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Jan 1, 2011
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27-a (無知は未知なるものへの恐怖心を生む)

 知識こそすべての者が所有すべき宝です。無知は未知なるものへの恐怖心を生みます。この恐怖心こそ人間の最大の敵なのです。判断力を曇らせ、理性を奪い、いい加減な出来心で行動する人間にしてしまいます。これでは人生からよろこびと美しさと豊かさを見出すことはできません。

   『シルバー・バーチの霊訓 (7)』(近藤千雄訳)
     潮文社、1987、p.50


     *****


 27-b [59-d] (なぜ無知のままでいたいのか)

 なぜ人間は光明が得られるのにわざわざ暗闇を求めるのでしょう。なぜ知識が得られるのに無知のままでいたがるのでしょう。叡智が得られるのになぜ迷信にしがみつくのでしょう。生きた霊的真理が得られるのに、なぜ死物と化した古い教義をご生大事にするのでしょう。単純素朴な霊的叡智の泉があるのに、なぜ複雑怪奇な教学の埃の中で暮らしたがるのでしょう。
 外せるはずの足枷を外そうともせず、自由の身になれるはずなのに奴隷的状態のままでいながら、しかもその自ら選んだ暗闇の中で無益な模索を続けている魂がいるのです。思うにそういう人はあまりに永いあいだ鎖につながれてきたために、それを外すことに不安を覚えるようになってしまったのでしょう。永いあいだカゴの中で飼われた小鳥は、カゴから放たれた時、はたして飛べるかどうか不安に思うものです。
 足枷を外すまではいいのです。が外したあとに自ら歩むべき道がなくてはなりません。何の道しるべもなくて戸惑うまま放置されるようなことになってはいけません。私たちは彼らの魂の解放を望みますが、その自由が手引きしてくれる方向もよく見きわめてほしいのです。
 永いあいだ束縛の中で生きていると、やっと自由を得たときに、もう何の指図も受けたくないという気持を抱きます。そしてこう言います---"もう指図を受けるのはご免です。疑問と迷いの年月でした。それを振り捨てた今、私はもう宗教と名のつくものとは一切関わりたくありません″と。
 足枷から解放されて迷いが覚めるとともに、激しい反動が起きることもあります(たとえば神仏の化身として崇めていた教祖がただの人間にすぎなかったことを知って-訳者)。そこで私は、私という一個人、ただのメッセンジャー(使いの者)にすぎない者に過度の関心を寄せられるのを好まないのです。私はメッセージそのものにすべてを賭けております。地上の人間はあまり永いあいだ教えを説く人物に関心を寄せすぎ、超人的地位に祭り上げ、肝心の教えそのものを忘れてきました。

   『シルバー・バーチの霊訓(4)』(近藤千雄訳)
     潮文社、1986、pp..108-110


     *****


 27-c [59-t] (地上の無知、迷信などが天国の到来を妨げている)

 私たちはまだまだ舵取りに一生けんめいです。あらんかぎりの力を尽くしております。が、地上的条件による限界があります。やりたいことが何でもできるわけではありません。私たちが扱うエネルギーは実にデリケートで、扱い方が完全でないと、ほとんど成果は得られません。コントロールがうまくいき、地上の条件(霊媒および出席者の状態)が整えば、物体を私たちの意のままに動かすこともできます。が、いつでもできるというものではありません。そこでその時の条件下で精一杯のことをするしかないわけです。ですが、最終的な結果については私たちは自信をもっております。
 神の地上計画を妨害し、その達成を遅らせることはできても、完全に阻止することはできません。そういう態度に出る人間は自分みずからがみずからの進歩の最大の障害となっているのです。愚かしさ、無知、迷信、貪欲、権勢欲、こうしたものが地上で幅をきかせ、天国の到来を妨げているのです。
 物的な面では、すべての人にいきわたるだけのものがすでに地上にはあります。そして霊的にも十分すぎるほどのものがこちらに用意されています。それをいかにして受け入れる用意のある人にいきわたらせるか、その手段を求めて私たちは一層の努力をしなければなりません。問題はその受け入れ態勢を整えさせる過程です。何かの体験が触媒となって自我を内省するようになるまで待たねばならないのです。外をいくら見回しても救いは得られないからです。

    『シルバー・バーチの霊訓 (8)』(近藤千雄訳)
       潮文社、1987、pp.26-27

     *****


 27-d (理性が拒否するものはいかにいわれのある教えでも棄てよ)

 地上の人間は、古くから伝えられたものだからという、ただそれだけのことで、古い教えにこだわりすぎます。真理と時代とは必ずしも手を取り合って進行するものではありません。子供の時に教え込まれた大切な信仰を棄てるのが難しいものであることは私もよく知っております。しかし、理性が拒否するものは、いかにいわれのあるものであっても棄て去ることができて初めて魂は自由になれるのです。

