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カテゴリ:恩納村
![]() (冨着古島の御嶽/アフシマノ嶽) 「冨着集落」は沖縄本島北部「恩納村/おんなそん」の西海岸線にあり、この集落の「古島/フルジマ」は東側にある丘陵にあり、琉球王国時代の村の祭祀や生活は全て「冨着古島」で営まれていました。「冨着古島」の草分け旧家である「アガリ家」の屋敷東側に隣接して「冨着古島」の御嶽があります。この御嶽は1713年に琉球王府により編纂された「琉球国由来記」に『アフシマノ嶽 神名 コダマノイベヅカサ 富着村』と記されています。「冨着古島」の年中行事として4月15日は「マチチャ御願」が執り行われ「御嶽」と「地頭火神」を拝してハブの卵が孵化しないように祈願しました。さらに10月1日の「竈廻い」の行事では「御嶽」と「地頭火神」を参拝した後に男老数人が各家の竈を廻り「1(ティー)、2(ター)、3(ミー)…10(トー)。110デヤビル。」と言って祈願したと伝わります。 ![]() (冨着古島の御嶽入り口) ![]() (御嶽の森) ![]() (御嶽に張られたヒジャイ縄/左縄) さらに「琉球国由来記」には『四月朔日ヨリ五月中、山留也。然ドモ、公用ニ竹木伐デ不叶故、為作物崇折之時、仙香・花米五合・麦神酒二器。稲穂祭三日崇、且、同穂祭之時、仙香・花米五合宛・麦神酒二器宛。同大祭之時、仙香・花米五合・神酒二器。年浴之時、仙香・花米五合・神酒二。柴指之時、仙香・花米五合。ミヤタネノ時、仙香・花米五合・神酒二器。竈廻之時、仙香・花米五合・神酒一。谷茶・仲泊・前兼久・富着四ヶ村 百姓中 供之。前兼久根神ニテ祭祀也 竈廻之時、火之用心ニ掟・頭々、村々掃除見廻也。後効之。』との記述があります。赤瓦屋根の建物は御嶽の森に向けて建立されており、非常に強い「セジ/霊力」により御嶽全体が包まれています。この御嶽の入り口周囲には大規模に渡り、聖域を守護する役割である3本の「ヒジャイ縄/左縄」が張られています。 ![]() (御嶽に張られたヒジャイ縄/左縄) ![]() (根神屋の屋敷跡/カミヤー) ![]() (アシビナー/遊び庭跡) 「冨着古島」の御嶽の北側に「根神屋」の屋敷跡があり「カミヤー/神屋」が建てられています。「山田ノロ」が古島で祭祀を行った際、供えられる神酒は「富着村」宗家の「アガリ家」で作られ、三穂は「前兼久村」の「殿内田」と呼ばれる「ナーシルダー/苗代田」から持参しました。捧げ物は「前兼久村・谷茶村・富着村・仲泊村」からの乾魚から「山田ノロ」は七コーシ盆「ノロの供神」に三割五分コーシ盆「冨着根神」に一コーシ盆「居神達」に一割五分コーシ盆が捧げられました。また9月1日の「神酒御願」の際には古島集落の各家から花米一合を当て募り神酒を作ったと伝わります。この神酒を「アガリ家・ミーヤ家・根神屋・上家」の四家に捧げ、各村人が都合の良い家で神酒を頂きました。「根神屋」の南側に隣接した場所にはかつて「遊び庭/アシビナー」があり「冨着古島」の盆踊りなどの年中行事で老若男女が集っていました。 ![]() (ミーヤ家の神アサギ) ![]() (神アサギ前の霊石) ![]() (神アサギ前の石組) ![]() (神アサギ内の霊石) 「根神屋」の屋敷跡に隣接した北側に「ミーヤ家」の屋敷跡があり、この敷地には「神アサギ」が建てられています。「ミーヤ家」は「冨着古島」の草分けである「アガリ家」に次ぐ旧家であると考えられています。「山田ノロ」がこの家の仮屋で一泊されていたのも「ミーヤ家」が「根神」出自の家であったからであると伝わります。さらに「冨着」の古老によると「ミーヤ」は大昔に「アガリ家」から分家したと言われています。「山田ノロ」の後継が絶えてからは「冨着根神」を柱として昔から継続する「前兼久村・谷茶村・富着村・仲泊村」の四ヶ村合同祭祀を行うようになりました。「山田ノロ」が祭祀を司っていた現存する「神アサギ」を使用するのは恐れ多いため「ミーヤ家」の敷地内に「冨着根神」が祭祀を執り行う「神アサギ」が新たに建てたと考えられます。この「神アサギ」の内外部には古い霊石が現在も祀られています。 ![]() (上家の屋敷跡) ![]() (富着金細工の屋敷跡) ![]() (子孫仲村の表札) 「ミーヤ家」の東側に隣接した場所には「上家」の敷地跡が現存しており、かつて「神酒御願」の際に「神酒」が捧げられた集落四家の1つです。さらに「ミーヤ家」の西側の敷地はかつて「富着金細工」の屋敷があり、姓は「金城」でしたが現在は「仲村」となっています。当時は「恩納村」では有名な財産家で「アガリ家」の分家であり村の神女もこの家から出たと言われています。「富着金細工」の家は鍛冶工として財をなし「恩納村」では「前兼久・富着・仲泊・伊武部・山田」さらに「金武村」の「屋嘉」にも水田を持っていました。現在の「うるま市」の「東恩納」にある屋号「当ノ屋」から「仲泊」の水田を買った有名な話は今でも伝えられ、この水田を買い求めた資金は「屋嘉」と「山田」の水田を売却した金を元手にしたと言われています。因みに、この「当ノ屋」は「普天満宮」の洞窟に現れた「熊野権現」と名乗る仙人が「当ノ屋」に黄金(神徳)を捧げて苦難を救ったとの伝承があります。 ![]() (クシヌカーへの道) ![]() (クシヌカーの遥拝所) ![]() (クシヌカー) ![]() (クシヌカーの拝所) 「根神屋」から北東側に丘陵を下って行く道があり、途中に「クシヌカー」への遥拝所が設けられ、霊石が祀られています。高齢者や足が不自由な参拝者が急な斜面を下りずに「クシヌカー」を拝するように遥拝所が設置されていると考えられます。丘陵の麓まで降りると「クシヌカー」の小川が流れており、川沿いには霊石が祀られています。集落では9月15日の「井泉拝」では遠い先祖が恩恵を受けた「クシヌカー」に水の恩恵に対する感謝の祈願が行われます。「冨着古島」の草分け旧家で、源「南城市」の「玉城」に始祖を持つ「アガリ家」の南側丘陵の麓には「メーヌカー」が流れています。「井泉拝」において集落の南北に流れる2つの拝川を「玉城」の「受水/ウキンジュ・走水/ハインジュ」と重ね崇めて「冨着古島」の豊作祈願も同時に「井泉拝」の行事で祈願されていたと一説では考えられています。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2023.04.20 17:01:09
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