夫が逝って1年1カ月(13カ月)~哀しみは果てしなく深まる
11月8日、また夫の亡くなった8日が巡ってきました。1年1カ月が経ったのに、一日たりとも私には心安らかに、明るく、楽しく過ごせた日がありません。夫婦だけのみならず愛する者との死の別れはこうも人間を残酷な境地に追い詰め、苦しめるものなのかと思いながら生きています。あまりの辛さに「夫は私を地獄に突き落として逝った」と思うことがあります。反面、「いつも夫が守ってくれる」と思い直し、安心感を得て心は落ち着き、どんな辛さも耐えることが出来るとも思うのです。二人のラストステージのありようを思い返す時「これで良かったのだ」と、少しも納得できない事ばかりなのです。たった一つだけ「これで良かったのだ」とはっきり思えることがあります。それは「私が夫を看取り、私が遺ったこと」夫婦は事故や災害で同時に命を絶つ以外は必ずどちらかが独り遺されるのは宿命です。先日のS子ちゃん、癌であることを息子さん夫婦だけが背負い、本人にもその妻にも告知せずに隠し通したそう。そうした息子さんの事情を誰も責めることはできません。そうすることが父を想い、その妻(母)想う愛ゆえの息子さん夫婦が家族にとっても最善策と決断したことなのですから。「せめて私には教えてほしかった、私はお父さん(夫)に何もしてあげられなかった」と言う彼女の悲痛な叫びは私は痛いほどわかりました。私たちはふたり揃って余命1年の告知を受けました。そして絶望と残酷の日々が始まりました。そういう日々の中に「今日の幸福」を求めながら励ましあい慰めあい、いたわりあいながら最後の日まで一緒に生きました。私は「それでよかったのだ」と納得しようとしています。しかし、その二人のラストステージの日々を想う時、私には「あれでよかったのだ」「そうするしかなかったのだ」と思えぬ様々なことが思い起こされます。私がもっとしっかりしていれば夫はもっと穏やかな日々を過ごすことが出来たに違いない、最後まで一人遺る妻のことを案じて逝った夫はどんなに辛かったことだろうとやり切れない気持ちがします。ホスピスへ行ってからの夫の姿が哀しく思い浮かんできます。最後まで、決して乱れることなく逝った夫の姿を哀しく思うのです。「死にたくない、死ぬのは怖い、一緒に死んでほしい」私が夫の立場ならきっとこのように毎日、毎日泣き叫んだろうと思うのです。夫にもそう言ってほしかった、夫だってきっとそう思ったに違いありません。そしてふたりで抱き合って泣きたかった。それで二人とも狂ってしまうかもしれない、それでよかったと思うのです。いい年齢(とし)をしていつまでもこうした状況を生きている私に多くの人は呆れるだろうと思います。伴侶を失い残された老い妻の新たな生き方をたどる軌跡を残しておくことも私のこれからの生に勇気を与えてくれそうに思えるのです。今日の画像は2015年11月8日の旧宅の「小さな花宇宙」の花たち、この年の葉ボタンは上出来でした。日本ブログ村ランキング参加中です。 にほんブログ村 いつもご訪問いただきありがとうございます。