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カテゴリ:子どもの世界
● ポケモン・カルト ~~~~~~~~~¬¬~~~~~H. Hayashi 今から10年ほど前、私は『ポケモン・カルト』(三一書房)という本を書いた。 異常な……ともいえるポケモン・ブームの中に、私は、カルト性を見た。 わかりやすく言えば、「凶人的な集団性」。 そのカルト性を追及したのが、『ポケモン・カルト』ということになる。 が、その直後から、ものすごい抗議の嵐。 電話による抗議はもちろんのこと、はがきや手紙によるものもあった。 出版元の三一書房にも、あった。 「子どもの夢をつぶすのか!」 「ゲームの楽しさを、お前は知らないのか!」と。 驚いたのは、抗議といっても、子どもたちからではない。20歳を過ぎたおとなたちからのものだったこと。 しかも私が書いたのは、ポケモンそのものではなく、ポケモン・ブームの中に見られるカルト性についてである。 当時、いくつかのカルト教団による、反社会的行動が問題になり始めていた。 大学の理学部を出たような人が、「地獄」とか「天国」とかいう言葉を、平気で口にしていた。 子どもたちの世界にも、明らかに異変が起きていた。 私が「ピカチューのどこがかわいいの?」と一言、口にしただけで、教室中がパニック状態になってしまったのを覚えている。 が、それから10年。 今の今も、ポケモン・カルトで、私を攻撃している人は、あとを絶たない。 ためしに、グーグルの検索機能を使って、「はやし浩司 ポケモン」で検索してみるとよい。 「トンデモ本」「こじつけ本」などなど。 本そのものを、頭から否定する文言が並ぶ。 最初のころは私も頭にカチンときたが、そういうふうに書いている人たちが、その程度の人たちであることを知って、そのうち相手にしなくなった。 で、さらにおかしなことだが、……というより私が書いたことを自ら証明するようなできごとが、それからもつづいた。 最近でも、『ゲーム脳』という言葉を使った研究者がいた。 その研究者のところにも、連日連夜、抗議の嵐が襲ったという。 どうしてこの日本では、ゲームを批判すると、嵐のような抗議を受けるのか? 一方、しばらくすると、今度は、「ゲーム脳というのはありません」と主張する研究者が現れた。 その研究者は、現在、ゲーマーの間では、神様的存在になっている。 ゲームのもつ危険性は、すでに世界では常識。 フランスなどでも、規制の動きが出てきた。 が、この日本では、野放し。 野放しであるばかりか、ゲームを批判しただけで、袋叩きにあう。 そこには一片の知性も理性もない。 感情論だけ。 これをカルトと呼ばずして、何という。 ……ということで、私は改めて、ここでポケモン・カルトについて考えてみたい。 また本書は、近く、全文、私のHPに収録するつもりでいる。 つまりこの原稿は、ポケモンというよりは、カルト教団への挑戦状ということになる。 ~~~~~~~~~~~~~~H. Hayashi ●進むカルト化 誤解があってはいけないので、明確にしておきたい。 「占星術」「スピリチャル」というのは、立派なカルトである。 その前駆的段階の「占い」「まじない」「迷信」も、立派なカルトである。 それらが集合化され、組織化されたのが、「カルト教団」ということになる。 それがどんな信仰であれ、信仰の範囲にとどまっているなら、問題はない。 信仰の自由は、日本国憲法によっても、保障されている。 「何人も、その自由を奪うことはできない」。 が、その宗教が宗教のワクを超えて、反社会性を帯びたとき、あるいは政治の世界に介入してきたとき、それが問題となる。 (アメリカでは、宗教団体による収益活動まで、きびしく制限されている。) カルト教団の信者たちは、まさにノーブレイン(脳みそなし)の状態になる。 教団幹部のロボットとなって、思うがまま操られるようになる。 その危険性は、あのオウムS教に、例を見るまでもない。 というのも、この段階になると、カルト教団の信者たちは、「私たちはぜったい正しい」と思う、その返す刀で、「あなたがたはまちがっている」と切り込んでくる。 あるいは自分たちの属する宗教団体以外の人たちを、否定する。 で、それから10年。 その間に、日本人は、より賢くなったのだろうか。 一連のカルト教団が起こした事件を見ながら、何かを学んだのだろうか。 答は、ノー。 最近の占星術ブームも、そのひとつ。 あのS・ホーキング博士も、占星術の無意味性を指摘している(「ホーキング、未来を語る」・ソフトバンク)。 考えてみれば当然のことで、星座といっても、地球から見た星の位置にすぎない。 宇宙船か何かで、数万光年も先に行けば、星座も地球で見るのとまったく異なったものになる。 あるいは複雑な動きを見せる、水星や金星、火星や木星にしても、太陽の周辺を回る惑星であるから、そう見えるにすぎない。 