    『シルバー・バーチの霊訓 (12)』(近藤千雄訳編)
      潮文社、1988、p. 77

     *****


 27-e[59-v] (人間はなぜ光明よりも暗闇と無知を好むのか)

 人間はなぜ光明よりも暗闇を好むのでしょうか。なぜ知識よりも無知を好むのでしょうか。なぜ叡智よりも迷信を好むのでしょうか。なぜ霊の生きた真理よりも形骸化した教義の方を好むのでしょうか。なぜ霊的叡智の泉よりもホコリだらけの神学の方を好むのでしょうか。

    『シルバー・バーチの霊訓 (12)』(近藤千雄訳編)
      潮文社、1988、p.180

     *****


 27-f [77-x] (なぜ多くの敵を殺すのが唯一の解決策だと考えるのか)

 地上の人間は流血によって問題が解決されるかに考えますが、これまでの歴史でそのような方法で問題が解決した例はありません。流血は無益であり、結局は徒労に終わります。なぜ人類はせっかく神から授かっている理性が使えないのでしょうか。なぜできるだけ多くの敵を殺すのが唯一の解決策だと考えるのでしょうか。敵を一ばん多く殺した者が英雄とされる----地上というところは不思議な世界です。

    『シルバー・バーチの霊訓 (12)』(近藤千雄訳編)
      潮文社、1988、p.181

     *****


 27-g (死を生の終わりと考えて泣き悲しむ無知を取り除く)

『生』を正しい視野で捉えていただきたい。その中で『死』が果たしている役割を理解していただきたいと思います。人間はあまりに永い間、死を生の終わりと考えて、泣くこと、悲しむこと、悼むこと、嘆くことで迎えてきました。私たちは是非ともその無知----死を生の挫折、愛の終局、情愛で結ばれていた者との別れと見なす無知を取り除きたいのです。そして死とは第二の誕生であること、生の自然な過程の一つであること、人類の進化における不可欠の自然現象として神が用意したものであることを理解していただきたいのです。死ぬということは生命を失うことではなく、別の生命を得ることなのです。肉体の束縛から解放されて、痛みも不自由も制約もない自由な身となって地上での善行の報いを受け、叶えられなかった望みが叶えられる、より豊かな世界へ赴いた人のことを悲しむのは間違いです。

    『シルバー・バーチの霊訓 (12)』(近藤千雄訳編)
      潮文社、1988、p. 217

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 27-h[41-v] (苦痛と老いと疲労から解放された人をなぜ悲しむのか)

 苦痛と老いと疲労と憂うつから解放された人をなぜ悲しむのでしょう。暗闇から脱して光明へと向かった人をなぜ悲しむのでしょう。霊の本来の欲求である探求心を心ゆくまで満足できることになった人をなぜ悼むのでしょう。それは間違っております。その悲しみには利己心が潜んでおります。自分が失ったものを嘆いているのです。自分が失ったものを自分で耐えていかねばならないこと、要するに自分を包んでくれていた愛を奪われた、その孤独の生活を嘆き悲しんでいるのです。

    『シルバー・バーチの霊訓 (12)』(近藤千雄訳編)
      潮文社、1988、p. 217-218

     *****


 27-i[2-zo] (生命の実相を知らない人間こそ"立派な死者"である)

 あなたがた人間こそ『死者』です。本当の生命の実相を知らずにいるという意味で、立派な死者です。神の宇宙の美しきが見えません。地上という極小の世界のことしか感識していません。すぐ身のまわりに雄大な生命の波が打ち寄せているのです。愛しい人たちはそこに生き続けているのです。そしてその背後には幾重にも高く界層が広がり、測り知れない遠い過去に同じ地上で生活した人々が無数に存在し、その体験から得た叡智を役立てたいと望んでいるのです。

    『シルバー・バーチの霊訓 (12)』(近藤千雄訳編)
      潮文社、1988、pp. 218-219

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 27-j (盲目のままでいたければ目を閉じ続けられるがよろしい)

 見えないままでいたければ目を閉じ続けられるがよろしい。聞こえないままでいたければ耳を塞ぎ続けられるがよろしい。しかし賢明な人間は魂の窓を開き、人生を生き甲斐あるものにするために勇気づけ指導してくれる莫大な霊の力を認識することになります。あなたは神の子なのです。その愛と叡智をもって全宇宙を創造した大霊の子なのです。その大霊とのつながりを強化するのは、あなたの理解力一つです。もしも教会がその邪魔になるのであれば教会をお棄てになることです。もしも邪魔になる人間がいれば、その人との縁を切ることです。もしも聖典が障害となっていることに気づかれれば、その聖典を棄て去ることです。

    『シルバー・バーチの霊訓 (12)』(近藤千雄訳編)
      潮文社、1988、p. 219






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Last updated  Jan 2, 2011 04:43:25 AM
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