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カテゴリ:金武町
![]() (伊芸のがじまる) 「伊芸/屋嘉集落」は沖縄本島の金武町西部にあり、うるま市石川に隣接する海沿いに位置しています。「伊芸のがじまる」は伊芸集落の中心に位置し、周囲は伊芸遺跡の布分地で古くは拝所があり神アサギがありました。金武町指定文化財に登録されるこのガジュマルは推定樹齢約330年、胸高円周3.9メートル、樹高11メートルの巨木で集落の住民の心の拠り所となっています。 ![]() (伊芸のがじまる/神アサギ跡) 長い歳月を生き続けるガジュマルは見事な気根を形成し、集落の歴史を樹幹に刻む「風水がじまる」と呼ばれる伊芸のシンボルとなっています。このガジュマルがある「がじまる公園」には神アサギ跡があり、かつて集落のノロが祭祀を行った聖域が継承されています。ガジュマルには神が宿ると言われ、木の枝を勝手に折ったり木登りをするのは厳しく禁止されているのです。 ![]() (坊主森/拝殿) ![]() (山里和尚の墓) 「伊芸集落」の東側に「坊主森」と呼ばれる森があり、中腹に拝殿があり祠の奥に「山里和尚の墓」が祀られています。山里和尚は伊芸集落で真言宗の布教活動を行っていた僧侶だと伝わります。2つある石碑の向かって左側には「大清康煕五十九年 権大僧都法卯頼宥 正位 康子十月二十二日去」と彫られています。石碑の上部に梵字のア(阿)の字が記され「大日如来(胎蔵界)」を意味しています。真言宗では戒名の上に阿字をつけることにより、亡くなった方が本来の世界に還り、仏そのものになったという事を表しています。 ![]() (さくまつ公園の御嶽) ![]() (さくまつ公園の井泉拝所) 「伊芸集落」の中央に「さくまつ公園」があり、公園の森の頂に御嶽があり香炉が設置されています。この森は古より伊芸集落の住民の信仰の対象だったと考えられ、森の頂に祀られている御嶽の拝所は集落の守護神と崇められています。御嶽の正面からは下り階段が続き、麓には井泉が祀られています。森からの恵みに感謝する神水を崇める香炉が設置されており住民に拝まれています。 ![]() (ノロ家) ![]() (神屋) ![]() (御嶽) 伊芸公民館に「ノロ殿内」の敷地が隣接しています。向かって右側の白い建物か「ノロ家」で、伊芸ノロが住む家として畳部屋の琉球仏壇に位牌が置かれています。左側の赤い建物は「神屋」と呼ばれる神アサギで、ノロが祭祀の儀式を行う神聖な場として3基の香炉、3つのビジュル石を祀るヒヌカン(火の神)が設置されていました。敷地の一番奥には「奉 皇紀二千六百年紀念」と記された「御嶽」の祠があり2基の香炉が祀られています。 ![]() (カーメー/産川) ![]() (美徳川沿いの香炉) 「ノロ殿内」の北側の山中に泡盛醸造所「松藤(旧崎山酒造廠)」があり、敷地の脇に美徳川が流れています。酒造場の北側にある森の中に「カーメー(産川)」の湧き水があり、湧き水が流れ込む川沿いの場所に香炉が祀られています。かつて伊芸集落の住民が「カーメー」の水を飲料水や生活用水の他にも、子供が生まれたときの産水や旧正月の若水に汲んでいました。美徳川に向けて香炉が設置されており「カーメー」の恵みを授かる聖なる川として崇められています。 ![]() (祝女之墓/ノロの墓) 伊芸集落の最東端の森に「祝女之墓」があり、歴代の伊芸ノロ達の魂が祀られています。このノロ墓は金武湾の「平田原の浜」に隣接する場所にあり、墓は伊芸集落のノロ殿内の方角を向いて建てられています。伊芸ノロ達は祭祀行事だけでなく、旧盆には「カーメー」の湧き水で神酒を造り住民に振舞うなど、集落の暮らしに深く根付く存在でした。 ![]() (屋嘉集落の根屋/トンチ小) ![]() (根屋のヒヌカン) 「屋嘉集落」は「伊芸集落」の西側に位置し、うるま市石川地区と隣接する小さな集落です。「屋嘉集落」の中央に屋嘉児童公園があり、敷地内に「根屋(トンチ小)」があります。屋嘉集落が発祥した時の火種を保管し住民に火種を分け与えたのが根屋(トンチ小)でした。それに由来して根屋を集落の火の神として祀り、屋嘉の守護神として崇めるようになったそうです。根屋には4基の香炉、ヒヌカンには3つのビジュル石が祀られています。 ![]() (屋嘉のウフカー/大井戸) 「屋嘉のウフカー」が「根屋」の北側にあります。金武町指定文化財の「ウフカー」は石積みの掘り下げ井戸で、屋嘉の村カーとして造られ飲料水や生活用水として利用されていました。この井戸は長年に渡り集落の祭祀と深い関係がある神カー(神井戸)とされ、旧正月元旦の若水や産水を汲み、死者の清めの水にも利用されました。 ![]() (底森御嶽の鳥居) ![]() (底森御嶽の拝所) 「屋嘉集落」の北西側に「底森御嶽(神名:コバヅカサノ御イベ)」があります。この御嶽は「琉球国由来記(1713年)」に金武間切屋嘉村底森御嶽と記され、屋嘉の「西の御嶽」と呼ばれています。屋嘉集落の成立と遍歴を知る上で重要な御嶽とされ、御嶽の森にはヒヌカン(火の神)が祀られる祠があります。屋嘉集落での神事の折々には祭司が祈願を司る聖地として信仰されている御嶽です。 ![]() (ヨリブサノ御嶽の鳥居) ![]() (ヨリブサノ御嶽の拝所) 「ヨリブサノ御嶽」は屋嘉集落の北東側に位置し「琉球国由来記(1713年)」に金武間切屋嘉村ヨリブサノ御嶽(神名:アコウヅカサノ御イベ)、祭祀は伊芸ノロに所掌と記されています。この御嶽は屋嘉集落の発祥と深く関わりを持ち、遥か昔から土地の守護神として崇められていました。屋嘉集落での神事の祈りには祭司により集落の繁栄と豊年の祈願が行われている由緒ある御嶽です。 ![]() (ヨリブサノ御嶽の森) 金武町「伊芸集落」と「屋嘉集落」共に御嶽は集落発祥の起源として崇められ、土地の守護神として祀られ続けています。御嶽の森が豊かな水源の井泉を生み、そこに人々が集まり集落を築き文化を形成させてきました。琉球国由来記にも記されるように、御嶽は神名が付けられており、神が宿る聖域として現在でも集落住民の祈りの対象とされているのです。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2022.03.06 23:53:02
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