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楽天・日記 by はやし浩司

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2009年06月01日
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カテゴリ:生きザマの問題




●家族主義



 日本人は、古来より上下意識の強い国民である。男が上で女が下。夫が上で、妻が下。先
生が上で生徒が下、と。



たった一年でも先輩は先輩、後輩は後輩という関係をつくる。そしてそれが組織の秩序とな
る。で、この秩序を支えるのが、権威。もともと上下関係には、理由などない。根拠もない。「偉
いものは偉い」という権威が、その関係を支える。日本人はこの権威に弱い。あるいはその権
威にあこがれを抱く。そのよい例が、「水戸黄門」。



水戸黄門の取り巻きが、葵の紋章を見せて、「控えおろう。これが目に入らぬか!」と一喝する
と、周囲の者が、「ははあ」と言って頭をさげる。日本人はそういう世界を「痛快だ」と思う。しか
し水戸黄門は絶対的な善玉だからよいようなものの、もし悪玉だったら、どうする。日本人のこ
とだから、それでも頭をさげるに違いない。実際、秀吉や家康といった圧政暴君たちが、この
日本では必要以上に美化され、英雄になっている!



 この権威主義は、教育にも暗い影を落としている。「大学の教授」というだけで、一も二もな
く、日本人は皆、頭をさげる。しかし実際には、大学の教員の世界は、完全に年功序列の世
界。「そこに人がいるから人事」が、長年慣行化している。



幼児教育の世界に限ってみても、実際幼児教育などしたこともないような教授が、その道の権
威者になっている。日本でも有名なA教授は、たった数か月間、幼児の心理を調査しただけ。
またN教授は、ラジオのトーク番組の中で、ふとこう口をすべらせている。「私は三人の孫で、
幼児教育を学びました」と。たった三人である! 



ある幼稚園で講演をしたときのこと。「S大学附属幼稚園」という名前がついていたので、「教授
たちは来ますか」と聞くと、そこの副園長がこっそりこう教えてくれた。「たまにね。来てもお客様
ですから」と。そういう教授でも、「教授」というだけで、皆、頭をさげる。



 家族主義というと、小市民的な生き方を連想する人は多い。99年の春、文部省がした調査
でも、「一番大切にすべきもの」として、約40%の人が、「家族」をあげている。が、これに対し
て、さっそくその夜、あるテレビの解説者が、「日本人は小市民的になった」と評した。



とんでもない。とんでもない誤解である。



家族主義は、新しい国家観、新しい愛国心にもつながる。昔の日本人は、国、つまり天皇制と
いう体制を守るために戦場に出かけたが、これからはもうそういう時代ではない。家族の集合
体としての「国」を考える。そしてもし戦争することがあるとするなら、私たちは「家族を守るため
に」戦う。愛国心も、そこから生まれる。



 日本は欧米化したとよく言われるが、それは表面的な部分だけ。日本は日本。しかも旧態依
然のまま。今でも日本は、世界から見ると、「わけのわからない国」ということになっている。欧
米化が必ずしもよいというわけではないが、世界の人に安心してつきあえってもらえる国民に
なるためには、欧米化は避けて通れない。



これからは「家族を大切にします」「一番大切なものは家族です」と、日本人も胸を張って言う時
代になった。家族主義は、決して恥ずかしいことではない。 





Hiroshi Hayashi++++++++++Aug 06+++++++++++はやし浩司



●敏感な子ども



++++++++++++++



敏感な子ども。昔は、

「神経質な子ども」といった。



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 A子さん(年長児)は、見るからに繊細な感じのする子どもだった。人前に出るとオドオドし、
その上、恥ずかしがり屋だった。母親はそういうA子さんをはがゆく思っていた。そして私に、
「何とかもっとハキハキする子どもにならないものか」と相談してきた。



 心理反応が過剰な子どもを、敏感児という。そしてその程度がさらに超えた子どもを、過敏児
という。敏感児と過敏児を合わせると、全体の約30%が、そうであるとみる。



一般的には、精神的過敏児と身体的過敏児に分けて考える。心に反応が現れる子どもを、精
神的過敏児。アレルギーや腹痛、頭痛、下痢、便秘など、身体に反応が現れる子どもを、身体
的過敏児という。A子さんは、まさにその精神的過敏児だった。



 このタイプの子どもは、



(1)感受性と反応性が強く、デリケートな印象を与える。おとなの指示に対して、ピリピリと反応
するため、痛々しく感じたりする。

(2)耐久性にもろく、ちょっとしたことで泣き出したり、キズついたりしやすい。

(3)過敏であるがために、環境になじまず、不適応を起こしやすい。集団生活になじめないの
も、その一つ。そのため体質的疾患(自家中毒、ぜん息、じんましん)や、神経症を併発しやす
い。

(4)症状は、一過性、反復性など、定型がない。そのときは何でもなく、あとになってから症状
が出ることもある(参考、高木俊一郎)。A子さんの場合も、原因不明の発熱に悩まされてい
た。





