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さちさん2365さんのお買い物
さちさん2365の日記 [全648件]
何時の頃からか、免疫が落ち始め、身体のあちこちが、赤くなったり、水膨れができ、 というように、一か所が良くなると、他の場所という具合に、特に麻痺している、下 半身に次々と、出来ては治りと忙しく、一時は皮膚科に罹ったりもしたが、皮膚科で は、「これは、身体の免疫が落ちての症状なので、皮膚科的には、塗り薬を出すこと しかできないので、後は、内科の先生と相談してください」と言われてしまった。 一時は、腰から足に向かい、足の指の間まで、ジュクジュクし、みるみる足全体に広 がってしまい、外出などすると、帰って来てから、看護師さんに見てもらうと、ここ から出血してるけど、何かした?などと心配されたりしていたが、一先ずは皮膚科で もらってきた、ステロイド系の塗り薬をつけて、その場凌ぎの治療をしており、今は その時ほどではなくなり、大分奇麗になってきてはいる。 それでも、相変わらず、身体の調子が悪かったり、疲れたりすると、あちこちが赤く なり、最近では、尾てい骨の周りが、赤くなってきて、酷くなると、床擦れができて 治らなくなくなると、看護師さんに言われ、その昔、車椅子に座っていても、床擦れ ができ、一番酷い時には、お尻のあちこちに穴が開き、なかなか肉が上がってこない と、その皮膚が崩れた場所を、鋏でしょきじょき切られたものだった。 見ている看護師さんも「いくら感覚がないと言っても、そのまま切るのは可哀相です よ!」と言ってくれたが、元旦那さんは、容赦なく切っては、その穴に、コメガーゼ を入れるという、聞くだけで痛そうなことをしてくれていたものだったが、仕事をし ている時も、この傷は残っており、アシスタントの女の子達が、毎日、消毒したり、 ガーゼ交換したりと、文句一つ言わず、また嫌な顔もせず、手当していてくれた。 その時は、有り難いと思いはしても、何処かで、当然のこととして、流していたりも していた自分を思いだすと、本当に申し訳なく思い、今また、床擦れまでは、いかな いにしても、それに近い手当を、看護師さんにしてもらっていると、その頃の、彼女 達のことを思い出し、改めて、周りにいてくれた人達に恵まれていたことに感謝する 思いが、ジワジワと心の底から、湧いてきて、彼女達の幸せを願う自分が居る。 また、床擦れが出来たら、直すことが難しいことから、何とかそれほど悪くなる前に なんとかしようと、タオルを入れたり、クッションを入れたりと、いろいろ工夫して いるうちに、縫ぐるみを腰のところに敷いておくと、比較的赤くならずに済むことを 発見し、沢山いる縫ぐるみの中から、一番、良さげな物を選び、お尻の下に敷いてい るが、だんだん押し潰され、ひしゃげてくるのを見ると、可哀相に思えてきた。 時々、お尻の下のワンちゃんの頭をなでて「こんな役目をさせてごめんね」などと呟 いてはみるものの、大きさも、布の感じも、その犬の縫ぐるみが、一番身体には、あ っていることから、時々他の縫ぐるみと、取り替えてはみるが、結局そのワンちゃん にもどってしまう、「本当に悪いね?そのうちに、同じようなクッションを探してき てくれるから、それまでお願いね!」と言ったりしているが、なかなか無いと聞く。 こうして、床擦れだけでなく、寝ているといろんなことが起こったり、痛みとの戦い に疲れたりもするが、長く患っている病人は、皆どこかで、折り合いをつけながら、 毎日を過ごすしかなく、自分の身体の状態は、自分が一番良く解っているのだから、 そう思ったりもするが、普段元気で、突然病気になった人は、その折り合いが、自分 でつけるのが、なかなか難しいということも、もちろん解ってはいる。 癌を克服した従妹も、最後の一パーセントが、不安だと言って、全身くまなく検査し、 どこも悪くないと、言われてなお、医師に言われ、抗がん剤を飲んでいたが、その薬 を飲むにあたって、私と約束していた、もし、その薬の副作用がでてきたり、何か、 自分で我慢するようなことが、出てきたら、途中で辞めること、それだけは忘れない でね?と言っておいたが、どうやら、だんだんきつくなってきたらしいと聞いていた。 そんな従妹が、とうとうその薬を飲むのを止めたと聞いたのは、今朝のこと、近頃身 体が怠く、体調が良くないとは聞いていたが、従妹が、その薬を止めようと決心した のには、だんだん自分が自分でなくなるように感じていたある日、初めて、自分の家 を間違えたことがあり、それが可なり、ショックで、人格が破壊されていくようで、 それだけは、嫌だと思ったのと、他の医師から、その薬を飲む意味が解らないと言わ れたこともあり、今日思い切って、病院に行き、薬を飲みたくない旨を伝えたとか。 思っていたよりも、簡単に、医師が「ああ、それならその薬飲むの止めましょう」と 言ったことにも、それならなんでそんな薬を飲ませたのか?と一言言いたいところだ と思われるが、従妹曰く「薬飲まなくていいって、言ってくださって、安心した」と 優しい先生で良かったと、喜んでいたと姉が言いながら、私だったら、絶対なんで、 飲まなくていい、薬を飲ませたのか、怒るけどねと言いながらも、そこが従妹の、良 いところで、感心するし、真似したい処だけれどね!とも言っていた。 まだまだ、医師が絶対と思っている、年配の患者さんはたくさんおり、そこは譲れな いでしょう?と思うことでも、先生に言われたからと、可笑しいと思っても、受け入 れてしまう、そんな患者さんは多く、医師もまた、下手に言われたことに、反抗する ようなことを言われると、気分を悪くする人も、多いので、言えない気持ちもわから ない訳ではないが、自分を守れるのは、自分なのだと自信を持って欲しい。
