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カテゴリ:北中城村
(熱田の島根殿) 北中城村「熱田(あった)集落」は沖縄本島中部東海岸の中城湾に面し、西の丘陵地から熱田漁港に広がる山麓にある長閑な集落です。熱田集落は車が1台通れる細い路地で覆われており、古き良き琉球赤瓦屋根の民家が多数残る歴史を感じる地域となっています。集落を通る国道329号線は交通量が多い主要な道路ですが、一歩集落に立ち入ると静かでゆったりとした時間が流れています。 (熱田シー) 熱田漁港の西側の畑の中にある「熱田シー」の祠は、珊瑚石灰岩で造られており西側に向いています。かつて熱田には旧暦3月15日に「サングヮチウマチー」と呼ばれる豊年祈願の祭祀があり、大城ノロ、安谷屋ノロ、瑞慶覧ノロ、島袋ノロが揃い「熱田シー」でネズミなどの害虫駆除祈願をしていました。現在はウマチー(豊年祈願)とウハチー(収穫祭)で祈られています。 (熱田公民館の島根殿) 「島根殿」は熱田公民館の敷地内にあり、集落の中央部に位置しています。「オミヤ」または「シマニドゥン」と呼ばれ、祈願の対象は海水に侵食された大きな岩です。沖縄戦前までは神人がウマチー(旧暦2月15日、5月15日、6月15日)に御花、線香、神酒を供えて集落の住民の健康とムジュクイ(作物)の豊年祈願をしました。現在でも字の役員が各ウマチーに祈っています。 (ロ山石敢當) 「ロ山石敢當」は熱田公民館の南東側、民家の西側塀の外に西向きに立っています。石敢當は中国起源の除災招福の石柱で、魔除けの役割があるとして沖縄に伝わっています。この石敢當はそもそも「泰山石敢當」と刻まれていましたが、偉い人と同じ名前を使用するのは失礼に当たる風習に従い「泰」の字を尚泰王(在位1848〜1879年)の時代に削ったと考えられます。「山」の字の上には文字を削った跡が残っています。 (アガリユーヌウトゥシドゥクル) 「アガリユーヌウトゥシドゥクル」は熱田公民館の敷地内にある西向きに建てられた拝所です。島根殿に祈願するウマチーの日に同時に祈られています。拝所の名前に示されているように「東(アガリ)ユーへの御通し所」の意で、東のニライカナイ(理想郷)に向かって集落に豊穣をもたらす事を祈願するウガンジュ(拝所)です。 (ンブガー/産川) 熱田公民館の北東側に「ンブガー/産川」と呼ばれる井泉があります。集落で子供が産まれるとこの井泉から水を汲み産湯に使用しました。また、産まれたばかりの赤ちゃんの額に水をつける「ミジムイ」や「ウビナディ」とよばれる水撫での儀式にも「ンブガー」の水を利用していました。 (ニーヤー/根屋) (ニーヤーガー) 熱田公民館の北側に「ニーヤー」と「ニーヤーガー」があります。ニーヤー(根屋)は熱田集落の創始者のあった家の事で、現在は屋敷だった敷地内に石造りの祠が建てられています。祠内には3つの霊石が供えられており、ウコール(香炉)も設置されて拝まれています。「ニーヤー」から道を挟んだ北側には「ニーヤーガー」があり集落の創始者が利用していた井戸跡が残されています。 (ニーヤー脇の石敢當) (熱田214番地の石敢當) 熱田集落には古くから残る「石敢當」が多数存在しています。石敢當はT字路の突き当り等に設けられる「石敢當」などの文字が刻まれた魔よけの石碑や石標で知られていますが、熱田集落の古い「石敢當」はT字路の突き当たりではなく、十字路の角に立てられています。100年以上前の沖縄の魔除け石柱と同じ位置に立てられており、琉球から伝わる風習が現代の人々の生活の一部として存在しているのです。 (熱田352番地の井戸) (熱田64番地の井戸) (熱田公民館横の井戸) 山麓に広がる熱田集落は丘稜から湧き出る水が豊富で、集落の至る場所に現在も井戸跡が多数残っています。古民家の庭には必ず古井戸があり、路地の脇にも名も知らぬ井戸跡を発見する事が出来ます。昔から熱田集落は水源に困らない村として発展してきた事が分かりますし、水道が整備されている現代でも古井戸を大切に残すという事は、集落の人々にとっての井戸は「水の神様」に祈る拝所の役割があると考えられます。 (熱田258番地にある謎の石碑) 熱田集落には読解不可能な謎の文字が刻まれた石碑があります。北中城村の文化財にも登録されていない石碑で、石敢當と同じような魔除けの意味があると思われます。また、宇宙の生成要素である地、水、火、風、空を表した梵字(アビラウンケン)である可能性もありますが詳細は不明のままです。この謎の石碑は古くから沖縄各地に存在する魔除けの石柱と同じニービヌフニ(細粒砂岩)で造られており、少なくとも100年以上前のものだと考えられます。 (熱田公民館の警鐘) 熱田公民館にある火事を伝える警鐘です。この警鐘は沖縄戦で米軍が残した不発弾を再利用しています。現在は赤いペンキが塗られ火の用心の文字が記されています。 さて、熱田集落には「熱田の南島(フェーヌシマ)」という伝統芸能が伝わっています。1980年に北中城村の無形民俗文化財に指定され伝統芸能で、熱田集落で古くから伝えられてきた踊りです。空手をイメージした動きで手踊りと棒踊りの二種類があります。 (エーガー/染物の藍(エー)を洗う専用井戸) 「熱田のフェーヌシマ」は赤く長い髪をたらした風貌で行われる手踊りと棒踊りの伝統芸能で、謎の歌と共に手踊りから演舞が始まります。「タウチュンナータイ タウチュンナータイヨ チョウオーヨーティメウターン イエチョウハアタイ フーテーヨーフィヨ フィタイフィタイ チンサーン チントーンヨーオーサイ チューサイヨー スイナー」と歌われますが、その歌の意味は全く不明なのです。 (イチバルガー) 熱田集落の無形民俗文化財として昭和55年に指定されていますが、熱田集落では少子化や継承者不足に悩まされています。「熱田のフェーヌシマ」という熱田集落だけに伝わる伝統文化を大切な財産として後世に伝えるためにも、無力ではありますが私もこの記事を通じて伝えたいと考えています。そして、1人でも多くの人に北中城村の「熱田集落」や「熱田のフェーヌシマ」を知ってもらうきっかけになれば幸いです。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2023.10.29 16:41:53
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