そういう星座や惑星の動きを見ながら、個々の、あるいは全体でもよいが、運命がどうのこうのということ自体、ばかげている。 が、「ばかげている」だけでは、すまない。 天の運行と人の運命が連動しているというのは、まったく根拠のない迷信である。 原始の時代には、それなりの説得力もあったかもしれない。 事実、あのイスラム教は、占星術とは切っても切れない関係にある。 そういう占星術をぶらさげて、(ほんとうはどこまで勉強したかは、あやしいものだが……)、どこかのオバチャンが、こう言うから、たまらない。 「あなたの背中には、蛇がついている。毎朝、シャワーで、10回ずつ、タオルでこすりなさい」と。 つまりこういうカルト、もしくはカルトの宣伝まがいのことを、テレビという天下の公器を使って、堂々と全国に垂れ流す。 その異常さ。 私たちは、まず、それを知らなければならない。 ついで、こうした愚劣な番組が、子どもたちに、どのような影響を与えるか、それを考えなければならない。 そのひとつが、10年ほど前の、ポケモン・ブームであり、現在のスピリチュアル・ブームということになる。 さらにさらに驚いたことに、最近では、「スピリチュアル・育児法」(仮称)という本まで現れた。 スピリチュアル・育児法だと? またそういう本のほうが、何10万部も売れたりする。(これは私のひがみか?) 科学性の否定というよりは、理性の否定といってもよい。 わかりやすく言えば、日本人全体が、ますます考えない国民になってきているということ。 先にも書いたように、「ノーブレイン」の状態になってきているということ。 「ノーブレイン」というのは、英語の言い方である。 「ばか」とか「あほ」という意味ではない。 「何も考えない、ノー天気な」という意味である。 が、それはそのまま恐ろしい未来を暗示する。 戦時中の日本が、そうだった。 現在の北朝鮮も、そうではないか。 ……こう書くと、「私たちはちがう」と思うかもしれない。 しかし本当にそうか? そう言いきれるのか? たとえば最近の子どもたちは、情報量だけはやたらと多い。 もの知りで、反応も速い。 しかし論理性、分析性となると、10年単位で、低下している(?)。 とくに政治の話になると、話しかけただけで、「ダサイ!」と言って、それをはねのけてしまう。 地球温暖化(地球火星化)の問題にしても、(おとなたちもそうだが……)、いくら問いかけても、会話そのものが、かみあわない。 まるで他人ごとのような反応しか返ってこない。 あるいは政治は政治家がするもの、地球温暖化の問題は科学者が考えるものと、どこかで割り切ってしまっている。 話を戻す。 カルトがカルトとして危険性を帯びるのは、先にも書いたように、信者がノーブレインの状態になって、ロボット化すること。 政治の世界にも大きな影響力を及ぼすことにもなりかねない。 そうなると、民主主義など、そのままどこかへ吹き飛んでしまう。 言い換えると、民主主義を守ろうとするなら、同時に私たちがもつカルト性と、心のどこかで闘わねばならない。 これは健康論に似ている。 私たちが健康を保とうとするなら、病気の予防と治療に心がけることは当然のことだが、同時に、体の抵抗力も高める。 その両者がかみあってはじめて、私たちは、それなりの健康を維持することができる。 私は『ポケモン・カルト』の中で書きたかったことは、(ポケモン)の攻撃ではない。 (ポケモン)といっても、ただのゲーム。 そんなものを本気で相手にしても、しかたない。 そのゲームが、テレビ、雑誌、ゲームの3方向から、子どもたちを包んだ。 当時は、「マルチ・メディアによる成功例(?)」として、もてはやされた。 その結果、子どもたちは、町でも学校でも、そして家の中でも、ピカチューのあの黄色い色を見ただけで、興奮状態になってしまった。 お茶漬けにしても、菓子にしても、ピカチューの絵を載せただけで、売り上げが、倍増したという。 詳しくは、『ポケモン・カルト』に書いた。 子どもたちは、まさにポケモンによって、洗脳されたことになる。 つまりここに、私はポケモン・ブームの恐ろしさを見た。 そしてそれがその本の主題になった。 本を読みもしないで、表面的な批評に踊らされて、「とんでも本」とか、「こじつけ本」と批評するのは、その人たちの勝手。 しかし私はそういう趣旨で、あの本を書いたのではない。 (はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 Hiroshi Hayashi education essayist writer Japanese essayist ポケモン・カルト) お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2008年07月14日 06時19分00秒
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