やっとパソコンが使えるようになり、これまでに入ってきていたメールに目を通して いたら、依然、千葉のマンションに移ったばかりの時に、ヘルパーさんとして、入っ ていてくれた内の一人で、若い子が多かった中、家庭を持っていながら、介護の仕事 に懸命に携わるといった感じで、何にでも入り込む、真面目な性格から、仕事と家庭 との板挟みになり、悩んでいた人の姿が蘇ってくるようで、懐かしかった。 今では、念願のお子さんもでき、幸せ一杯のようなので、すぐに返信を書き、入院し ていたために、返信が遅れたことを謝りながら、懐かしい日々を、思い出したという 内容のメールを送り、携帯のメールアドレスも書き込んでおいたので、すぐに返信が 有り、近い内に、家に行きたいのですが?と、言ってきてくれたので、早速時間が空 いている日を、書き送ったのを見て、明後日の木曜日に遊びに来たいと言ってきた。 今から、久しぶりに会えるので、嬉しくてならず、子供が産まれてからは、初めての 訪問とあって、坊やと会えると思うと、余計に灌漑深く、介護に入ってくれていた頃 のことが、懐かしく思いだされる、あの頃は、まだ、コムスンという会社名で、高校 を卒業して、間もなく研修を終え、社会に出て働くといった、若い子が3人おり、そ の他にも、少しお姉さんであった子と、彼女が若手として、交互に入っていた。 若さゆえに、いろんなことが有り、我が家は身の上相談所と化しており、毎日、笑っ たり、泣いたりと、それは賑やかで、純粋な子ばかりで、良く泣いて、世の中の仕組 みが、納得いかないと、話しながら、「介護に来ているのに、泣いてばかりでごめん なさい」と言う子達には、「この部屋は、みんなの汗と、涙と、溜息で一杯だから、 掃除機で吸い取ってもらうから、いくら泣いてもいいよ」と、言っていたものだった。 そんな若い子達も、今では全員が良いお母さんとなっており、今度遊びに来てくれる 彼女も、少しお姉さんだったが、子供が出来たのが、後になったこともあって、悩ん でいたが、今ではそんな彼女もお母さん、女性というのは、やはり母親になると、急 に大人になり、しっかりしてくるので、母親が如何に強いのかが解り、みんなそうし て自然に、大人になっていくのだと、彼女達に教えられたように思う。 ここにきて、先週の木曜日には、午後から二人続けて、訪問者があり、いろんな話に 花を咲かせたが、今週もまた、木曜には、そうした訳で、積り積もった話ができそう で、また、その翌日には、カうんセラー仲間が二人、訪ねて来てくれることになって おり、今回、勉強会に出席できなかったので、そこで話された、重要な内容を、伝え に来てくれることになっており、本当に有り難い事と感謝している。 前回の勉強会で、まさかの私達で、カウンセリングルームを開設するという話がされ、 その時点では、詳しいことは、何一つ決まっていなくて、まだまだ先のこと、と皆が 思っていたのが、今回は世田谷の経堂にある、ビルの一室を契約したとか、団体の方 からのバックアップがある分、株式会社として登録するという話も、聞こえてきてお り、可なり、大掛かりになりそうではあるが、私の参加の仕方は、微妙ではある。 それもあって、私がやるなら、一緒にやりたいけれど、私のかかわり方によっては、 自分たちも無理という空気もあり、私としては、現実にクライアントさんを抱えて いることもあるが、どう考えても、月に一度か、二か月に一度くらいなら、どうにか 介護タクシーで行けるが、世田谷が拠点となると、通うのは難しく、どのように、か かわって行くかが、非常に難しい選択となりそうではある。 これがもう少し若く、身体も動いていれば、喜んで何でもやっていきたい思いで、大 いに力を入れ、やっていくのは、吝かでなかったろうが、体力が落ちているうえに、 脚がないのが、どうしても東京での仕事、それもカフェ形式で、中国茶を出す店にし そこで、地域に密着した、相談を聞く場所にしたいと、いうことと、他にもできる事 はなんでもする的な話に、私以外の年配組も、どう関われるか、頭を悩ませている。 今回の入院で、しみじみ無理は出来ないと思ったのは、退院してきても、なかなか体 調が戻らず、食欲もなく、天候のせいにしてみたりしたものの、やはり無理のできる 歳ではないのだと、思う反面、今だからこそ、最後の踏ん張りで、出来ることはしな くてはいけないのではないか?そう思う気持ちもあり、なんだかんだ言って、相談に 来る人、頼りにしてくれる人が居ると、解る間はまだ。自分で線引きは出来ない、そ う思いながらも今は、全く違った分野の友人との会話を楽しみたいと考えている。
以前このブログで紹介させて頂いた、70歳を過ぎて、初めて掛った病気が大腸癌で あり、挫けるかと思いきや、果敢に戦うと宣言し、口先だけではなく、本当に弱音を 吐かずに、医師の言うとおりに、一切病院で出された物以外は、口にせず、手術した 後も、痛み止めも、相当我慢したうえで、どうしようもなくて、打ってもらったのは たった一回と聞き、本当に我慢強い人と、感心させられ、親戚一同目を見張った。 それでも、何もかもが、事後承諾の形となった、子供たちが、介入してくるにつけ、 病院も決して安心して、任せられるような所ではなかったり、余りに軽く考えてい ることを心配し、我が家に訪ねてきて、退院する時点で、他の病院で、再検査して もらうことは出来ないだろうか?と言ってきて、できれば、私の方から、お母さん を説得してはもらえないだろうか?とも話しに来た。 