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天猫の空小屋

天猫の空小屋

PLAY-ROOMS


 どっかの誰かが「それでも笑えるんだ」と、そう言っていた。
 そういえば、彼女はいつも笑っていたような気がする。気がするというのは、自分にとっては彼女の笑顔はとても歪で、まともに見たことがなかったからだ。
 見ないようにしてただけだろ。彼はそう言った。まったくもってその通りだ。ああそういえば彼女たちは、俺とあいつの関係を見ていつも苦い顔をしていたっけ。
 ただ、あそこにはあのとき、夢のような空間が広がっていた。どこからともなく集まった俺たちは、あそこでお互いに距離を置きながらも、そうだな、笑っていたような、そんな気がするんだ。

 そうだ。あのときほんの一瞬でも、俺たちは世界ってやつと向き合ってた。結果がどうなったかなんてのはどうでもいい。あいつはあのとき笑って、俺だって、笑っていた。だったら、何も言うことはない。それだけで、いいんだ。

 きっと俺たちの時間は、あの部屋で止まっている。ただ、それでもいい。そう思える時間を、俺たちは過ごしたんだ。―――きっと。


 PLAY-ROOMS 
 奴隷彼女( 1 )


「鞄を預けてください。私が持ちます」
 やけに澄み切った声が、アスファルトの上に響く。じりじりと照りつける日差しが反射され、今にも空間が歪められそうな暑さだ。暦の上では、本格的な夏場はまだ先だというのに。これも温暖化ってやつの影響だろうか。
「聞いていますか? 鞄を、渡してください。私をなんだと思っているのですか」
 そんな暑さの中でも、はっきりと聞こえてくる声。唯一の清涼剤とも言える。ただ、かまわず歩き続けることにした。今は、こいつに構っている余裕はない。一刻も早く家へとたどり着きたいのだ。冷蔵庫の中には冷えた麦茶もある。
「ちょ、ちょっと。歩くのが早いです。なんで速度を上げるんですか!」
 無視だ。あんな奴俺は知らないし、どうでもいい。そんなことよりも、一刻も早く水分補給だ。
「ま、待ってください! 鞄を! ・・・・・・ご主人様っ!!」
 だんだんと声が大きくなってきた。そして、今の台詞は無視するわけにはいかない。ああもう、なんだって俺が。
「おい、今なんてった?」
 足を止めて振り返る。数歩遅れて、小走りで声の主が駆けよってきた。
「はあ、はあ。ご主人様、歩くの早すぎです。それと、鞄を」
 見るからに水分やら常識やら、その他様々なものが足りてない。制服は汗でびしょびしょで、背中から下着が透けて見えている。息が上がりすぎているせいで、見ているこちらがしんどくなりそうだ。だが、目の前の女はそれでも手を差し出してくる。俺の鞄が目的らしい。
「死にかけじゃねえか。そんなやつに大事な鞄を任せられるか」
 もちろん嘘だ。たとえぴんぴんしてたって、男が女に鞄を持たせられるわけがない。
「す、すみません」
 ただ、こいつには今の説明は効いたようだ。本当にすまなさそうに頭を下げる。
「ああもう、そういうのはいいと言っただろう。自然にしろ、自然に」
 その、汗を吸いこんで少々平たくなっている頭頂部に凸ピンをしてやる。おお、なかなかいい音がするではないか。
「ご、ご主人様!? 私の頭はスイカではありません! もちろん、食べごろなんてものもありませんから!」
「ええい、ならスイカのほうがよっぽど役に立つわい。いいかげん、それを止めろと言ってるんだ」
 今度は手のひらで軽く叩いてやる。ぽんっと、かなり軽い音がした。こいつ、中にちゃんと詰まってるのだろうか。
「うう、ご主人様。それって何ですか?」
 俺の手をそれでも甘んじて受けながら、目の前のスイカ(小玉)はまったくもって何もわかっちゃいないことを言い出した。
「その『ご主人様』を止めろと言っているんだ!!」
「な、なんでですか!?」
 間髪いれずにスイカ(すかすか)が聞き返してきやがった。
「お前はほんとに頭が緑黄色野菜だな! こんな往来でそんな呼び方されたら迷惑だと言ってるんだ!!」
「で、でもご主人様はご主人様ですし」
「この、イエローパプリカが! 電話口ではたとえ上司でも呼び捨てで呼ぶもんだろうが、それと同じだ! 解雇するぞ貴様!!」
「そ、それは大いに困ります!」
「なら、せめて公共の場では俺のことを『ご主人様』なんて言うな! いいな!」
 最後に額におもいきり凸ピンをしてやると、スコーンとなんとも心地いい音がした。
「いたたた。わ、わかりました。ご主人様がそこまで仰るならなんとかします」
「わかればいいんだ。・・・・・・って、ん? 全然分かってないじゃないか!!」

