、その時からあなたはこの宇宙を支配する神と一体となり、その美しさ、その輝き、その気高さ、その厳しさを発揮しはじめることになるのです。そして一たん身につけたら、もう二度と失うことはありません。それを機に霊界との磁気にも似た強力なつながりが生じ、必要に応じて霊界から力なり影響なり、インスピレーションなり真理なり美なりを引き出せるようになるのです。魂が進化した分だけ、その分だけ自由意志が与えられるのです。
霊的進化の階段を一段上がるごとに、その分だけ多くの自由意志を行使することを許されます。あなたは所詮、現在のあなたを超えることは出来ません。そこがあなたの限界といえます。が同時にあなたは神の一部であることを忘れてはなりません。いかなる困難、いかなる障害も、かならず克服するだけの力を秘めているのです。霊は物質にまさります。霊は何ものにもまさります。霊こそ全てを造り出すエッセンスです。なぜなら、霊は生命そのものであり、生命は霊そのものだからです。
近藤千雄訳編『古代霊は語る』潮文社、
1986、pp.116-117
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18-e (試練と困難の意味)
いかなる人間にもかならず試練と困難、すなわち人生の悩みが訪れます。いつも日向ばかりを歩いて蔭を知らないという人は一人もいません。その人生の難問がどの程度まであなたに影響を及ぽすかは、あなたの霊的進化の程度に掛かっています。ある人には何でもないことのように思えることが、あなたには大変なことである場合があります。反対に、ある人には大変な問題に思えることが、あなたには些細なことに思えることもあります。各自が自分なりの運命を築いていくのです。
あなたに一個の荷が背負わされる。それをどう扱うかはあなた次第です。 "よし、担ぎ通してみせるぞ。これは自分の荷物なのだから" という気持になれば軽く感じられるものです。それだけ魂が成長するからであり、その成長の過程において内部のある力が魂を癒してくれます。困難に際してまっ正直さと勇気とをもって臨んで、霊的に損をする人は絶対にいません。何一つ怖がるものはないのです。
『シルバー・バーチの霊訓(2)』(近藤千雄訳)
潮文社、1985, pp.71-72
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