そこで、退院が決まり、今後の治療方針が出た時点で、自分の意志で、他のリンパ線 や、部位に転移していないかを、癌センターか、大学病院で検査してもらいたいので 紹介状を書いてほしいと、お母さんから、主治医に話してみるよう説得するからと、 約束し、ようやくホッとした面持ちで、娘さんが帰った後、姉もお店の常連さんで、 そうした、病院の放射線科に親しい人が居るという人に相談したりした。 そんなこんなで、娘や息子だけでなく、親戚の年老いた、叔父、叔母や、目の不自由 なお兄さんなども、心配して、電話を幾度となくかけてきており、そうしたことを、 話し合い、きちんとフォローするからと、話したので、安心したようだと、姉に聞き また、姉の店の常連さんに聞いたところ、パットという検査を受けると、癌細胞が、 全身のどこに有るかが解る検査があり、それを受ければ安心だと聞いてきた。 その話を聞き、早速手紙に書き、子供たちや、叔父、叔母が心配していることや、今後 のこととして、その検査を受けたいと、主治医に話せば、紹介状も書いてくれるし、こ れまでのデータも、持たせてくれる筈、そうしたことを書いた手紙を渡したら、すぐに 従妹から電話があり、確かに、今度のことでは、余りに簡単に考え、子供たちにも何も 相談せずに、サッサと入院してしまい、今になって、悪いと思っていると言い出した。 息子もタイから戻って来て、一緒に先生の話を聞いてくれたり、いろいろ聞けなかった ことも、聞いてくれているので、退院時に今後の治療方針を話すと、言っているので。 その時に検査のことを、話してみると、案外簡単に了解してくれたことを思うと、やは り、治療が進む内に、不安に思うこともあったのだろうと思え、「病院を信じて」と、 言う言葉を尊重し、従妹のやりたいようにさせようと思ったことを、少し後悔した。 それでもいよいよ退院という時になって、やはり抗がん剤投与の治療をすると聞き、さす がに従妹も、ここで言わねばと思ったらしく、パットの検査を受けてから、今後の治療 を決めたいと話したらしく、医師も簡単に、それなら癌センターに紹介状を書きましょう と、言ってくれ、予約も取ってくれ、その間は、家で静養していてくださいとのことで、 無事退院できたし、話も思うとおりに行ったと、喜んで電話してきた。 その後、家に帰った従妹は、静養しているどころか、様子を見に行った姉が、驚いたと 言っていたのには、従妹はこれまでと変わらない生活に戻っていて、少しもジッとして いないので、「そんなに動いて大丈夫なの?」と言ったら、平気、平気と言って、本当 に入院する前と、少しも変わらない従妹の様子に、ますますこの人は、並みの精神力で はないと、改めて尊敬したと言っていたが、私としては、それはやり過ぎと思った。 すぐに電話し「姉さんから聞いたけど、そんな無茶したらダメ」と言ったら、「そうな の、やっぱり動くとすぐに疲れて横になりたくなるのよ」と言うのを聞き、せめて検査 が終わるまでは、大人しくするよう、掃除したい思いは解るけれど、ここで無理して、 何かあったら、今までの頑張りが、無駄になるし、そんなに手術後の身体を甘くみては いけないと話したら、言われた通りにしますと、やけに素直な返事が返ってきた。 その後は約束を守り、大人しくしていたらしく、時々電話してきて、本当はジッとして いると、検査結果が気になるのだと話すのを聞き、その思いは良く解り、もう少しの辛 抱だからと、慰めるしかなかったが、やがて、その日になり、みんなが落ち着かない、 一日が始まったが、結果として、どこにも転移していないし、癌細胞も見つからなかっ たとの報告に、初めて心から「やったね、良かったね」と言えた。 親戚一同がこの従妹に、頼っていたこともあって、今回の騒動は、従妹の思惑は大きく 外れ、みんなが心配し、我が家がそうした思いを受け止める拠点となり、この喜びも、 我が家から、みんなに発信し、喜び合ったが、その後も、もうどこも悪い所がないと、 解ったにもかかわらず、88%は大丈夫でも、後の1%の為に、ごく軽めの抗がん剤 投与を、一年かけてすると聞き、もう後は本人に任せようと、判断するしかなかった。 私としては、それでも最後の忠告として、その治療をして、余りにも体調が悪くなっ たり、苦しかったりしたら、途中で辞める勇気は、もって欲しい、それだけは言わず にいられなかったが、それは従妹も考えていたらしく、「そうね、我慢してまで受け る治療では無いものね?」と言ってくれ、今は、まだその薬を飲んでいるが、やはり 余り、体調が良い時ばかりではなく、躊躇いながらも、まだ、続けてはいる。 病気をすると、自分の思いだけでは、どうすることもできないことが、次々と出てく るものであることは、十分解ってはいても、今まで元気だった人に、それをどこまで 知らせるべきなのか、何と言っても、病気は本人の心の強さが、病気に負けないで、 早く病気を治すコツでもあるところから、無下に駄目というのも、憚れるが、良くな いことは、良くないと言う勇気も、持たなければ本人の為にならない、それだけは、 今回の従妹のことでは、学ばせてもらったと、今では感謝している。
