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偉大な牛

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2008年07月21日
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カテゴリ:猿楠

上御堂を後にして、西院伽藍を出る。

そしてさらに西に向い、小高い丘にある八角造りの円堂(国宝)に向かう。

080720_120211.jpg 

奈良時代に橘夫人の発願によって行基菩薩が建立したと伝えられているが、現在の建物は鎌倉時代に再建されたものである。
梅原によれば、不比等の妻である橘三千代がこのような堂を建立していることが、
藤原氏が、上宮王家を滅ぼした根拠となるのである。

12時になったのか、お堂の前の係をしていた女性が、急いで走り出し、鐘を突いた。
おごそかな鐘の音が、あたりに響く。
柿食えば鐘がなるなり法隆寺という俳句があるが、ただしそうした愁いの雰囲気を許さぬのは、灼熱の太陽である。
鐘を突いた中年女性に話しかけてみたが、ひどく愛想が悪かった。

あまりの暑さに倒れそうだ。そのまま大宝蔵院に逃げ込む。と、そこは空調が効いていて非常に涼しい。よかった。あのまま炎天下を歩いていたら本当に倒れてしまうかもしれない。

大宝蔵院では有名な玉虫厨子を観た。
中学の時は、どこかお堂の中でみたような記憶だが、記憶違いかもしれない。

金具の下に玉虫の翅を敷きつめていたところから、この名前がついた。
かつてはさぞかし壮麗だったのだろうと夢想する。
宮殿部の扉および背面には、天部像、菩薩像、霊鷲山説法図が描かれており、
須弥座の腰板には仏舎利供養図、須弥山図が描かれている。
「捨身飼虎図」と「施身聞偈図」は、釈尊の前世を描いた、日本最古の仏教説話画とされている。
法隆寺は、日本最古づくしだ。

ここで、橘夫人の念持仏である阿弥陀三尊像が展示されている。
念持仏とは、読んで字の如く、橘三千代が拝んでいた仏である。
橘三千代は、先ほども書いたとおり、日本書紀の実質的著者であり、藤原氏千年の栄光の礎を築いた不比等の妻にして、光明皇后の母である、県犬養三千代である。
先ほどの西円堂と同じく、三千代の念持仏があることが、梅原の上宮太子怨霊説の根拠の一つである。

であるにもかかわらず、中年女性の集団がやってきて、
「これ聖徳太子の奥さんの仏さんやって」などと云っている。
ゆっくりと静かに鑑賞したいのに、面倒なことだ。
よほど、「この橘夫人というのは、不比等の妻であって、聖徳太子とは関係ないですよ」と云って遣りたくなったが、堪えた。

ついに来た。
百済観音(国宝)だ。

百済観音.gif

木造の観音菩薩像で、やはり飛鳥時代の特徴か、非常にすらりとした美しい仏像だ。これも、和辻哲郎や亀井勝一郎らが絶賛することによって、とても有名になった。
少し、和辻の記述を引用してみよう。

「しかしここで問題としたいのは、あの直線的な手法の担っている様式的な意義なのである。百済観音は確かにこの鋼の線条のような直線と、鋼の薄板を彎曲させたような、硬く鋭い曲線とによって貫かれている。そこには簡素と明晰とがある。同時に標渺とした含蓄がある。大ざっぱでありながら、微細な感覚を欠いているわけでもない。形の整合をひどく気にしながらも、形そのものの美を目ざすというよりは、形によって暗示せられる何か抽象的なものを目ざしている。従って「観音」という主題も、肉体の美しさをとおして表現せられるのである。垂れ下がる衣のひだの、永遠を思わせる静けさのために、下の感覚的な性質の内へ食い入って、そこから神秘的な美しさを取り出すというよりも、表面に漂う意味ありげな形を捕えて、その形をあくまでも追求していこうとするのである。そこに漢の様式の特質も現れてている」

しばし、時の経つのを忘れて百済観音の前に立ち尽くす。
いくら見ても見飽き足りない、すばらしい仏像だ。
その細身の流れるような体は、一瞬で観光客の視線を奪い、声を失わせる。
五角形の台座の像の後ろのところから、光背を支える棒が延びているが、木で造られているが、本当の竹のようだ。
昨日、高野山でみた慶派の四天王像などは、まさに「動」の仏像。
それに対して、この百済観音はすでに閲した千年以上のときを、そのままに閉じ込めた「静」の仏像。

ところで、この百済観音は、元々法隆寺にあった仏像ではなく、どこからどうやってこの寺に安置されたのかは不明なのである。
元禄11年(1698年)の『法隆寺諸堂仏躰数量記』に「虚空蔵立像 長七尺五分」とあるのが像高からみて百済観音に当たると推定され、これが百済観音の存在を記録する最古の文献とされている。

感動のままに宝物館を後にし、外に出ると、これまた非常に熱い。
休憩所のようなところでお茶を買おうとするとすべて売り切れている。
しかし何も飲まないわけにはいかないので、リアルゴールドを飲む。
休憩所で少し休んでから、次は法隆寺の東院へと向かう。






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最終更新日  2008年08月10日 11時06分55秒
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