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テーマ:戦争反対(1187)
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ロシア・ベスラン学校人質事件は、チェチェン以外の場所で起こった事件としては、ここ10年間で最悪の結果になったそうである。死者の数は500人とも700人とも言われている。 メディアによって作られたイメージでは、犯人グループは間違いなく「チェチェン独立派」であろう。しかし、これはあくまでもメディアが垂れ流す洪水情報でしかない。だから毎度お馴染みの「アルカイダ」という名前まで出てくる。アルカイダと誰を通してどこでつながっているかを誰も言おうとしない。ただ「関係がある」と言う人ばかりが、あちらこちらにいる。これらは単なる憶測にしか過ぎないのである。 そもそも「アルカイダ」なる組織が本当に存在するのかでさえ、わからないのである。 「対テロ戦争」とかいうものに「アルカイダ」という名前が利用されているだけかも知れないのだ。 また、「アルカイダ」という組織が存在していたとしても、それは「対テロ戦争」に都合のいいように、「CIA」「MI6」「モサド」などが自由に動かすことのできる組織である可能性も高いと考えられるわけである。 フィルターのかかった偏った洪水情報しか見せられない中で、ロシアで相次ぐ爆弾事件、これらを全てチェチェン独立派勢力による犯行であると断言することはできない。 それにしても、本当に酷い事件だった。 この事件もまた、真相がマスコミによって明らかにされることは無いであろう。なぜなら、ロシアの全国3大ネットである「ロシアテレビ(RTR)」「ロシア公共テレビ(ORT)」「独立テレビ(NTV)」は、すべてプーチン政権の実質管理下に置かれているからである。 ロシアでは、ジャーナリストが行動を制限されている。 負傷した女学生を搬出するロシア内務省職員 抱えられる女の子 解放された少年 占拠された体育館 号泣する女性 号泣する同級生ら 病院を訪れた大統領 葬儀で母親たちが我が子の死悼む 少女の葬儀 犠牲者の埋葬 以下の、2004.09.02と2004.09.06の「チェチェンニュース」の一読をお薦めする。 http://chechennews.org/chn/0428.htm http://chechennews.org/chn/0429.htm お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
「ロシアのテロリストに韓国系もいた」
ロシア南部・北オセチア共和国の学校占拠事件を起こしたテロリストの中に韓国系が含まれていたと伝えられた。ロシア駐在の韓国大使館が真相の把握に乗り出している。 ロシアのリア・ノボスチ通信は6日午後(現地時間)、テロリストは多様な国籍からなる歴代最多の多国籍テロリスト集団で、チェチェン人、タタール人、カザフ人、韓国系まで含まれたと報じた。 同通信はロシア南部地域検察次長の話としてこのように報じ、テロリストの中にはアラブ人9人と黒人1人も含まれていたと確認した。 しかし、韓国系についてはロシアに居住する韓国同胞(高麗人)なのか、韓国、または北朝鮮人なのか明らかにしなかった。 大使館側はロシア非常対策部と検察に事実確認を要請し、ロシア高麗人協会などとともに検察が明かしたテロリストが韓国系なのか、確認を急いでいる。 チョソン・ドットコム http://japanese.chosun.com/site/data/html_dir/2004/09/07/20040907000004.html (2004年09月07日 13時54分09秒)
<妙な拘束された命乞いするテロリスト>
9/5夜、ロシア公共テレビは、事件の容疑者の男が、当局によって拘束され、命乞いする映像を放送した。 男性を実行犯とする根拠や、拘束の場所や日時に関する情報は伝えられていない。 男性は、覆面の治安部隊兵2人に両腕をねじあげられた状態でテレビカメラの前に引き出された。 男性は北オセチアやチェチェンなど北カフカス地方の強い訛りのあるロシア語でカメラに向かって、「もちろん、子供たちは可哀想だ。アッラーに誓う。私にも子供がいる。私は撃っていない。アッラーに誓う。死にたくない。アッラーに誓う」などと命乞いを続けた。CNN 女性ゲリラのブラックウィドーは自爆したのに、男であるゲリラがこんなに貧相なヤツなのか? 本当にイスラムゲリラなのかは不明であるし、さらに覆面の治安部隊員というのも妙に芝居がかっている。 ゲリラの中に潜入していたアメリカやイスラエルなど第三国の工作員の可能性もあるし、また、FSBあたりの作った犯人の可能性もある。 ロシア最高検のフリジンスキー次席検事は、「この男は事件に直接的に関与した。武装集団の1人だ。犯行に加わった全員が、犯したすべての罪で処罰される」と話した。 フリジンスキー次席検事によると、当局は生存者たちの話から、犯行グループは32人いた模様だとみている。このうち30人の遺体はすでに発見されたという。犯人たちは多国籍の混合グループで、チェチェン人、カザフ人、アラブ系という。 北オセチア内務省当局者は、事件で武装集団の手引きなどをした女性を含む3人を拘束したと語っている。 http://atfox.hp.infoseek.co.jp/xfile/2004/030.htm #13 (2004年09月07日 17時25分11秒)
