新しい命
ブログを休んでた間に、新しい命が誕生しました。私の20年来の親友キノピーが、6年ぶりの第二子を産んだのです。私とキノピーは、高校一年生のとき,友人を介して知り合いました。皆より大人っぽいキノピーとは、特別親しくなることはなかったけど、高校3年生で同じクラスになりました。クラス発表の日、並んだ名前の中にキノピーの名前を見付けたとき、私はなぜかとても嬉しく思いました。どこか、自分と同じ雰囲気を感じていたのかも知れません。私達は、すぐ意気投合し仲良くなり、高校を卒業してもずっと連絡を取り合い遊びました。キノピーの人生は決して恵まれていません。でも、キノピーはいつも前向きで、現実から逃避することなく、地に足をしっかり着けて生きています。それなのに、意地悪な神様は、キノピーに次々と試練を与えました。(本人の了承を得ているので書きます)私とキノピーが仲良くなった頃、キノピーの両親は離婚しました。父親が借金を作ったからです。家には、ニートの兄がいました。頼りない母を助けるため、アルバイトして働いても、学校に行ってる間に、兄がお金を使ってしまいます。金目の物は、全部質屋に入れられてしまいました。それでも、自分の夢のため専門学校に行きたいと学費を貯め、アルバイトを掛け持ちして頑張りました。それなのに、働きすぎたキノピーは、20才のとき結核で倒れました。半年の入院で働くことも出来なくなり、学校は辞めました。前向きなキノピーは病気を克服した後、借金を作る兄から離れ、一人暮らしながら新たな夢を見付け、毎日頑張って生きていました。しかし、残酷な神様は、またキノピーを傷付けました。30才の誕生日を目前にしたある日、キノピーはくも膜下出血で倒れました。私達は、ただキノピーの生命力を信じ、手術室の前で祈りました。「くも膜下出血で倒れたら、半分の人が亡くなります。半分の人は生き残れますが、大きな後遺症が残ります。わずかの人が後遺症もなく帰れます。」と、医師は説明しました。キノピーの頭の中は、動脈留が2つあり、一つが破裂していました。大きな手術をして数ヶ月後、キノピーは大きな後遺症も残らず帰ってきました。倒れて3週間後に、私の結婚式がありました。結婚式をとても楽しみにしてくれてたキノピーが、出席出来なかったのは、とても悲しかったけど、元気に退院出来たことは、本当に嬉しかった。結核のときも、このときも、私は仕事が休みのときは必ずキノピーに会いに行きました。キノピーがどう思っていたのかわからないけど、私にとってキノピーは家族と同じくらい大切な存在なのです。2度の大きな病気を克服し、キノピーはまた働き始めました。私に子供が生まれると、ものすごく喜んでくれ、頻繁に我が家に足を運んでくれました。そして、キノピーにも素敵な出会いがあり、結婚します。私が双子を出産して一年後、キノピーも母になりました。しかし、また神様はキノピーに意地悪をしました。産後7ヶ月のとき、ある夜、夕食を食べていたときに電話が鳴りました。キノピーのご主人からでした。「ものすごい頭痛で苦しんで、今から病院へ連れて行く」私は、子供を夫に頼み、病院へ走りました。真っ暗な待合室で、7ヶ月の赤ちゃんを抱いて、ご主人は呆然と座っていました。5年経ち、二度目のくも膜下出血でした。手術が始まっていました。ただ幸いなことに、破裂する前でした。母乳だけで育っていた赤ちゃんの前から、突然母親がいなくなりました。なんと残酷なことをするのかと、私は神様を恨みました。手術から数日後、キノピーは元気な姿を見せました。投薬で、もう飲ませることが出来なくなった胸が張って「とても痛い」と訴えました。家では、小さな娘リンも頑張っていました。娘に会いたい、抱きたいと言う母の強い思いが、奇跡を起こしました。キノピーは、また後遺症もなく生還したのです。二度のくも膜下出血で後遺症がないのは、奇跡です。しかし、二度あることは三度あるかも知れないと言われました。サイクルは5年。もしかしたら、妊娠出産が原因かもしれない。誰もが、「もう子供は一人でいいじゃない」と、言いました。娘リンのためにも、長生きすることを考えてほしいと説得したのに、「妊娠が、二度目のくも膜下出血の原因かはわからない。3度目のくも膜下出血で死んでしまうかもしれないのなら、リンに妹か弟を残してやりたい。お母さんがいなくなっても一人で悲しまないように、妹か弟を作ってやりたい。」と、キノピーは言いました。くも膜下出血のサイクルの5年が過ぎ、キノピーは病院に通い妊娠しました。決して医師は賛成しなかったんですよ。でも、キノピーの熱意に医師も負けました。キノピーの出産が近付きの始めたころ、私は離婚問題で凹んでいたんです。キノピーは、検診があると大きなお腹で会いに来てくれました。そして、フンフンと私の話を聞いてくれました。とても心強く、助けられました。その赤ちゃんが、7月に生まれたのです。41歳での出産です。リスクが大きいのに頑張りました今日、9日ぶりに会いに行ってきました。もうすぐ一ヶ月、可愛いんですよ。リンが生まれたとき、私は双子の産後疲れから、リンをあまり可愛がる余裕がなかったんです。キノピーは、我が家の子供達を我が子のように可愛がってくれたのに、赤ちゃん恐怖症みたいな精神状態だったので、ものすごく申し訳ない気持ちが残っていました。本来、ものすごく子供が好きなんですが、双子を育てたことがトラウマみたいになってしまってたんです。でも、双子も7才になり、久しぶりに抱く新生児にメロメロになりました。おっぱいが出ない私の胸に、ピタリと顔を付けて、安心したように眠るんです。可愛い~夏休みでなかったら、毎日会いに行きたいあのニヤリと笑ったときに見える歯茎が、何とも言えないくらい可愛いの可愛いと思えば思うほど、上の子リンに申し訳ない気持ちになるんだけどでも可愛いなぁ若かったら、もう一人赤ちゃんが欲しくなりそう。(・・・って、誰の子を?)ここで、キノピーに改めてもう一度。出産おめでとうこんなに可愛い赤ちゃん、ほんまに頑張って産んでよかったなぁ娘達のためにも、健康管理をしっかり、簡単には死なないようにするんやで老後は、たこ幸と3人でたくさん旅行に行こうな 神様にも一言もう、これ以上キノピーに試練を与えないようにホンマにお願いしますよ