お花見情報を更新した後、今年は何かいいこと有りそうな?そんな浮かれた思いで いたら、天候のせいか、体調が今一つ勝れず、治るの待っていたら、そのまま5月 に入ってしまい、数日来気分が勝れないまま、2日の日は、朝から気分が悪く、お 昼を過ぎた頃、吐き気がして、桶を取り寄せもどしたら、吐血したのを見て、また もや入院かと、姉の帰りを待っていた。 夕方になり、姉が帰ってきて、吐血したのを見て、すぐに病院に連絡するよう言われ 受話器を取り病院の救急外来に電話し、様子を話したら、すぐに来るように言われ、 姉が支度を始めたのを見て、私は連絡しておかなければならない所に電話し、自分の 身の回りの、持って行きたい物を纏めていたら、義兄が帰って来たので、すぐに救急 車を呼び、病院へ向かい、着くころには、頭が朦朧としていた。 幸いにも、当直の医師の中に、主治医である医師もおり、私のことは良く知ってくれ ていたので、他の医師にも、その先生が話をしてくれ、最も点滴を入れるのが難しい 人と言ったので、すぐに両手、両足をゴムで縛られ、点滴の針を入れだしたが、どう にも入らないことから、主治医が「この人の病気は脊髄動静脈瑠奇形なので、身体の 他の血管も、おそらく普通に走ってはいないのではないか?」そう話していた。 それでは、首からIVHを入れようということになり、透視しながら、管を入れ始めた が、こちらも一向にはいらず、最後に主治医が、何とか入れてくれ、思わず処置室の 中で、拍手が起きたくらい、先生たちは苦労して、点滴をいれてくれ、そのまま、レ ントゲン室に行き、口を大きく開けてと言われ、必至に口を開けたら、苦い薬が落と され、飲み込むよう言われ、飲み込んだら、マウスピースを咥えさせられた。 指示される声が、何処か遠くで聞こえてくるような、そんな思いでいたら、いきなり カメラが入って来て、余りの苦しさに、大分もどしながらも、何とか胃カメラを撮り 終え、すぐに病室のベッドに寝かされた頃には、夜も大分更けており、姉と義兄も、 そうそうに帰って行き、其の後は、連休ということもあり、4人部屋を一人で専用と なったことから、心置きなく唸ることができた。 翌日、主治医に胃腸は何ともないが、胃と食道の間に傷が有り、そこから出血したの だろうと聞かされ、炎症もあることから、抗生剤の投与もしたいので、5,6日もす れば帰れるだろう、とのことで、安心したが、結局10日間の入院となり、4日目位 から、少し楽になってきて、テレビも見られるようになると、家や携帯に入ってきて いるだろう相談者のことが気になり、不安も高まっているだろうと心配になった。 それでも、今は休養しなさいと、言われているのだと、無理やり思うようにし、家か ら持ってきた、これまで家でしていたことの、続きを始めたら、前から知っている、 看護師さんは、また始まったね?と笑っていたが、初めての看護師さんたちからは、 「病院に来てまで、何をそんなに忙しそうにしているの?」と聞かれ、少し良くなる と、沢山良くなった気がして、何かしらしてないと済まない貧乏性なのと答えた。 そんな私が面白いといって、若い看護師さんたちから、「この病院にも、カウンセラー 室があるといいのにね、大内さん来てくれない?」と言われ、そのうち、事務長さんに でも話してみようか?と、悪乗りして言ったりしたので、アットいう間にいろんな看護 師さん達と友達になり、退院するまで、良くしてもらい、この入院も悪いものではなか ったのでは?そう思えたことで、休養もできたし、これからは不安でいるだろう、人達 に、帰ったら、懸命に相談に乗らなければ、そう思いながら帰ってきた。 病室は、大腸の検査や目の手術で、1日だけ泊まって帰る人ばかりで、話をする暇もな く、ただ、隣のベッドには、退院する3日前から入って来た、年配の人は、私のように なかなか血管の出ない人らしく、余り状態もよくないことから、食事の時以外は、ずっ と寝ており、昼間付き添いに来ていた娘さんは、電動車椅子で通って来ていたにもかか わらず、お母さんがずっと眠っているのが、辛いのか、時々すすり泣く声が気になった。 何度か、声を掛けようかとも思ったが、ここはそっとしておいてあげる方が、親切そう 判断し、黙っていたが、夜になると、呼び鈴を押せない、患者さんが、ブザーをベッド に打ち付け、娘さんの名を何度か呼ぶと、変わりにブザーを押し、看護師さんを呼んで あげることくらししか出来なかったが、その後、私が退院した後、夜はどうしているの か、帰って来た後も、暫くは心配だったりもして、病院に行くと、何かしら思うことが あるものと、これまでの入院のことも、思い出したりもした。 帰ってきてからも、暫くは、本調子になれず、それでも帰って来たと知った、クライア ントから、メールや電話が殺到し、ここは多少つらくても、不安な思いをさせた分、き ちんと対応しなければの思いで、できるだけ丁寧に答えるようにしていたが、息がきれ なかなか思うようにいかず、自分の弱さに、腹が立ったりもし、その上、退院して、間 もなく、カウンセラーの勉強会があったが、それも欠席し、仲間に心配かけてしまった。 やっと少し、元気になり、ブログを書きたいとパソコンに向かったら、今度は、パソコ ンが起動するが、ネットが繋がらず、家の電話番号を変えたせいもあるのかと、あちこ ちに電話し、やっと使えるようになり、今日こうして、更新文章を書いているが、実は 昨日も書いたのだか、途中で文章が消えてしまい、結構書いてから、消えたので、また 改めて書く気にもなれず、今日になってしまった。 2月から3月にかけて、我が家ではいろんなことが起こり、気候も悪かったことから 体調を崩したものと、思えるが、これからは変に無理をせず、皆に心配かけなくてす むよう、淡々と、暮らして行こう、そう思いながらも、今年はこれからも、私達カウ ンセラー仲間で、カウンセリングルームを、所属する団体の後押しもあって、開設す ることにもなっており、まだまだやることが、有りそうで病気などしていられない。 昨日は、コメント寄せて下せっていた方々に、返信メールができたことで、ブログま では、届かなかったが、まだまだ、これからもこの画面で、お話したいことが、有り そうなので、初心に戻って、成るべく更新するようにしたいとおもっている、なんて 事を書くと、すぐにパソコンが壊れたり、私が壊れたりするので、無理せず、書ける 時に書く、このスタイルでいくとしましょうか?
