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楽天・日記 by はやし浩司

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2009年02月08日
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カテゴリ:育児問題
昔は子殺しというのも、あったからねえ!
女性の三悪(失敗危険度★★★★)

●人間そのものを狂わす
嫉妬、虚栄心、母性本能を、女性の三悪という。ここで母性本能を悪と決めつけるのは正しくないかもしれないが、性欲や食欲と同じように考えてよい。この本脳があるからこそ、親は子を育てるが、使い方をまちがえると、人間そのものを狂わす。そういう意味で、三悪のひとつに加えた。

(1)まず嫉妬……こういう話は、プライバシーの問題がからむため、ふつうは正確には書かない。しかしそれにも限度がある。あまりにもふつうでない話のため、あえて事実を正確に書かねばならないときもある。こんな話だ。

●ライバルの子どもを足蹴り
 H市の郊外にU幼稚園という小さな幼稚園がある。あたりは高級団地で、そのレベルの家の子どもたちがその幼稚園に通っていた。そこでのこと。その母親は自分がPTAの会長であることをよいことに、いつもその幼稚園に出入りしていた。そして自分のライバルの子ども(年中女児)を見つけると、執拗ないじめを繰り返していた。手口はこうだ。まずその女の子の横をそれとなく通り過ぎながら、足でその女の子を蹴飛ばす。その勢いで倒れた女の子を、「どうしたの?」と言いながら抱くフリをしながら、またカベに投げつける……。年中児なら、かなり詳しくそのときの状況を話すことができる。

 その女の子は、その母親の姿を見ただけで、まっさおになっておびえるようになったという。当然だ。そこでその女の子の母親が「どうしたらいいか」と相談してきた。いや、その前に、その母親は相手の母親に、それとなく抗議したというが、相手の母親は、とぼけるだけで、話にならなかったという。しかも相手の母親の夫というのは、ある総合病院の外科部長。自分の夫は、同じ病院でもヒラの外科医。夫の上司の妻ということで、強く言うこともできなかったという。

●珍しい話ではない
 こういう話は、この世界では珍しくない。嫉妬がからむと、人間はとんでもないことをする。脳のCPU(中央演算装置)そのものが、狂うときがある。これも実話だが、ある母親は同じ団地に住む別の母親の子ども(四歳児)を、エレベータの中で見つけると、いつも足蹴りにしていじめていた。そのためその子どもは、エレベータを見るだけでおびえるようになったという。

問題は、なぜ、そこまで母親というのは狂うかということ。先にあげた母親は、幼稚園でもPTAの会長をしていた。多分会合の席なのでは、それらしい人物として振舞っていたのだろう。考えるだけでもぞっとするが、しかし人には、その人でない部分がある。この話を叔母にすると、叔母はこう言った。「昔は子殺しというのもあったからねえ」と。母親も嫉妬に狂うと、相手の子どもを殺すことまでする……?

 つぎに(2)虚栄心。「世間」という言葉を日常的に使う人ほど、虚栄心の強い人とみる。いつも他人の目の中で、自分を判断する。価値観というのが、いつも相対的なもので、他人より財産があれば、豊かと感じ、そうでなければ貧しいと考える。子どもにしても、このタイプの母親には、「飾り」でしかない。もともと自己中心性が強いため、親意識も強い。「私は親だ」と。そしてその返す刀で、子どもに向っては、「産んでやった」「育ててやった」と恩を着せる。

●他人の不幸を喜ぶ親
 このタイプの母親には、他人の不幸ほど、楽しい話はない。ここに書いたように価値観が相対的であるため、他人が不幸であればあるほど、自分がより幸福ということになる。Tさん(三五歳女性)がそうだった。幼稚園へはいつも、ものすごい着物でやってきた。そして若い先生に会ったりすると、その場できどった言い方で、こう言った。「アーラ、先生、お元気そうザーますね。まあ、すてきな香り、よいご趣味ザーますわね」と。私はてっきりすごい家柄の母親だとばかり思っていた。そしてこんなこともあった。

 幼稚園で遠足に行くことになったときのこと。母親たちの間で、昼の弁当はどうするかという話がもちあがった。二、三人の親が、サンドイッチはどうかしらと提案したそのとき、Tさんはあたりをおさえるようにして、こう言った。「ア~ら、(幼稚園生活で)最後の遠足ザーますから、皆さんで仕出し弁当か何かを頼んだら、いかがザーますかしら」と。

 で、どういうわけだかそのときは反対する人もなく、その仕出し弁当になってしまった。何でもTさんの知人がそのお弁当を作ってくれるという。値段は「割安」とは言ったものの、当時の平均的な弁当の二倍以上の値段だった。私はそのとき三〇歳少し前。年上の母親には何も言えなかった。

●豪華な着物
 そのTさんだが、子どもへの執念にも、ものすごいものがあった。たとえば誕生会は、市内のレストランで開いていた。しかも招待するのは、そのレベルの人たちばかり。私にも招待の声がかかったが、何を着ていこうかと迷ったほどである。そしてさらに秋の遊戯会でのこと。そのクラスで、浦島太郎をすることになった。が、Tさんは、「どうしてもうちの息子に、乙姫様をやらせたい」と申し出てきた。男の子が乙姫様というのもおかしいという声もあったが、結局Tさんに押し切られてしまった。が、驚いたのは最後のリハーサルの日のこと。Tさんがもちこんだ着物は、日本舞踊で使うような、これまた豪華な着物だった。これには担任の若い先生も驚いて、「そこまではしない」ということになったが、Tさんは悪びれる様子もなく、こう言った。「うちには昔からのこういった着物がありますザーますの。皆さんにもお貸ししましょうかしら、ホホホ」と。Tさんは、ただ着物をみせびらかしたかっただけだった。

