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楽天・日記 by はやし浩司

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2009年04月10日
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カテゴリ:育児問題


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 「私らしく生きる……」「私は私」と言うためには、まず、その前提として、(こうでな
ければならない自分=自己概念)と(現実の自分=現実自己)、その両者を、うまくかみあ
わせなければならない。

 簡単な方法としては、まず、自分のしたいことをする、ということ。その中から、生き
がいを見つけ、その目標に向って、進んでいくということ。

 子どもも、またしかり。子どものしたいこと、つまり夢や希望によく耳を傾け、その夢
や希望にそって、子どもに目的をもたせていく。子どもを伸ばすということは、そういう
ことをいう。
(はやし浩司 子どもの不適応障害 子どもの不適応障害 現実自己 自己概念)

(注)役割混乱による、不適応障害も、少なくない。


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子どもの自尊感情を育てるためには、どうしたらよいか?
もうそろそろその輪郭が見えてきたことと思います。

しかしこれは何も、子どもだけの問題ではありませんね。
私たちおとなも、実は、自尊感情のあるなしで、
毎日、悩み、もがいているのです。

もう一度、自己概念について考えてみたいと思います。

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●自己概念

 「自分は、人にどう思われているか」「他人から見たら、自分は、どう見えるか」「どん
な人間に思われているか」。そういった自分自身の輪郭(りんかく)が、自己概念というこ
とになる。

 この自己概念は、正確であればあるほどよい。

 しかし人間というのは、身勝手なもの。自分では、自分のよい面しか、見ようとしない。
悪い面については、目を閉じる。あるいは人のせいにする。

 一方、他人というのは、その人の悪い面を見ながら、その人を判断する。そのため(自
分がそうであると思っている)姿と、(他人がそうであると思っている)姿とは、大きくズ
レる。

 こんなことがあった。

 ワイフの父親(私の義父)の法事でのこと。ワイフの兄弟たちが、私にこう言った。

 「浩司(私)さん、晃子(私のワイフ)だから、あんたの妻が務まったのよ」と。

 つまり私のワイフのような、辛抱(しんぼう)強い女性だったから、私のような短気な
夫の妻として、いることができた。ほかの女性だったら、とっくの昔に離婚していた、と。

 事実、その通りだから、反論のしようがない。

 で、そのあとのこと。私はすかさず、こう言った。「どんな女性でも、ぼくの妻になれば、
すばらしい女性になりますよ」と。

 ここで自己概念という言葉が、出てくる。

 私は、私のことを「すばらしい男性」と思っている。(当然だ!)だから「私のそばにい
れば、どんな女性でも、すばらしい女性になる」と。そういう思いで、そう言った。

 しかしワイフの兄弟たちは、そうではなかった。私のそばで苦労をしているワイフの姿
しか、知らない。だから「苦労をさせられたから、すばらしい女性になった」と。だから、
笑った。そしてその意識の違いがわかったから、私も笑った。

 みんないい人たちだ。だからみんな、大声で、笑った。

 ……という話からもわかるように、自己概念ほど、いいかげんなものはない。そこで、
私たちはいつも、その自己概念を、他人の目の中で、修正しなければならない。「他人の目
を気にせよ」というのではない。「他人から見たら、自分はどう見えるか」、それをいつも
正確にとらえていく必要があるということ。

 その自己概念が、狂えば狂うほど、その人は、他人の世界から、遊離してしまう。

 その遊離する原因としては、つぎのようなものがある。

(1)自己過大評価……だれかに親切にしてやったとすると、それを過大に評価する。
(2)責任転嫁……失敗したりすると、自分の責任というよりは、他人のせいにする。
(3)自己盲目化……自分の欠点には、目を閉じる。自分のよい面だけを見ようとする。
(4)自己孤立化……居心地のよい世界だけで住もうとする。そのため孤立化しやすい。
(5)脳の老化……他者に対する関心度や繊細度が弱くなってくる。ボケも含まれる。

 しかしこの自己概念を正確にもつ方法がある。それは他人の心の中に一度、自分を置き、
その他人の目を通して、自分の姿を見るという方法である。

 たとえばある人と対峙してすわったようなとき、その人の心の中に一度、自分を置いて
みる。そして「今、どんなふうに見えるだろうか」と、頭の中で想像してみる。意外と簡
単なので、少し訓練すれば、だれにでもできるようになる。

 もちろん家庭という場でも、この自己概念は、たいへん重要である。

 あなたは夫(妻)から見て、どんな妻(夫)だろうか。さらに、あなたは、子どもから
見て、どんな母親(父親)だろうか。それを正確に知るのは、夫婦断絶、親子断絶を防ぐ
ためにも、重要なことである。

