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楽天・日記 by はやし浩司

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2008年08月31日
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カテゴリ:生きザマの問題
●回顧性と展望性

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回顧性(過去を懐かしむ)と、展望性(未来に向かって生きる)は、
満55歳前後を境として、入れ替わるのだそうだ。
この年齢を超えると、回顧性が展望性より強くなる。
さらに60歳、70歳となると、展望性はますます弱くなり、
回顧性が強くなる。

人によっては、ルーツさがしと称して、自分の先祖をさがし求める人も
いる。

これについては、すでに何度も書いてきたので、ここではその先に
ついて書いてみたい。

私がこの「回顧性と展望性」という言葉を知ったのは、50歳くらいの
ときである。
そういう意味で、私はラッキーだった。
50歳くらいのとき、心の未来を知ることができた。
その準備をした。

やがて55歳くらいになったとき、まわりの同年齢の人たちが、急速に
回顧性が強くなっていくのが、よくわかった。
たとえば同窓会の回数が、急にふえたのもそのひとつ。
(だからといって、同窓会に意味がないというのではない。誤解のないように!)
が、私はそのつど、展望性を失わないように気をつけた。
同時に、回顧性を強くしないように、心がけた。

現在、満60歳だが、そんなわけで、平均的な人たちよりは、展望性をもっている
と思う。
とくにジジ臭い人たちとくらべてみると、それがよくわかる。

中には「60歳になったから、四国八十八か所巡りをする」と言っている人もいる。
「家系図を作って、それを子どもたちに残す」とがんばっている人もいる。
さらに先にも書いたように、「自分のルーツさがし」と称して、先祖の足跡をたどってみたり、早々と、墓地を購入したりする人もいる。

だからといってそういう人たちが、どうこうというのではない。
それぞれの人たちは、それぞれの思いの中で、そうする。
しかし心理学的には、(ごく平均的なこと)をしているにほかならない。
形はそれぞれでも、(みな、そうするだろう)というようなことをしているにほかならない。
アメリカ人もヨーロッパ人も、みな、そうである。
(死)という(天井)が見えてくると、とたん、目が過去へと向き始める。

それはわかるが、大切なのは、回顧性ではなく、展望性。
回顧性に陥ったとたん、そこで時計は止まる。
つまりその先の人生が、無駄になってしまう。

私にしても、残りの時間は、まだ10年はあると思う。
運がよければ、20年はあると思う。
過去を回顧するにしても、最後の最後でよい。

私は今まで生きてきたし、
生きているし、
これからも生きていく。

もちろん「生きる」ということは、「前向きに生きる」ことをいう。
(自信はないが……。)

10年もあれば、かなりのことができる。
20年もあれば、さらにいろいろなことができる。

年齢的には、満20歳から40歳までの期間と同じ。
あのビル・ゲーツは、20歳くらいのときに起業し、40歳のときには、
自分の会社を、世界一のコンピュータのソフト会社にまでした。

つまり毎日、仏壇の金具を磨いて過ごすようになったら、その人もおしまい。
そういうのを「生きている」とは、言わない。

だからもし、この文章を読んでいるあなたが、40代とか、50代のはじめの
人だったら、この言葉を覚えておくとよい。
「回顧性と展望性」という言葉である。

この言葉を知っているだけでも、老後の過ごし方が大きく変わると思う。

(補記)

一度回顧性に陥ってしまうと、それから抜け出るのは容易なことではない。
その人の人生観として、定着してしまうからである。
さらに回顧性に陥ると、考え方そのものが、どんどんと後ろ向きになっていく。
最終的には、自分の葬儀の心配ばかりをするようになる。

このことは、あなた自身の父親や母親、あるいは親類の人たちを観察してみると
よくわかる。
あなたの周囲にも、そういう人が、1人や2人は、たいてい、いる。
おおいにそういう人たちを参考にしたらよい。
(この言い方は、ちょっと、残酷かな?)






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最終更新日  2008年08月31日 19時06分39秒
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