●私はわが目を疑った!
 私は少なからずTさんに興味をもった。大会社の社長の夫人か。それとも大病院の院長の夫人かと思った。が、ある日のことだった。それは偶然だった。私が何かの用事で、ふらりとある大型スーパーの、そのまたある売り場へ行ったときのこと。そこで私はわが目を疑った。(こう書くからといって、そういう人がザーます言葉を使ってはだめだと言っているのではない。誤解がないように!)何とそのTさんが、頭にタオルを巻いて、その店で裏方の仕事をしていたのだ。髪の毛も、幼稚園へくるときとは、まったく違っていた。それに目がねまでかけていた。それを見て、私は声をかけることもできなかった。何か悪いものをみたように感じ、その場をそそくさと離れた。

 そして(3)母性本能……前にも書いたが、母性本能があるから悪いといっているのではない。この本脳というのは、扱い方が本当にむずかしい。母親自身もそうなのだろうが、まわりのものにとっても、である。この母性本能が狂い始めると、親と子が一体化する。これがこわい。

●子どもは芸術品
 母親にとっては、子どもは芸術品。それはわかる。だから子どもを批評したり、けなしたりすると、子ども以上に、母親はそれを不愉快に思う。それもわかる。が、それにも限度がある。こんなことがあった。

 M君(年中男児)は、かん黙症の子どもだった。かん黙症といっても、全かん黙と、場面かん黙がある。私はこのほか、条件かん黙というのも考えている。ある特定の条件下になると、かん黙してしまうのである。M君もそんなタイプの子どもだった。何かの拍子に、ふとかん黙の世界に入ってしまった。そのときもそうだった。順に何かの発表をさせていたのだが、M君の番になったとたん、M君はだまりこくってしまった。視線をこちらに合わせようともしない。やさしく促せば促すほど、逆効果で、柔和な笑みを一方で浮かべながら、ますますかたくなに口を結んでしまった。

●M君の問題点
 実はそのとき私はM君の母親に、それとなくM君の問題点を見てもらうつもりでいた。教育の世界では、ドクターが患者を診断して診断名をくだすような行為はタブー。こういうケースでも、「あなたの子どもはかん黙児です」などとは、言ってはならない。わかっていても、知らぬフリをする。フリをしながら、それとなく親に悟ってもらうという方法をとる。M君のケースでも、私はそう考えた。で、その少し前、M君の母親に会ったとき、そのことについて話すと、M君の母親はそのまま激怒してこう言った。「うちではふつうです。うちの子は、新しい環境になじまないだけです!」と。それで私はその日は母親に参観に来てもらうことにした。が、その日にかぎって、ほかに三、四人の母親も参観に来ていた。それがまずかった。

 じりじりとした時間が流れていくのが、私にはわかった。ふつうならそこで隣の子にバトンタッチして、その場を逃げるのだが、そういう問題点を母親にも見てほしかった。それでいつもより時間をかけた。私「あなたの番だよ、どうかな?」、M「……」、私「こちらを見てくれないかな?」、M「……」、私「もう一度言うから、よく聞いてね?」、M「……」と。

●激怒したM君の母親
こういうとき親のほうから、「どうしてでしょう?」という問いかけがあれば、そのときから指導ができる。問いかけがなければそれもできない。少し時間はかかるが、親自身が子どもの問題点に気づくのを待つしかない。私はM君の母親の心の中を思いやりながら、時間が過ぎるのを待った……。が、そのときだった。

M君の母親がものすごい勢いで子どもたちのほうの席へやってきた。そしていきなりM君の腕をつかむと、M君をそのままひきずるようにして、部屋の外へ出て行ってしまった。本当にあっという間のできごとだった。ただ最後に、M君の母親が、「M! 行くのよ!」と言ったのだけは、よく覚えている。

 が、それですんだわけではない。M君の母親からその夜、猛烈な抗議の電話がかかってきた。「あなたの指導方法はうちの子にあっていません」と。私は平謝りに謝るしかなかった。M君の母親は、こう言った。「うちの子をあんな子にしたのは、あなたの責任です。ちゃんと話せていたのに、話せなくなってしまった。どうしてくれるんですか! 明日園長に話して、責任をとってもらいます」と。いろいろあって、私にも微妙な時期だったので、私は「それだけは勘弁してください」としか、言いようがなかった。

●自分で行き着くところまで行くしかない
 しかし今でもときどきあのM君を思いだすときがある。そしてこう思う。親というのは、結局自分で行き着くところまで行って、はじめて、自分に気がつくしかない、と。またその途中で、それに気づく親はいない。いても、「まだ何とかなる」「そんなはずはない」と無理をする。「うちの子に限って、問題はない」と思う親もいる。子育てにはそういう面がいつもついて回る。それは子育ての宿命のようなものかもしれない。


はやし浩司+++++++++++++++++Hiroshi Hayashi





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最終更新日  2009年02月08日 19時36分26秒
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