 ひょっとしたら、あなたは「よき妻(夫)であり、よき母親(父親)である」と、思い
こんでいるだけかもしれない。どうか、ご注意!
(はやし浩司 自己概念)


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そこで登場するのが、『マズローの欲求段階説』です。
「私は私らしく生きたい」。
そのためには、どうすればよいのか。

ポイントは、「現実的に生きる」ということです。
この(現実性)を喪失すると、おとなも、子どもも、
非現実的な世界で生きるようになります。

昨今のスピリチュアル・ブームも、その流れの中に
あると考えてよいでしょう。

(自我の同一性の確立ができない)→(現実から逃避する)
→(非現実的な世界に生きようとする)、と。

生き方のひとつのヒントになると思いますので、
紹介します。

++++++++++++++++++++++

【私らしく生きるための、10の鉄則】(マズローの「欲求段階説」を参考にして)

●第1の鉄則……現実的に生きよう

●第2の鉄則……あるがままに、世界を受けいれよう

●第3の鉄則……自然で、自由に生きよう

●第4の鉄則……他者との共鳴性を大切にしよう

●第5の鉄則……いつも新しいものを目ざそう

●第6の鉄則……人類全体のことを、いつも考えよう

●第7の鉄則……いつも人生を深く考えよう

●第8の鉄則……少人数の人と、より深く交際しよう

●第9の鉄則……いつも自分を客観的に見よう

●第10の鉄則……いつも朗らかに、明るく生きよう

Hiroshi Hayashi+++++++++++はやし浩司

●マズローの欲求段階説

 昨日、「マズローの欲求段階説」について書いた。その中で、マズローは、現実的に生き
ることの重要性をあげている。

 しかし現実的に生きるというのは、どういうことか。これが結構、むずかしい。そこで
そういうときは、反対に、「現実的でない生き方」を考える。それを考えていくと、現実的
に生きるという意味がわかってくる。

 現実的でない生き方……その代表的なものに、カルト信仰がある。占い、まじないに始
まって、心霊、前世、来世論などがもある。が、そういったものを、頭から否定すること
はできない。

ときに人間は、自分だけの力で、自分を支えることができなくことがある。その人個人
というよりは、人間の力には、限界がある。

 その(限界)をカバーするのが、宗教であり、信仰ということになる。

 だから現実的に生きるということは、それ自体、たいへんむずかしい、ということにな
る。いつもその(限界)と戦わねばならない。

 たとえば身近の愛する人が、死んだとする。しかしそのとき、その人の(死)を、簡単
に乗り越えることができる人というのは、いったい、どれだけいるだろうか。ほとんどの
人は、悲しみ、苦しむ。

いくら心の中で、疑問に思っていても、「来世なんか、ない」とがんばるより、「あの世
で、また会える」と思うことのほうが、ずっと、気が楽になる。休まる。

 現実的に生きる……一見、何でもないことのように見えるが、その中身は、実は、奥が、
底なしに深い。

●あるがままに、生きる

 ここに1組の、同性愛者がいたとする。私には、理解しがたい世界だが、現実に、そこ
にいる以上、それを認めるしかない。それがまちがっているとか、おかしいとか言う必要
はない。言ってはならない。

 と、同時に、自分自身についても、同じことが言える。

 私は私。もしだれかが、そういう私を見て、「おかしい」と言ったとする。そのとき私が、
それをいちいち気にしていたら、私は、その時点で分離してしまう。心理学でいう、(自己
概念=自分はこうであるべきと思い描く自分)と、(現実自己=現実の自分)が、分離して
しまう。

 そうなると、私は、不適応障害を起こし、気がヘンになってしまうだろう。

 だから、他人の言うことなど、気にしない。つまりあるがままに生きるということは、(自
己概念)と、(現実自己)を、一致させることを意味する。が、それは、結局は、自分の心
を守るためでもある。

 私は同性愛者ではないが、仮に同性愛者であったら、「私は同性愛者だ」と外に向って、
叫べばよい。叫ぶことまではしなくても、自分を否定したりしてはいけない。社会的通念
(?)に反するからといって、それを「悪」と決めつけてはいけない。

 私も、あるときから、世間に対して、居なおって生きるようになった。私のことを、悪
く思っている人もいる。悪口を言っている人となると、さらに多い。しかし、だからとい
って、それがどうなのか? 私にどういう関係があるのか。

 あるがままに生きるということは、いつも(自己概念)と、(現実自己)を、一致させて
生きることを意味する。飾らない、ウソをつかない、偽らない……。そういう生き方をい
う。





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最終更新日  2009年04月10日 07時46分40秒
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