 ああもう! と、頭を掻き毟る。そんな俺を横目に、「あれ。でも、ご主人様はご主人様で。ご主人様でないとすれば何と言えば・・・・・・」などと意味不明な自問に浸っている緑黄色野菜。もとい、雛菱明日香。

 こいつとの出会いは、一口で言うならば『衝撃的』だった。
「私を、あなたの奴隷にしてくれませんか?」
 なんせ、初めに交わした会話がこれである。俺も、なんで「ああいいよ」なんて軽く返事をしたのか謎でしかたない。
 たぶん、退屈していたからだ。世界というものに、いいかげん飽き飽きしていたのだ。こう言っておけば、思春期特有の若気の至りとして処理される気がする。断じて、こいつをパッと見たときに「けっこうスタイルいいな」とか「ど、奴隷って・・・・・・ごくり」などと馬鹿丸出しの性欲猿になっていたわけではない。そう、なっていたわけではない。
 本当に真面目に回答するならば、こいつがなんだか放っておけなくなっただけだ。それ以上でも以下でもない。ただ、なんだか自分と似ているなと、そう感じただけだ。
(しかし、こいつが俺と似ている? ああ、あの瞬間の俺を殴り殺したい。一瞬でもそんなことを思った俺をっ!)

「ふう、やっと着きましたね。暑すぎて腐りそうです。早く入りましょう」
 そんな感じで過去の自分に頭の中で鉄拳を御見舞しているうちに、どうやら家まで着いてしまったようだ。
「確かに暑いな、帰って麦茶でも飲もう」
 軽く鉄筋コンクリート建ての我が家を見上げる。部屋数8、三階建て。エレベーター不完備のマンションだ。ん? マンション、だよな。アパート? まあこの際どうでもいい。つまりはここの、一階にある管理人室が俺の自宅というわけだ。
「それにしても、すごいですよね。ご主人様、高校生なのにこんな立派な箱もの持ってて」
 影になっているおかげで多少は涼しい通路を進んでいると、明日香がそんなことを言い出した。
「別にすごくない。親が勝手に寄こしただけだ」
「それがすごいんですよ。いいなあ、お金持ちって」
 明日香はいつも通りにニコニコと、鞄を少し重そうにしながら2つ抱えて歩いている。って、いつの間に俺の鞄を。
「ご主人様がなにやらシャドーファイトに明け暮れている間に」
 ああそうかい。まあ、鍵を取り出したかったからちょうどよかったと言ったらよかった。
 かちりと、鍵を鍵穴に入れて回した。古いタイプの鍵だが、防犯にはこれといって問題はないだろう。
「うお、なんだこりゃ。サウナかなんかか」
「うわあ、蒸し風呂状態ですね。とりあえず換気しますか?」
 扉を開けたとたんに、もわっとした熱気が全身を襲ってきた。どうやら暖気をちゃくちゃくとため込んでいたらしい。
 お互いにそれぞれ、二つある窓を開けて多少は涼しげな風を送り込んでやる。
「とりあえずはこんなもんだろ。もう少ししたらクーラーでも付けようか」
「大賛成です。さすがの私も干物になってしまいますよ、これでは」
 冷蔵庫まで歩いていき、中から紙パックの麦茶を取り出す。ごきゅごきゅと喉を鳴らしながら流し込むと、全身に水分が沁み渡っていくのを感じる。
「ん、どうした? お前の分もあるから飲めよ」
 見ると、明日香が水道に顔を近づけている。どうやら蛇口からダイレクトで水道水を飲もうとしているようだ。
「え、いいんですか。ありがとうございます!」
 声をかけたとたんに満面の笑みで振り向くと、ダッシュでこちらまで駆けてきた。ふんふんふんと鼻歌を口ずさみながら、冷蔵庫の中の紙パックを取り出している。
「・・・・・・お前な。俺が麦茶すらやらない、そんなケチな男だと思っていたのか」
「やだなあ、違いますよ。あくまで私の習慣ですから。普段なら、食事のとき以外に水を飲むことすら珍しいんですよ」
 言いながら、不器用に紙パックの口を開けている。あんな開け方ではこぼれてしまうと思うのだが。
「ごっごっごっごっごっごっ! ぷはあ! 美味しいですなあ!!」
「そ、そうか。喜んでくれたようでなによりだ」
 案の定、口の横から麦茶が漏れて首にかかっているのだが、本人にはさほど気になることでもないらしい。
 それにしてもこの雛菱明日香という女、付き合えば付き合うほどに変わった奴である。まあ、初対面の男にあんなことを言うくらいだからまともな奴だとは初めから思っていないのだが。
 こいつと出会って、こいつのご主人様とやらになって、はや三日。どうにも調子が掴みにくい奴である。
