カテゴリ:囲碁
↑↑↑↑↑ 大丈夫なんでしょうか ↑↑↑↑↑ ↑こんなミーハーなことしか、書いてないのに↑ さて、今回はとても個人的な事を書きます。 pgが囲碁をやめた理由<わけ>です。 pgは囲碁を始めた時、比較的多くの時間を趣味にさける立場でした。 熱しやすく、冷めやすいタイプだったので、囲碁に熱をあげるまでそう時間もかからずに、すぐ慣れ親しみました。 テレビ番組で囲碁の基本を見て「簡単♪」と思ったpg。 その後、テキストブックやら、詰碁の参考書やら、手筋本やら、テレビ対局など、外から吸収できるものはすべて手当たり次第トライ!! やることが、一気です。 ある意味、竹を割ったような性格。節がありません。 怒濤の囲碁生活という感じさえもする、極端なる愛しっぷりでした。 詰め込むだけ知識を詰め込んだ後、実戦に向かったのですが、当然石の持ち方さえも知りません。近くにあった碁会所には、初心者教室もあったため、そこで御世話になることになりました。 とりあえず「知識だけ」はあるpg。 入ってすぐに8級くらいの扱いでした。 初心者用のテキスト問題などは、スラスラ解けるため、何十ページもすっとばし状態です。 対局も一局1点プラスマイナスという方式で、10点たまると一級上がる。 何連勝もして、あっという間に5級です。 でも、だんだん狂ってきた。 対局をこなして行くにつれ、妙な感覚が襲いました。 変化についていけないんですね。 というより、初心者同士が対局するので、お互いが囲碁を分かっていないため、手がどう打たれるのか予想がたてられないわけです。ある程度、ものの分かった相手なら、正しい変化図へ流れて行けるはずなのですが、悪手と正しい手の区別がつかない者同士だから、めちゃめちゃになっていきます。 pgはもともと視覚から囲碁を始めたため、正しい応手の図しか知りません。 本にのっている本手だけならわかっていました。 でも、俗筋とか、ウソ手、悪手などは、どう対応したらいいのか、どう咎めたらいいのか全然わからなかったのです。 いつのまにか、自分の中にあるはずの『碁の感覚』がなくなっていきました。 初めのころは分かっていた布石の原理や石の方向、キリ違いの処理、打ち込みの位置やケシの加減なども、いつしか勘が狂ってしまったのか、さっぱりです。 でも、対局して勝ちたい。 アホですけど、勝負事に固執するタイプだったので、とにかく勝ちたい! そんな気持ちばっかりが先走りました。 そして。 疲れてしまったんですね。なんというか。 勝つことばっかりをイメージして、負けると一気に落ち込む。 一勝することより、一敗の屈辱に耐えられなくなって、対局自体を嫌がるようになる。 対局しなければ、点数は下がらない…なんて。 まあ、本末転倒というやつです。 『自分の弱さ』というものに負けてしまった。 勝ち負けばかりにこだわりすぎる、そんな自分が嫌いになってしまいました。 囲碁を始めた時の楽しさや、知識を身につけていく喜びが、裏返しになって重苦しくのしかかってしまった。 ……そんな感じです。 碁会所へ行っても、なんだか勝てそうもない相手とは打ちたがらない。 「見ているだけでイイ」と言いながら、結局は勝てる相手を捜しているわけです。 もう、そういう自分に疲れてしまいました。情けない気分にしかなれなくて。 そして、ある日を境にそのお教室をやめました。 囲碁はもう、ヤメだと。 自分の汚い部分を見るのは、つらすぎると。 石を封印して、碁盤も机の下に押し込んで見ないようにしました。 忘れようとしたんでしょうね、あの時は。 囲碁は面白い。 テレビで対局を見るのは、楽しい。 でも、自分がやることはツライ。 そんな気持ちで、いつしか遠ざかってしまった。 今年になってまた、囲碁を打ちたいと思うようになり、引っ越しの時なくした碁盤セットを買い直しました。 今度は、卑屈な自分にならないように。 楽しい気持ちを持ったまま、囲碁を愛せるように。 上手く言えないけど、一生の趣味として、友として囲碁に向き合っていきたい。 そしてそれが、自分の弱い部分と真正面から向き合うことになるんじゃないかな?と思っています。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2005.03.02 23:23:52
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