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楽天・日記 by はやし浩司

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2009年02月08日
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カテゴリ:育児問題
ほら、英語教室、ほら、算数教室!
知識と「考えること(思考)」は別(失敗危険度★★)

●知識と思考は別
 たいていの親は、知識と思考を混同している。「よく知っている」ことを、「頭のよい子」イコール、「よくできる子」と考える。しかしこれは誤解。まったくの誤解。たとえば幼稚園児でも、掛け算の九九をペラペラと言う子どもがいる。しかしそういう子どもを、「頭のよい子」とは言わない。「算数がよくできる子」とも言わない。中には、全国の列車の時刻表を暗記している子どももいる。音楽の最初の一章節を聞いただけで、曲名をあてたり、車の一部を見ただけで、メーカーと車種をあてる子どももいる。しかし教育の世界では、そういうのは能力とは言わない。「こだわり」とみる。たとえば自閉症の子どもがいる。このタイプの子どもは、こうしたこだわりをもつことが知られている。

●考えることは苦痛
 考えるということには、ある種の苦痛がともなう。そのためたいていの人は、考えること自体を避けようとする。あるいは考えること自体から逃げようとする。一つの例だが、夜のテレビをにぎわすバラエティ番組がある。ああいった番組の中では、見るからに軽薄そうなタレントが、思いついたままをベラベラというより、ギャーギャーと言いながら騒いでいる。彼らはほとんど、自分では何も考えていない。脳の、表層部分に飛来する情報を、そのつど適当に加工して言葉にしているだけ。つまり頭の中はカラッポ。

●考えることを奪う教育
 パスカルは「パンセ」の中で、『人間は考えるアシである』と書いている。この文を読んで、「あら、私もアシ?」と言った女子高校生がいた。しかし先にも書いたように、「考える」ということは、もっと別のこと。たとえば私はこうして文章を書いているが、数時間も書いて、その中に、「思考」らしきものを見つけるのは、本当にマレなことだ。(これは多分に私の能力の限界かもしれないが……。)つまり考えるということは、それほどたいへんなことで、決して簡単なことではない。そんなわけで残念だが、その女子高校生は、そのアシですら、ない。彼女もまた、ただ思いついたことをペラペラと口にしているだけ。

 多くの親は、「ほら、英語教室」「ほら、算数教室」と子どもに知識をつけさせることを、教育と思い込んでいる。しかし教育とはもっと別のこと。むしろこういう教育観(?)は子どもから「考える」という習慣をうばってしまう。そのほうがはるかに損なことだと私は思うのだが……。


はやし浩司+++++++++++++++++Hiroshi Hayashi

うちの子は頭がいい?
計算力は早数えで(失敗危険度★★)

●計算力は早数えで決まる
 計算力は、早数えで決まる。たとえば子ども(幼児)の前で手をパンパンと叩いてみる。早く数えることができる子どもは、五秒前後の間に、二〇回前後の音を数えることができる。そうでない子どもは、「ヒトツ、フタツ、ミッツ……」と数えるため、どうしても遅くなる。

●訓練で早くなる
 そこで子どもが一~三〇前後まで数えられるようになったら、早数えの練習をするとよい。最初は、「ヒトツ、フタツ、ミッツ……」でも、少し練習すると、「イチ、ニ、サン……」になり、さらに「イ、ニ、サ……」となる。さらに練習すると、ものを「ピッ、ピッ、ピッ……」と、信号にかえて数えることができるようになる。これを数の信号化という。こうなると、五秒足らずの間に、二〇個くらいのものを、瞬時に数えることができるようになる。そしてこの力が、やがて、計算力の基礎となる。たとえば、「3+2」というとき、頭の中で、「ピッ、ピッ、ピッ、と、ピッ、ピッで、5」と計算するなど。

 要するに計算力は、訓練でいくらでも早くなるということ。言いかえると、もし「うちの子は計算が遅い」と感じたら、計算ドリルをさせるよりも先に、一度、早数えの練習をしてみるとよい。ただし一言。

●算数の力は別
 計算力と算数の力は別物である。よく誤解されるが、計算力があるからといって、算数の力があるということにはならない。たとえば小学一年生でも、神業にように早く、難しい足し算や引き算をする子どもがいる。親は「うちの子は頭がいい」と喜ぶが、(喜んで悪いというのではない)、それは少し待ってほしい。計算力は訓練で伸びるが、算数の力を伸ばすのはそんな簡単なことではない。子どもというのは、「取った、取られた」「ふえた、減った」「多い、少ない」「得をした、損をした」という日常的な経験を通して、算数の力を養う。またそういう刺激が、子どもをして、算数ができる子どもにする。そういう日常的な経験も大切にする。


はやし浩司+++++++++++++++++Hiroshi Hayashi

心のゆがみのない子どもが、すなおな子ども
家庭教育の誤解(失敗危険度★★★★★)

●誤解
 家庭教育にはたくさんの誤解がある。その中でもとくに目立つ誤解が、つぎの五つ。この誤解を知るだけでも、あなたの子育ては大きく変わるはず。

(1)忍耐力……よく「うちの子はサッカーだと一日中している。ああいう力を勉強に向けさせたい」という親がいる。しかしこういう力は忍耐力とは言わない。好きなことをしているだけ。子どもにとって忍耐力というのは、「いやなことをする力」をいう。たとえば台所の生ゴミを手で始末するとか、風呂場の排水口にたまった毛玉を始末するとか、そういうことができる子どもを忍耐力のある子どもという。