このパソコンに換えてから、何度も故障したものの、今度ばかりは、修理に出さねば ならなくなり、やっと返ってきたら、その日の内に、またもや、修理に出す羽目にな ってしまい、長い間ブログの更新はおろか、パソコンに触ることも、買い物をするこ ともできず、いろんな意味で、生活のサイクルが変わってしまい、ブログ更新できな い間、いろんな皆さんに心配かけてしまったことにも改めて、ごめんなさいを言いたい。 昨日、春の嵐が来ると天気予報では、絶対的に、お花見日和には適さない日と聞き、 折角、楽しみにしていてくれている人が、がっかりするだろうと、思いながらも、 世田谷の砧公園の桜を、一度見せたいといって、計画を立ててくれた二人だったが、 奥さんが、妊娠7週目とあっては、まだ、安定期には程遠く、身体を冷やしたりし たら、とんでもないことになりそうで、ここは思案のしどころと、悩んでいた。 そんな時、一緒に行くことになっていた、看護師の友人から電話があり、これから、 もっと風か強くなり、暴風雨のような天気になるというし、彼女の体調も良くなく、 そこにまだ安定期に入っていない妊婦さんを、連れていくことはできないよ、と言っ てきたのを聞き、二人に電話して、相談してみるけれど、貴方は、今月は休みが、今 日だけと言っていたので、とりあえず、ゆっくり休むよう伝え、電話を切った。 そのあと、すぐに若いご夫婦のうちご主人に電話し、この状況でどうするかを聞いた が返ってきた言葉は、すっかり行くつもりにしているようで、彼女も仕事に行ってい るのだから、車に乗っていればいいだけなので、むしろストレス解消になっていいと、 思いますよとの言葉に、外の様子を見れば、雨も風も大したことはなく、これからな のだろう、そう思いながらも、無理なら途中で引き返してくればいいだけの話と考えた。 結局、予定通り、10時に迎えに来てもらい、出かけたが、雨足はさほどでもなく、目 的地の世田谷の、砧公園につくころには、雨も上がり、いい具合に風が吹き、桜は満開 で。いきなりの、目の保養に、テンションは上がりっぱなしの三人、砧公園の広さも。 さることながら、その桜の木の見事さは、何十年ぶりかで、花見と洒落込んだ私の、ハ ートは鷲掴みされたようで、時折吹く風に、花弁が舞い、意見事な花吹雪に身を晒した。 二人は、出会ってからというもの、毎年花見の時期には、この砧公園に来るそうな、だ からこそ、私を連れてきたいと思ってくれたのだろうと、ただ、ただ若い二人に感謝、 感謝、妊婦さんの胎教にも、いいものがあるに違いないと話ながら、桜の木の下を。 そぞろ歩きしていたら、携帯が鳴り、姉からの電話で、大腸癌で手術し、その後ベット という全身の疾患を見つけてくれる、優れものの検査を受けていた結果がでたと言う。 どんな言葉が出てくるものか、耳を澄ませば、どこにも転移してなくて、手術は成功、 これから、抗がん剤治療をするために、どこに転移しているのかを、探して、ピンポ イントで治療するための検査で、どこにも転移もなく、健康体であると分かり、思わ ず、三人で万歳と叫び、拍手して喜び、次は、貴方が、元気な赤ちゃんを産む番だね と、話題はそちらに向かい、久々に心が晴れ、伸びやかな思いになった。 桜を堪能し、桜の精気を思い切り浴びた後、食事をしに行き、とてもお洒落で、それで いて、お値段手頃の、少しかわったレストランで食事をしながら、先日、ご主人の、親 戚が集まる日に、妊娠したことを告げるとはなしていたので、その時の様子を聞いたら ご主人の、お父さんが一番喜んで、うるうるしていたと聞き、みんなに祝福され、産ま れてくる子は、幸せだと思え、長い間待ちわびていた事が、現実となった神秘に感謝。 余り、風が強くならないうちに、帰ろうと、車に乗って少し経ったころ、突然大粒の 雨が降り出し、またまたラッキー!帰りは、疲れたのか、急に静かになったと思えば、 彼女は熟睡しているようで、邪魔にならないよう、黙って後ろの席から、運転に集中 しているご主人を見れば、こちらもかなり、眠そうな気配で、さかんにガムをかみ、 目を開けているのに、必至な様子にハラハラしながらも、窓を打つ雨の音を聞いていた。 それでも、家に着くころには、雨脚が弱まり、なんと間が良いことよ、そう思いながら 無事帰宅し、待ってましたとばかりに、パソコンの初期設定を、ご主人に頼み、見事 復活したパソコンに、今日また、お待たせしました。というか、またよろしくお願い します。そんな思いでパソコンに向かっているが、2月、3月とまとめて、いろんな 事件が起き、激動の二か月となったが、それはおいおい書き込むとして、取り敢えず、 只今の挨拶と、パソコンも戦っていたが、私も自分の身体と戦っていた事を報告したい。
