247994 ランダム
 ホーム | 日記 | プロフィール 【フォローする】 【ログイン】

サカサマ玉子の船中無策

【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! --/--
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x

PR

カレンダー

お気に入りブログ

Clumsyjerk ひろ@Clumsyjerkさん
AJING(擬餌鯵釣… shige0613さん
BLUE SEA … シャク蔵さん
イカなきゃ釣れん! YaGiさん
イカ大魔王のエギン… イカ大魔王さん

キーワードサーチ

▼キーワード検索

プロフィール

サカサマ玉子

サカサマ玉子

カテゴリ

コメント新着

おーちゃん@ Re:エギフェスの悲劇(10/26) シノさんこんにちわ! とりあえず、出…
カリメロ@ Re:エギフェスの悲劇(10/26) 遠征&宴会部長&ネタ作り おめでとうご…
パーパ@ Re:エギフェスの悲劇(10/26) いや~またまたとっても楽しく読ませてい…
さっぱりでし@ Re:エギフェスの悲劇(10/26) ついに烏賊になった・・・ってとこだけ読…
どんぐりムシ@ Re:エギフェスの悲劇(10/26) お久しぶりです! 玉子さん、その時の光…

フリーページ

2008年06月22日
XML
カテゴリ:独り言

今日はエギングのお話ではありません。

今日は私の尊敬する、坂本龍馬の出身地、高知(土佐)を舞台にしたお話を書きたいと思います。

そもそも私が坂本龍馬を尊敬するきっかけとなったのは司馬遼太郎先生の"竜馬がゆく"を読んだからなのですが、この司馬先生というお方も私が尊敬する先生で、その司馬先生が書いた小説、龍馬がゆく、巧妙が辻(こちらはNHK大河ドラマで見ただけです)を私なりに読み解き、感じた世界があり、それを前からずっとアップしたいと思ってました。ちょうど高知に行く機会に恵まれましたので、想いの冷めないこの機会にアップしたいと思います!(笑)

まず、司馬先生の小説は幕末、そして四国を舞台にした小説を多く残されてます。小説、ということですから決して"史実"では無く、"歴史小説"というジャンルになりますが、この方は小説を書くにあたり、膨大な量の資料(クリック、参考)を集め研究、そして、自らもその地に赴き、その土地を研究して小説に望まれた事は有名です。したがって凄くリアリティーがあり、まるでその時代に生きていたかのような感覚になる、本当に秀逸な作品を多く残してます!もう"史実"と言って差し支えないくらいに・・・

さて、前置きが長くなりましたが、この"坂本龍馬"と言う人物が高知に生まれ、倒幕を志した・・・この倒幕の動機、経緯、この高知(土佐)の時代背景を考えると、壮大なスケールで歴史が動き、人知の及ばない世界を感じる事ができます・・・まるで歴史に意思がある、としか思えないくらいに・・・

坂本龍馬の家はもともと長宗我部(戦国の土佐大名)家に仕える武士の出身でした。ところが戦国末期、関が原の戦いの後、この土佐に大名としてやってきた山内家(一豊)の策略により、長宗我部家に仕えていた家臣達はことごとく惨殺されます。生き残った人々もこの後、郷士という位置で、山内家の家臣(上士)達に蹂躙(じゅうりん)され、たとえ殺されても文句の言えない大変な差別を受ける事になります・・・坂本家も例外では無く、山内家の家臣には大変な仕打ちをされ、龍馬自身も山内家の家臣に対してかなりな恨みの感情があった、とされています。

その坂本龍馬が、ある一人の女性に恋をします・・・お田鶴さまと言う方で、その方こそが山内家の家臣、上士の娘だったんですね・・・もちろん叶わぬ夢で、"禁断の恋"でした。その坂本龍馬が幕末の動乱の中、聞き及んだ世界がアメリカの"民主主義"と言う世界で、その世界は、"自由、平等"がある、つまり誰とでも結婚が出来る、どんな仕事にも就くことができ、国のトップ(大統領)を国民投票で決める、と言うまさに理想の世界でした・・・その"差別のない、上士の娘(お田鶴様)とも結婚の出来る理想世界"に思いを馳せた、と言うのが龍馬が倒幕に進んだ動機の発端、のように書かれています。

さて、そのような土地、時代背景無しには坂本龍馬のような人物は出るべくも無かったと思われます・・・他藩の人たちは"薩摩幕府"、"長州幕府"を創りたかったのですから・・・

このような事を書くと"山内家"は悪人のような感じですね(笑)実は私自身、山内家そして山内千代(一豊の妻)を良く思ってませんでした・・・しかし、巧妙が辻を見て、180度見方が変わりました(爆)

山内一豊は愛知(尾張)の出身で、実直で知略を用いる事を好まない戦国時代に似つかわしくない一本気のある武将であり、その妻(千代)はそのような一豊を心の底から慕い、内助の功の鏡とされるのは有名で、その二人は理想の夫婦であったようです。

その一豊が土佐に来たのは関が原の戦いの後、正に戦国時代を収束する時、徳川家康に命を帯びて向かわされています・・・その"命"とは旧"長宗我部家"の掃討でした。何故か?この時期、ようやく徳川によって終結を迎えていた戦国時代に、再び天下取りの野心を燃やすものがいました・・・黒田如水(官兵衛)でした。黒田は周辺の大名(島津、毛利、長宗我部)勢力を束ねて今一度天下取りの野心を燃やした・・・それでは再度日本が戦国の世に戻るおそれがあります・・・それを阻止するために山内家を土佐に送り込んだのです。

山内一豊、そして千代は胸のうちでどれほど苦しんだでしょうか・・・しかし日本の為、そしてもう直ぐ訪れる平和のために自分達が犠牲にならざるを得ない、と考えたようです。本当は長宗我部一派と一つになるのが最も理想だ、と言う事がわかっていながら・・・

ここより200年以上もの間、山内、長宗我部の憎しみ合いが続き、坂本龍馬が誕生しますが、この坂本龍馬が進んだ道はやはり"日本の為"、です。そして理想の結婚を目指した・・・山内一豊、妻千代のような・・・また倒幕にあたり、坂本龍馬は大政奉還の折、山内家とその家臣に建白書を託しております。憎しみを超えて(許して)、まさに山内家、長宗我部家が一つになり、日本を外国の脅威から救ったのです・・・もし、大政奉還がなければ薩摩(島津)、長州(毛利)の武力倒幕であったとすれば国力がそがれ、日本は植民地化していてもおかしくない状況だったのです・・・

よって私はこの倒幕の背景には山内一豊、そして千代の想いが息付き、流れているように思えてなりません・・・あるいは背後で二人が力を貸していたとしか思えません・・・だって、全部つながってるように感じますから・・・

歴史って深遠だな~と思います!そして、話は全然違いますが、このエギングブログでもなじみの深い、愛知と高知って縁深いですね!(爆)

大好きな高知について、"司馬遼太郎先生の行間を読む"でした!ここまで読んでくださった方、長々とお付き合いありがとうございましたm(__)m、ちょっと理解し辛い文面かと思いますが(汗)、少しでも共感できたらな~と思って書きましたスマイル

 






お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

最終更新日  2008年06月23日 00時08分31秒
コメント(12) | コメントを書く
[独り言] カテゴリの最新記事



© Rakuten Group, Inc.