<相当な口の軽さのチェチェンゲリラ : 首謀者の名前まで喋りまくる>
9/6 ロシア公共テレビは前日に続き、ロシア治安部隊に拘束され、両手をねじあげられてカメラの前に押し出された男の映像を放送。 前日よりも長いビデオ映像で、男は学校襲撃を指示したのは、ロシアからの独立を目指すチェチェン武装勢力のリーダー、アスラン・マスハドフ(チェチェン元大統領)と、大佐ことシャミル・バサエフ野戦司令官だったと供述。 男は「自分たちは林に集められた。大佐が、ベスランの学校を占拠しろと命令した。理由と目的を質問すると、大佐は『カフカス全域で戦争を引き起こさなくてはならないからだ』と答えた」と供述した。 男によると、学校を占拠した実行グループにはウズベク人、チェチェン人、アラブ人がいたという。 ロシア公共テレビが放送したビデオはさらに、破壊された校舎の内外で捜査当局が発見した武器が、並べられている様子を映した。CNN しかし、相当な口の軽さのゲリラだ。戦士として選ばれて北オセチアに入ったはずなのに、ペラペラと首謀者の名前まで喋りまくった。まるで、こうやって最初から喋るために、グループに組み込まれていたようだ。 http://atfox.hp.infoseek.co.jp/xfile/2004/030.htm #13 (2004年09月07日 17時26分54秒)
ロシア南部チェチェン共和国の独立派武装勢力指導者マスハドフ氏の側近、アフメド・ザカエフ特使は8日、毎日新聞との電話インタビューに応じた。北オセチア共和国学校占拠事件の犯人グループが3日の特殊部隊突入直後に、交渉役を務めていたアウシェフ前イングーシ共和国大統領に「やめさせてくれ」と電話連絡していたと述べ、ロシア側が強行突入したとの認識を示した。
英国ロンドンに亡命中のザカエフ氏はインタビューで、学校占拠事件発生後の2日、ザソホフ北オセチア共和国大統領とアウシェフ氏から電話を受けたと明らかにした。この中で、武装グループがチェチェンでの戦闘停止とロシア軍撤退を命じるロシア大統領令を出すよう要求しているとの説明を受けたという。これに対し、ザカエフ氏は「人質になった子供の無条件解放のために、自分が犯人と会う用意がある」と伝えた。 ザカエフ氏はさらに3日にもザソホフ大統領と電話で連絡を取り、事件現場で犯人側と交渉する際、自らの安全を保証してほしいと求めた。ザソホフ大統領は「(安全保証の)問題は解決するし、既にクレムリン(ロシア大統領府)と話し始めた」と語ったという。しかし、この後に、特殊部隊の突入が始まった。 ザカエフ氏は「(犯人グループからは)いかなる挑発もなかった。これは(特殊部隊の)突入だった」と強調した。また、ザカエフ氏はアウシェフ氏の話として、突入開始後、犯人グループがアウシェフ氏に電話し、「何をするのだ。子供を殺すのか。中止させてくれ、やめさせてくれ」と頼んだと語った。 ロシア最高検察庁は「学校内に爆発があり、パニックになった」として強行突入を否定している。 (略) ザカエフ氏はマスハドフ氏のスポークスマン役を務めている。 (毎日新聞) - 9月9日11時54分更新 http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20040909-00000042-mai-int (2004年09月09日 23時44分34秒)
チェチェンニュース Vol.04 No.31 2004.09.14
イングーシ共和国前大統領・ルスラン・アウシェフへのインタビュー http://chechennews.org/chn/0431.htm (2004年09月16日 23時09分53秒)
CIAのエージェントがベスランの人質事件で犯行声明
子供半数を含む320人の死者が出たベスランの人質事件と、同様に一週間前のロシア航空機2機爆破について、シャミル・バサエフ司令官によってチェチェン反逆派のウエブサイトに犯行声明が出された。米国務副長官のリチャード・アーミテージは、この犯行声明に接し、バサエフは「生かしておけない」とコメントした。しかしながら、彼が自由自在にしゃべっているウエブサイトに対して騒ぐことはない。とりわけ1991年には、モスコーの将校たちがクーデターを起こした際、バサエフがボリス・エリツィンと一緒になった時に、彼はCIAのエージェントと見られていたことだ。1955年、彼は、今回のベルスランと非常によく似た人質事件を命令している。その時はブーデンノヴスク(Budennovsk=南ロシア)の病院で、大部分が患者か医療関係者で150人の犠牲者を出した。その時彼は、アフガニスタンでパキスタンの諜報機関(CIAと結びついたISI)の監督の下で特訓を受けて帰ってきたところだった。このパキスタンの機関は、国際世論の感情を刺激し、ロシアの支配者たちの評判を落とす目的で、彼をこの種の作戦について訓練したのだった。 http://www.reseauvoltaire.net/flagrant-delit.html http://www.asyura2.com/0406/war60/msg/101.html (2004年09月18日 13時08分03秒) |
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