前々から姉が居酒屋をやっていることは、時々ブログでも書いてはいたものの、 話のついでに書いたもので、詳しい事には触れていなかったが、昨年こちらに、 越して来て間もなく、ネット販売の会社から、お声がかかり、店で出していた、 いろいろな燻製を、ネット販売しないかと、誘われたらしく、その気になった ものの、姉も義兄もパソコンは、いじったことがなく、勿論持ってもいない。 そこで、今、店を手伝っている、甥の登場となり、甥もパソコンには疎く、使 ってはいなかったが、これを切っ掛けに、始めるとしても、ネット販売の方は 一日も早く、始めた方かいいと言ってきており、甥の準備ができるまで、私の パソコンを貸してほしいとのことで、最初のホームページの立ち上げなどは、 私の部屋に皆が押し掛け、ワイワイ言いながら、ホームページを立ち上げた。 それからは、甥が使うパソコンはあるのだが、アダプターが無いので使えないと、 いう事で、ネットで探したり、いろいろ手を打ったが、見つからず、仕方がない から、もうこの際新しいパソコンを買おう、という事になり、そのパソコンをネ ットで買ってくれないかと頼まれ、すぐに手頃なものがあったので、頼んでおい たが、それまでの間、ネット会社と店の間に入り、忙しくなってしまった。 自分のパソコンながら、ネット会社から、送られてきた書類の映像を、印刷して、 姉に渡したり、書類のやり取りも、いちいち印刷して渡す、というようなことを、 しているうちに、自分の様を足す暇が無くなり、いざ、使おうとしたら、パソコ ンが動かなくなってしまい、新しくしてから、良く故障するので、このパソコン の前のものは、十年以上使っていても、滅多に動かなくなることはなかった。 パソコンを変えた途端、いろんな機能が付いている分、繊細に出来ているのか、す こし油断すると、直ぐに画面が消えてしまったりと、いろいろ起こるので、如何に 前のパソコンが、お利口さんで、丈夫であったのかが解り、このパソコンも扱いさ え、間違わなければ、そうそう動かなくなることもないのだろうが、兎に角も、自 分のことだけに、使っている分には、それでも良いが、店のことでも使うとなれば 話は違い、ヤキモキしたが、甥のパソコンが届いてからは、少し楽になった。 そうなればなったで、今度は私が壊れてしまい、ブログの更新もできずにいて、友 人から、電話が掛ってきて、近頃ブログの更新もないから、具合悪いのかと思って と言ってきてくれ、体調も確かに悪いのだけれど、というような話をし、やっぱり 心配かけていたのだと思い、体調の良いのを、幸いにまた復活し、二、三日続けて 更新できて、喜んでいたら、またもや、私もパソコンも壊れてしまった。 そんなこんなで、時間の流れがこんなにも速いのだと、思い知らされた気分で、ア ッと言う間に、新しい年になり、誕生日が来てと、どうにもこの時間の流れには、 逆らえないのだと、心から解ってきたように思えるようになり、何事も自然に任せ るのが一番、そう思ったら、気持ちが楽になったが、身体も楽になったように思え た時に、今年の誕生日が来て、従姉妹が入院するという間反対の出来事が起こった。 誕生日を境に、体調はまずまずながら、パソコンは相変わらずの気まぐれさん、今 できることを、しっかりやる、と思っていたのは、前からではあっても、現実には そうきちんとできずに、この歳になってしまったが、従姉妹のこともあり、やっぱ り、自分の思う通りに生きるのが一番、その思いに変わりはないが、身体は相変わ らずで、尿が妙に白い粉状のものが出て来て、管が詰まりぎみ。 23日の夜、管が詰まっているのが解り、その時は何とか、通るようになり、胸を 撫で下ろしたが、27日、日曜日の夜、11時も過ぎた頃、何だか可笑しいと、確 かめたら、またもや管が詰まり、同じようにしてみたが、一向に尿が出て来ず、自 分で、管の洗浄をしてみようと、姉に頼み、用意ししてもらったが、どうにも管に 水が入っていかないことから、看護師さんに緊急電話をしたら、すぐに行くとのこと。 安心して待っている間も、お腹が張ってきて、苦しくなり、肩で息をしていたら、 看護師さんが飛んできてくれて、管を交換してもらい、目出度く開通したが、こ うちょくちょく、管が詰まってしまっては、安心できないので、今度病院に行く日 まで、毎日管の洗浄をしようということになり、前は自分でしていたことでもあり、 看護師さんの入らない日は、自分で洗浄することに決めた。 次々といろんなものが壊れたりと、このところ、私の周りだけでも、大腸ファイバ ーの検査をした人が、三人おり、一人はなんでもなかったが、従姉妹は癌が見つか り、甥は潰瘍手前の状態で、薬で治るかどうかは、今日検査結果が解ることとなっ ていて、お店も当分、ランチは休むという事になり、そんな話から、この5月には 店のリニューアルをするのだと言う話を、初めて聞き、そりゃまたどうして? 思えば姉の店も、もう開店から十一年が経ち、今年で十二年目となり、大分あちこ ち、ガタがきているのは確かながら、そうしようと思った切っ掛けがあったのだろ う?