「お前さ。奴隷とかって言ってたけど、あれって本気か?」
 何か、聞いておかなくちゃいけない気がして、明日香の背中に話しかけていた。汗はまだ引いておらず、下着の線が丸見えだ。
「本気かって、当り前じゃないですか。何言ってるんですか、今更」
 そう言いながら振り返った明日香の眼は、どこか知らない世界の、そう宇宙人のような印象を受けた。
「そ、そうだよな。すまん。でもさ、奴隷ってその。ほらやっぱり、健全な男子高校生としてはそんな感じのことも考えてしまうわけで」
 もはや何を言ってるかわからなかったし、それが何の期待を込めた言葉だったのかも分からない。俺は、明日香に何と言ってほしかったのだろう。
「ああ、なるほど。ええ、構いませんよ」
「か、構わないって・・・・・・」
「ですから、何をしてもらっても構いません。ご主人様が命じられるなら何でもしますし、逆にご主人様が私に何をしようが自由です」
「それって、つまり」
「そうですね。あえて男子高校生風に言うなら、私を性奴隷だとか肉奴隷だとか、そんな感じに扱ってもらって特に問題はありませんよ」
 あっけらかんと、まるで「お茶くみでもしましょうか」とか言い出しそうな感じで明日香は言った。なにやら、後頭部を鈍器で殴られたかのような感覚が襲う。現実がフィクションに侵食されるような、そんな感覚だ。
「まあでも。奴隷っていっても、最低限の人権はあるんで。そうですね、衣食住くらいは確保していただけると助かりますかね。小説じゃないんですから、白濁したタンパク質だけでは私は生きていけませんし」
「って! ちょっとまったあ!!」
 たまらず声を張り上げていた。とりあえず、頭を今の会話の段階まで追い付かせる。・・・・・・だめだ、理解できない。こいつは何を考えているんだ。そういう性癖でもあるのか。
「あのさ、一つ聞いていいか」
「なんです?」
「その、お前って甚振られたりされるのが好きな人種の人?」
「なんですかそれ」
「え、いやだから。その、変態? みたいな」
「失礼な。私はいたって正常な性癖ですよ。確かにどちらかというとM寄りではありますが、これといって特殊な趣味はありません」
 胸を張って返事をする、自称まともな人。だめだ、頭が混乱しすぎている。
「いや、でもお前さっき。その、肉奴隷とか」
「そりゃあ、ご主人様が望むならって話ですよ。別に私がしたいわけではありません。・・・・・・って、あ。ご安心ください。別に嫌なわけではないので。したいのでしたらどうぞご自由に」
「・・・・・・えと。つまりお前は、俺が望むのならなんだってしてくれると」
「まあ、簡単に言うとそうなりますかね」
 おいおいそれってまるで。
「あ、あのさ。ひとつ聞いておきたいだけど、これだけは駄目だっていうものあるかな?」
 どうにか目の前の宇宙人の思考回路が判明しだした。考えてみればごくごく単純なことだったのかもしれない。そもそも俺にあんなことを言ってきた時点でそういうことだったのだ。
(なんか、不器用なやつだよな)
 あのとき、俺に似ているなんて思ってしまったのもこんなところが原因だったのだろうか。そう考えてみると、なにやら可愛く思えてくるから不思議だ。
「うーん。これだけは駄目、ですかあ。特にこれといってありはしないような」
 目の前で真剣に考えている明日香。一度可愛いと思ってしまうと、こんなところまで可愛く思えてくるから不思議だ。何もあんなに悩まなくてもいいのに。
「あっ、一つだけありました。けっこう大事なことで」
 突然、唸るのを止めたかと思えば漫画のように手を打ち合わせる明日香。ほらみろ。なんだかんだ言って、何をしてくれても大丈夫なんて女の子がいるはずはないんだ。もちろん、俺もめちゃくちゃになんでもする気なんてさらさらない。
「なんだ? なんでもいいから言ってみろ。そういうのは初めに言っとかないと面倒だぞ」
 麦茶を再びコップに注ぎながら、明日香に先を促す。こいつがどうしてもダメなんて、どんなことだろうか。案外普通のことかもしれないな。
 そんなことを考えながら、俺は麦茶を口に含んだ。

「あの、私のこと好きにならないでもらえますか? それだけで、とりあえずはいいんで」

 俺は、麦茶を噴き出した。
 そうして、俺と明日香の奇妙な共同生活は始まったのだ。


 




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