 結論から先に言えば、敏感児であるにせよ、鈍感児であるにせよ、それは子どもがもって生
まれた性質であり、なおそうと思ってなおるものではないということ。無理をすればかえって逆
効果。症状が重くなってしまう。



が、悪いことばかりではない。敏感児について言えば、その繊細な感覚のため、芸術やある特
殊な分野で、並はずれた才能を見せることがある。ほかの子どもなら見落としてしまうようなこ
とでも、しっかりと見ることができる。



ただ精神的な疲労に弱く、日中、ほんの10数分でも緊張させると、それだけで神経疲れを起
こしてしまう。一般的には集団行動や社会行動が苦手なので、そういう前提で理解してあげ
る。……というようなことは、教育心理学の辞典にも書いてある。が、こんなタイプの子どももい
る。



見た目には鈍感児(いわゆる「フーテンの寅さん」タイプ)だが、たいへん繊細な感覚をもった
子どもである。つい油断して冗談を言い合っていたりすると、思わぬところでその子どもの心に
キズをつけてしまう。



ワイワイとふざけているから、「パンツにウンチがついているなら、ふざけていていい」と言った
りすると、家へ帰ってから、親に、「先生にバカにされた」と泣いてみせたりする。このタイプの
子どもは、繊細な感覚をもちつつも、それを茶化すことにより、その場をごまかそうとする。心
の防御作用と言えるもので、表面的にはヘラヘラしていても、心はいつも緊張状態にある。先
生の一言が思わぬ方向へと進み、大事件となるのは、たいていこのタイプだ。



その子ども(小3男児)のときも、夜になってから、親から猛烈な抗議の電話がかかってきた。
「パンツのウンチのことで、息子に恥をかかせるとは、どういうことだ!」と。敏感かどうかという
ことは、必ずしも外見からだけではわからない。

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Hiroshi Hayashi++++++++++Aug 06+++++++++++はやし浩司



●子育ての宿命



 緘黙児の子ども(年長女児)がいた。症状は一進一退。少しよくなると親は無理をする。その
無理がまた、症状を悪化させる。私はその子どもを一年間に渡って、指導した。指導といって
も、母親と一緒に、教室の中に座ってもらっていただけだが、それでも、結構、神経をつかう。
疲れる。このタイプの子どもは、神経が繊細で、乱暴な指導がなじまない。



が、その年の年末になり、就学前の健康診断が始まった。が、その母親が考えたことは、「い
かにして、その健康診断をくぐり抜けるか」ということ。そしてそのあと、私にこう相談してきた。



「心理療法士にかかっていると言えば、学校でも、ふつう学級に入れてもらえます。ですから心
理療法士にかかることにしました。ついては、先生(私)のところにもいると、パニックになってし
まいますので、今日限りでやめます」と。「何がパニックになるのですか」と私が聞くと、「指導者
が二人では、私の頭が混乱します」と。



 緘黙児に限らず、子どもの情緒障害は、より症状が重くなってはじめて、前の症状が軽かっ
たことに気づく。あとはその繰り返し。私が「3か月は何も言ってはいけません。何も手伝っては
いけません。子どもと視線を合わせてもいけません」と言った。が、親には一ヶ月でも長い。一
週間でも長い。そういう気持ちはわかるが、私の目を盗んでは、子どもにちょっかいを出す。



一度親子の間にパイプ(依存心)ができてしまうと、それを切るのは、たいへん難しい。情緒障
害は、半年、あるいは1年単位でみる。「半年前とくらべて、どうだったか」「1年前は、どうだっ
たか」と。1か月や2か月で、症状が改善するということは、ありえない。が、親にはそれもわか
らない。



最初の段階で、無理をする。時に強く叱ったり、怒ったりする。あるいは太いパイプを作ってし
まう。きわめて初期の段階で、つまり症状が軽い段階で、それに気づき、適切な処置をすれ
ば、「障害」と言われることもないまま終わる。



が、私はその母親の話を聞いたとき、別のことを考えていた。はじめて母親がその子どもを連
れてきたとき、私はその瞬間に緘黙児とわかった。母親も、それを気づいていたはずだ。しか
し母親は、それを懸命に隠しながら、「音楽教室ではふつうです」「幼稚園ではふつうです」と言
っていた。



それが今度は、「心理療法士にかかっていると言えば、学校でも、ふつう学級に入れてもらえ
ます」と。母親自身が、子どもを受け入れていない。そういう状態になってもまだ、メンツにこだ
わっている。もうこうなると、私に指導できることは何もない。私が「わかりました。ご自分で判
断なさってください」と言うと、突然取り乱して、「そんな冷たいこと言わないでください!」と。



 子どもの情緒障害の原因のほとんどは、親にある。親を責めているのではない。たいていの
親は、その知識がないまま、それを「よかれ」と思って無理をする。この無理が、症状を悪化さ
せる。それはまさに泥沼の悪循環。そして気がついたときには、にっちもさっちもいかない状態
になっている。



つまり親自身が、自分で失敗して、その失敗に気づくしかない。確かに冷たい言い方だが、子
育てというのはそういうもの。子育てには、そういう宿命が、いつもついて回る。





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最終更新日  2009年06月01日 13時01分53秒
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