そう思い聞いてみれば、店が歳を取るように、お客様も歳を取ってきて、座敷 に座って飲む形が、辛くなってきたので、小上がりを取っ払い、テーブルと椅子に するのだと聞き、それはご最もと納得はいった。 ただ、流石にお客様のことを考えていると思ったのは、同じテーブルでも、座敷感 覚の低いテーブルと、椅子もかなり低い、今の状態と余り変わらない様な、多少立 ち上がったり、するのが楽になるようにと考え、手を入れるのだと言う話になり、 全体に大分汚れてきたところは、治すとしても、今の雰囲気は成るべく変えたくな いという気持ちは、良く解るが、拘りの源が知りたくて、何時になく、店の話をした。 その時に、姉の店が、食べログで、今千葉で7位、京成界隈では、2位になっている と、お客様に聞いたと聞き、近頃、若いお役様が増えて来て、誰かの紹介で来て下さ ったのかと聞いたときに、その話を聞き、店の者は勿論のこと、私も前は時々覗いて いたけれど、最近は自分のブログの更新も、儘ならないところから、全く覗いていな かったので、まさか、まさかの話に、思わずお祝いの拍手を贈った。 もっとも、姉も義兄も、自分のもてる力の全てを店に、注いでおり、お客様への氣使 いは、半端ではないことから、見てくれている人は、やっぱり見ていてくれるのだ? そんなことを思い、生き方はまるで違うし、性格も間反対と言っても、いいほど違っ ていても、それぞれの場所で、懸命に生きる姿勢に変わりはないのだと、またもや、 身近な人間から、勇気がもらえたようで、近頃嬉しい話ではある。
今年に入ってから、72になる従姉妹のことが気になり、何もあった訳でもないが、 歳も歳なので、身体に気を付けてね!の意味を込めて、千羽鶴を折ることにして、 折り終わったので、取りに来て欲しいと電話したところ、従姉妹は驚いた口調で、 「エー何でまた私に?」と聞かれ、理由はないけど、そろそろ身体も弱ってくる歳 だと思ってね?と言ったら、今週、大腸の再検に行くので、帰りに寄ると言われた。 大腸ファイバーの検査の後、何処かに寄るのは、難しいと思うよ、きっと真っ直ぐ 帰りたくなると思うよ?そう言う私の言葉に、暫く考え、寄れたら寄ることにする から、宛にしないで待っていてね?そんな会話を交わして間もなく、従姉妹からの 電話で、今病院なんだけど、検査で引っかかって、腫瘍があると言われたので、こ れから鶴もらいに行きながら、寄るからね、と言うことだった。 腫瘍って癌のことだよね?などと姉と話しながら、胸がザワザワ騒ぎ出し、何でも ないような口調だったけど、やっぱりショックだよね?等と話しながらも、気持ち は上の空でいて、何と言ったら良いのか解らず、走馬灯のように、従姉妹との思い でが、頭の中で回りだしたが、この従姉妹は他の従姉妹とは、大分付き合いも深く 母親同士が姉妹であり、叔母は母の姉であり、今はもう二人ともこの世に居ない。 従姉妹は、私の亡くなった母親が大好きで、何時も一緒に行動し、三人姉妹のよう な感じで育ち、服を作る時も、手編みのセーターも、三人一緒に創っていたし、家 にもちょくちょく遊びに来ていて、母が亡くなってからは、姉は叔母を母親代わり として育ったと言ってもいいくらい、叔母の家に入りびたり、学校も叔母の家から 通っていたほど、叔母のことも、従姉妹のことも慕っていた。 私もまた、この従姉妹のことは、一目置いており、育った環境は決して、良いとは 言えないどころか、ある意味過酷なものであったのにも関わらず、真っ直ぐな心と 強い意思を持ちながら、少しも偉ぶったところがなく、この人の前にでると、こち らまで、幸せな気持ちになれるくらい、元気一杯なパワーと、前向きな考えで、ど んな辛い状況でも、笑い飛ばしてしまう強さを持った人だ。 流石に癌の宣告を受けては、普通ではいられないだろう?そう思いながら、来るの を待っていたが、来てみれば、何時もと変わりない、元気一杯な従姉妹だったが、 話を聞けば、癌は取ってしまえば大丈夫と言われたが、貧血が酷いので、早めに入 院し、鉄剤などで、貧血の治療をしてからでないと手術出来ないとのことで、思っ ていた以上に、思い状態なのに、自分のことより、旦那さんのことを心配していた。 従姉妹曰く、これまでいろんな人に助けてもらって生きてきたので、今回は一人で 闘ってみようと思うので、お見舞いも来なくていいし、放っておいてよ!なんて事 を言いだし、私としては、そんな従姉妹は相変わらず前向きで、凄いと思いながら も、少し気負い過ぎと感じ、「そんなに頑張ると、何か思わぬことが起きると、心 がポッッキと折れてしまうから、もっと柔軟性を持った考え方しなよ」と言った。 それまできっと、思わぬことになり、自分を励ます積りで、道々考えて来たのだろ うが、それは本意でないと思い、そう言ったのだが、その言葉を聞いた途端、頬が 緩み、「そうだよね、こんな時は、甘えていいんだよねー?