カテゴリ:あの日のこと
8月6日は何の日が知らない人(日本人)がいるというショッキングな事実を知ったのは約10年前。
本当にびっくりしました。日本中が当たり前に知ってると思い込んでました。関東の人は東京大空襲は知っていてもあの原爆投下の日を知らない人が多いのでしょうね。 いいえ、当時の大人でさえ、原爆投下の人たちを差別したと聞いてるし、あの出来事を他人事のように扱った人が多かったはず。 原爆投下のターゲットになった都市は広島だけではなかったけれど、それを知らない人が多いのでしょうね。そして、あの戦争の全日本人の最終的なツケを広島と長崎の市民が支払わされたということを。 今は知りませんが、私が子供のころ広島では義務教育、特に小学生では、平和教育という時間が夏に設けられていました。 平和公園あたりに行き、被爆体験者の方へのインタビューや調べた資料でプレゼンテーションをするなど、6人くらいでチームを作り自分たちの力で調べたり学んだりしたのです。 学校でも知るというのもありましたが、広島にいれば祖父母が被爆など普通にいましたから、8/6が何の日か知らないという人は広島では皆無です。転居したばかりの人は除きますが。 私の祖父も当日は市内にいました。広島の己斐(爆心地から北西に1.5kmあたりでしょうか…)で仕事をしていたそうです。 原爆投下時は祖父は地下にいたそうで、ドーンとすごい音がした、そのあと黒い雨が降ってきたと平和教育でインタビューアとしての孫の私に話してくれたことを思い出します。祖父は運よく地下にいたことで直接被ばくをしなかったし、病気になるまですこぶる健康で老衰により91歳で他界しました。亡くなる前、煙草も吸わないのに肺がんになったのは、間接被ばくのためかもしれませんが、今となってはわかりません。 祖父からはすすんで原爆時の話をしようとはしませんでした。たぶん、その当時のあの悲惨な現状を思い出すことになるからでしょう。私は子供ながらおじいちゃんは話したくなさそうだなと思って細かくしつこく聞かなかったのです。 しかし、ここ数年、私はそのことを後悔しています。祖父が生きている間にもっともっとしつこいくらい聞いておけばよかった。祖父はあの原爆投下時とそのすぐ後の光景を目の当たりにした数少ない人だったから。 いいえ、原爆投下の悲惨さだけではありません。当時40歳以上だった祖父がなぜあの戦争で出兵して無かったのか、日中戦争のときはどうだったのかなど聞きたいことが山ほどあります。 そんなことも含めて自分の子供に話したかった、そう後悔しています。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2014年08月06日 11時43分58秒
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