(2)やさしさ……大切にしているクレヨンを、だれかに横取りされたとする。そういうときニッコリと笑いながら、そのクレヨンを譲りわたすような子どもを、「やさしい子ども」と考えている人がいる。しかしこれも誤解。このタイプの子どもは、それだけ」ストレスをためやすく、いろいろな問題を起こす。

子どもにとって「やさしさ」とは、いかに相手の立場になって、相手の気持ちを考えられるかで決まる。もっと言えば、相手が喜ぶように自ら行動する子どもを、やさしい子どもという。そのやさしい子どもにするには、買い物に行っても、いつも、「これがあるとパパが喜ぶわね」「これを買ってあげるから、妹の○○に半分分けてあげてね」と、日常的にいつもだれかを喜ばすようにしむけるとよい。

(3)まじめさ……従順で、言われたことをキチンとするのを、「まじめ」というのではない。まじめというのは、自己規範のこと。こんな子ども(小三女子)がいた。バス停でたまたま会ったので、「缶ジュースを買ってあげようか」と声をかけると、こう言った。「これから家で夕食を食べますから、いらない。缶ジュースを飲んだら、ごはんが食べられなくなります」と。こういう子どもを「まじめな子ども」という。

(4)すなおさ……やはり言われたことに従順に従うことを、「すなおな子ども」と考えている人は多い。しかし教育の世界で「すなおな子ども」というときは、つぎの二つをいう。一つは、心の状態(情意)と、顔の表情が一致している子どもをいう。怒っているときには、怒った顔をする。悲しいときには悲しい顔をする、など。情意と表情が一致しないことを、「遊離」という。不愉快に思っているはずなのに、笑うなど。教える側からすると、「何を考えているかわからない」といった感じの子どもになる。こうした遊離は、子どもにとっては、たいへん望ましくない状態と考えてよい。たとえば自閉傾向のある子ども(自閉症ではない)がいる。このタイプの子どもの心は、柔和な表情をしたまま、まったく別のことを考えていたりする。

 もう一つ、「すなおな子ども」というときは、心のゆがみがない子どもをいう。何らかの原因で子どもの心がゆがむと、子どもは、ひがみやすくなったり、いじけたり、つっぱたり、ひねくれたりする。そういう「ゆがみ」がない子どもを、すなおな子どもという。

(5)がまん……子どもにがまんさせることは大切なことだが、心の問題とからむときは、がまんはかえって逆効果になるから注意する。たとえば暗闇恐怖症の子ども(三歳児)がいた。子どもは夜になると、「こわい」と言ってなかなか寝つかなかったが、父親はそれを「わがまま」と決めつけて、いつも無理にふとんの中に押し込んでいた。

がまんさせるということは、結局は子どもの言いなりにならないこと。そのためにも 親側に、一本スジのとおったポリシーがあることをいう。そういう意味で、子どものがまんの問題は、決して子どもだけの問題ではない。


はやし浩司+++++++++++++++++Hiroshi Hayashi

うちの子は何を考えているかわからない!
仮面をかぶらせるな(失敗危険度★★★★)

●仮面をかぶる子ども
 心(情意)と表情が遊離し始めると、子どもは仮面をかぶるようになる。表面的にはよい子ぶったり、柔和な表情を浮かべて親や教師の言うことに従ったりする。しかし仮面は仮面。その仮面の下で、子どもは親や教師の印象とはまったく別のことを考えるようになる。これがこわい。

●心と表情の一致
 すなおな子どもというのは、心と表情が一致し、性格的なゆがみのない子どものことをいう。不愉快だったら不愉快そうな顔をする。うれしいときには、うれしそうな顔をする。そういう子どもをすなおな子どもという。が、たとえば家庭崩壊、育児拒否、愛情不足、親の暴力や虐待が日常化すると、子どもの心はいつも緊張状態に置かれ、そういう状態のところに不安が入り込むと、その不安を解消しようと、情緒が一挙に不安定になる。突発的に激怒する子どももいるが、反対にそうした不安定さを内へ内へとためこんでしまう子どももいる。そしてその結果、仮面をかぶるようになる。一見愛想はよいが、他人に心を許さない。あるいは他人に裏切られる前に、自分から相手を裏切ったりする。よくある例は、自分が好意をよせている相手に対して、わざと意地悪をしたり、いじめたりするなど。屈折した心の状態が、ひねくれ、いじけ、ひがみ、つっぱりなどの症状を引き起こすこともある。

●言いたいことを言わせる
 そこでテスト。あなたの子どもはあなたの前で、言いたいことを言い、したいことをしているだろうか。もしそうであれば問題はない。しかしどこか他人行儀で、よそよそしく、あなたから見て、「何を考えているかわからない」といったふうであれば、家庭のあり方をかなり反省したほうがよい。子どもに「バカ!」と言われ怒る親もいる。しかし平気な親もいる。「バカ!」と言うことを許せというのではないが、そういうことが言えないほどまでに、子どもをおさえ込んではいけない。

●子どもの心は風船
子どもの心は風船のようなもの。どこかで力を加えると、そのひずみは、別のどこかに必ず表れる。で、もしあなたがあなたの子どもに、そんな「ひずみ」を感ずるなら、子どもの心を開放させることを第一に考え、親のリズムを子どもに合わせる。「私は親だ」式の権威主義があれば、改める。そしてその時期は早ければ早いほどよい。満六歳でこうした症状が一度出たら、子どもをなおすのに六年かかると思うこと。満一〇歳で出たら、一〇年かかると思うこと。心というのはそういうもので、簡単にはなおらない。無理をすればするほど逆効果になるので、注意する。 





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最終更新日  2009年02月08日 19時10分03秒
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