やっぱり甘えます」の 言葉に笑いながらも、ただ、今回のこの病気を、誰に知らせるか迷っていると言い、 お兄さんは、目が不自由なので、出来れば知らせたくない、と言いだした。 それでも、1,2週間ならともかくも、1ヶ月以上も、家を留守にするのだから、 余計な心配を掛けることになるかもしれず、やっぱり知らせておいた方がいいと言 ったので、それもそうだと知らせることにし、子供たちに心配かけたくないから、 どうしようと言うのを聞き、子供に心配かけるのは当然の事、知らせないと、逆に 恨まれるよ!と言って、知らせるよう説得した。 その時、何れお父さんが先か、自分が先かは解らないけど、もし、自分ひとりにな ったら、娘は嫁に行ったのだから、迷惑は掛けられないから、私が息子の居る台湾 に行けばいい事なのよね?と言うのを聞き、70歳も過ぎて、外国で暮らすように なることなど、自分が環境に慣れればいいだけのこと、息子の人生を変える権限な ど親にはない、そうあっさり言う、従姉妹はやっぱり凄いと思った。 そして、私の誕生日の翌日の朝、電話があり、「これから、入院しに行ってきます ね、留守中お父さんをお願いします、私は大丈夫だから、さっちゃんもお大事に」 そう言って電話が切れたが、この時も胸がキュンとしたのは、人に頼らないと言っ たのは、やっぱり自分の気持ちを奮い立たせたくて、言っていたのだと思え、どれ だけ、旦那さん一人にして入院することが、どんなに辛いことかと、心が痛い。 その晩のこと、どうもお尻のあたりに、違和感を感じ、可笑しいと思いながら、姉 の帰りを待ち、見てもらったら、パットに尿が大分吸い込まれていると言われ、す ぐに尿の管を見てみたら、白い砂のようなドロドロしたものが、管に詰まっていた ので、尿が流れなかったのだと解り、懸命に詰まったものを、流す作業をしたら、 ドロドロが流れ、後から綺麗な尿が出てきたので、一安心した。 その後、早速今日従姉妹のところに行ってみたと言うことで、様子を聞いたら、6 人部屋は仕方無いにしても、みんなカーテンを閉めているので、妙に暗く感じられ 従姉妹も点滴していたので、横になっていたけど、何だか可哀想で、と言い出し、 昨日まで、普通の食事していたのに、入院と同時に、御粥に刻み食や、ミキサー食 で、ドロドロした訳の解らない物しか食べられないなんて、と話し出した。 それは治療する為に入院したのだから、仕方ないとしても、従姉妹は自分の状態が そこまで、悪いとは思っていなかった筈なのに、そんな状態になっても、顔は正直 で、参ったと書いてあるのに、口では、「私、御粥嫌いじゃないし、ドロドロも嫌 いじゃないから大丈夫」そう言って笑うの、そんな従姉妹に、思わず心の中で、手 を合わせ、拝みたくなった、そうした話を聞き、私の目からも涙が流れた。 何もしてあげられないし、何でまた、善人を絵に描いたような人間が、癌にならな ければならないのか?若くて身体は健康なのに、心を病んだばかりに、少しでも不 安になったり、イラつくと、死んでしまいたいと言って、実際に命を粗末にしてい る子達に、毎日にように、命の尊さ、寿命が来ない限りは、人間は勝手に死ぬこと はできないのだと、説得メールを書いていることを思うと、世の不条理を思う。 命の重みは皆一緒なのに、心の持ちようでこうも、重みが違ってくるのか?一度そ の命を放棄しようとして、生き残った苦い経験を持つ私に取って、今自分が消える ことができたらどんなに楽か?そう思う気持ちも、良く解るし、だからと言って、 人はどんなに死にたいと望んでも、その時が来ないと、死ねないということも知っ ているだけに、解ってもらおうと必死にメールしている一方で、生きようと、必死 に闘う人を前にして、掛ける言葉が見つからない。 それでも、私のできる事は、手紙を書き、姉に託すしかなく、これから当分の間は 朝起きたら、食事の後、毎日手紙を書こうと思っている、幸い、従姉妹の入院した 病院は、我が家のすぐ近くにある、何時だったか、その姉妹病院に入院し、偉い目 に合い、逃出してきた、親病院で余り評判は良くなく、その病院を選んだ基準は、 解らないが、従姉妹はそこの病院に全てを預け、信じようとしている以上、下手な ことは言えないと、姉とも話、後は従姉妹の運の強さを信じるしかできないのだ。 カウンセラーとして、クライアントと向き合いながら、自分の非力さに、打ち拉が れながら、どうすることも出来ない自分を、腹立たしく思う日々の中、今度は闘う 人の役に立つこともできないと、思い知らされ、どちらにしても、非力で何もして あげられないのを解っていながらも、何もせずに見ていることもできないとなれば 後は、祈る事と、どんなに届かないと思っても、自分の思いを聞いてもらうしかな いのであり、出来る限りメッセージを、送り続けるしかないのだと、思っている。 |一覧|おすすめアイテム |
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