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カテゴリ:神の実在証明
どんな悪党でも必ず良心基準は残っている 良心があるから悪を行いながらもいいわけをする 一般的には常人には間違いなく良心が働いている 親のような師のような主人のような目でいつも私を見つめている 自己を分析すれば 私の心と、それを見つめる心と、逆らう心があることを知る 悪を行えば行うほど悪の正当化が進み善の側に導こうとする心は遠くなる 悪と心の中で戦って善側に居る者は更に善の側に立とうとする しかしパウロの告白にあるように誰でも多くは悪に負けてしまう心がある 自分の心でありながら、善の心、悪なる心、それを見つめる心がある 見つめる心が実はかすかな波動が神からきているのだ 善なる心も悪なる心もその見つめる心と話すことができる 心の中で善と悪とが戦ってその結果を見つめる心はその全てを記憶している 座禅をすることは私を見つめる心との会話だ 無心になれたときその私を常に見つめる心の気持ちが解る 見つめる心は私から遠くなったり近くなったりもする 見つめる心は決して妥協しない、完全に善の立場でみている 間違いなくその心は存在する これは神が働いて居る証拠である 誰にも働いて居る
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Last updated
2009年03月13日 00時28分14秒
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