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楽天・日記 by はやし浩司

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2007年07月17日
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カテゴリ:旅行記
【上高地・旅行記】

●バス旅行

 朝、4時半起床。しばらく雑務をこなしたあと、服を着る。台風一過。空を見あげると、天気は上々。そのころワイフも、起きてきた。

 バスの出発時刻は、午前7時。東名の西インター近くの発着場から、バスが出る。途中のコンビニで、朝食用のおにぎりなどを、買う。「空気がきれいね」と、ワイフは言った。台風が去ったあとの空は、どこまでも澄んでいる。

 発着場には、すでにバスが並んでいた。係員の誘導で、車を駐車場へ置くと、私たちはそのままバスに乗り込んだ。時刻は午前6時40分。

 ワイフは、再度、日程表を確認していた。そしてこう言った。「あら、このバスには、ガイドさんが乗らないってよ」と。見ると、下のほうに、「ガイドは添乗しません」と書いてあった。

 「ラッキー!」と、私。「よかったわ」と、ワイフ。バス会社には悪いが、今どき、バスガイドなんて、いらない。あのとりとめもない、かつ軽薄なおしゃべりを聞いていると、それだけで気がヘンになる。居眠りすることも、できない。少なくとも私たちは、静かな旅がしたい。

 私とワイフは、さっそく、おにぎりを食べ始めた。

ワ「バスガイドがガイドするという時代は、もう終わったわ」
私「外国にも、いないよ。オーストラリアやアメリカでは、運転手さんが、ときどき簡単なガイドをしてくれるけど、その程度だよ」
ワ「そうね。重要なことだけを話して、あとは静かにしていてほしい」と。

 30年前には、喫煙は自由だった。そこで私はバス会社に、「喫煙者は、前のほうの席に集まって座るようにし、非喫煙者は、うしろのほうに集まって座るようにしたらどうか」と提案したことがある。手紙で、そう書いた。

 この案は、みごとなほどまでに簡単に却下されてしまった。詳しくは忘れたが、そういう内容の返事だった。当時は、まだそういう時代だった。

 つぎに、あのカラオケ。当時は、バスの中では、カラオケが定番だった。またそういうのが、サービスということになっていた。

 行くときならまだしも、旅行によっては、帰りには、ヘトヘトに疲れることがある。そういうとき、バスの中で居眠りができないというのは、苦痛以外の何ものでもない。

 私は朝食をすますと、そのままワイフの肩に頭を落とし、居眠りの準備にとりかかった。上高地までは、片道4時間の行程である。

●上高地

 バスが駐車場に入ったとたん、大きく胸が高まった。7月だが、そのあたりでは、今が、新緑の季節。若葉が美しい。それに水色の空。加えて、言わずと知れた日本アルプス。目の前には、明神岳。そして穂高!

 私はバスをおりるとすぐ、あたり構わず、デジタルカメラのシャッターを切った。

 台風一過ということで、濁流を予想していたが、梓川(あずさがわ)は、青く透きとおっていた。うれしかった。川の写真を撮りながら上流をめざすと、あの河童(かっぱ)橋が目に飛びこんできた。絵葉書どおりの景色だった。

 またまた私は、夢中で、デジタルカメラのシャッターを切った。ワイフは、私以上にうれしかったはず。若いころから、「一度は、上高地へ行きたい」と、口ぐせのように言っていた。

 「夢がかなった」などと、大げさなことを何度も言った。私にとっては、見慣れた景色だが、スケールがちがった。目の前に明神岳、その向こうには、穂高連邦が連なっていた。ところどこには、根雪の白い筋さえ見えた。

●明神橋

 私たちは河童橋の周辺でしばらく時間を過ごしたあと、明神池から明神橋をめざした。ぐるりと1周すると、12、3キロ前後の道のりではなかったか。正確にはわからないが、2時間ほど歩きつづけて、もとのところに戻ってきたので、それくらいの道のりだったと思う。

 途中、フランス人夫婦と出会った。話がはずんだ。夫は、大学の教授。奥さんは、美術館の指導員をしているということだった。ソルボンヌ大学で、学生に教えているとも言った。息子も同行しているということだったが、夫婦とは離れたところを歩いていた。

 上高地のあと、飛騨の高山をめざすということだった。5週間のバカンスを、この日本で過ごすとか。「今日は、1週間目だ」と言っていた。

 夫婦で、5週間? 彼らにとっては、それがふつうの休暇らしい。私とワイフは、再び河童橋のところで、しばらく時間を過ごした。ワイフは、牛乳を飲み、私は、牛乳だけで作ったというプリンを食べた。

 それにあちこちの友人たちに、絵葉書を送った。バスの駐車場のすぐ横に、郵便局があった。

●無事(?)、帰宅

 とても楽しい旅行だった。それに帰りは、たっぷりと居眠りができた。見ると、約半数の客たちも、眠っていた。再びワイフが、こう言った。「ガイドはいらないわよ」と。

 私は、うなずいた。

 そうそう同じ日の朝、私たちが松本市へ入るころ、新潟県では、大地震があったという。私たちはバスの中にいたから気がつかなかったが、松本市でも、震度3だったという。新潟県は、上高地のある長野県の隣の県。

 みながそのニュースを、バスの中で心配そうに見ていた。

 台風のつぎは、地震。このところ日本は、災難つづき。浜松の自宅へ帰ってきたときには、午後10時を過ぎていた。私とワイフは、おかしなことだが、無事帰ってこられたことを喜んだ。






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最終更新日  2007年07月17日 21時15分02秒
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