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●セタスロイヤル 実名を出してしまったので、評価することはできない。 しかし熱川温泉では、海に面した、見晴らしのよさでは、最高のホテル。 各部屋から、太平洋が、視界が届く限り、端から端まで、一望できる。 加えて6階にある露天風呂がすばらしい。 広くて、美しい。 ただ露天風呂までの通路が長いのが、やや気になる。 寒い冬などは、それだけで体が冷えてしまうだろう。 が、長い通路を通りぬけて行くだけの価値はじゅうぶん、ある。 私たちはそのホテルの最上階、つまり9階に部屋にあてがわれた。 で、このところ私たちは、ほかにホテルがあっても、その土地へ行ったら、 できるだけ同じホテルに泊まるようにしている。 新しいところで冒険するより、勝手がよくわかったホテルのほうが、落ち着く。 2度目より3度目。 3度目より4度目のほうが、落ち着く。 次回、何かの機会で熱川温泉へ来るようなことがあれば、まちがいなくセタスロイヤルに 泊まるだろう。 ●旅のよさ 人生を旅に例える人は、多い。 たしかに旅だ。 もう少し詳しく表現すれば、人生は、(時の旅)。 旅は、(位置の旅)。 時間と空間のちがいということになるが、今では、時間と空間は、物理学の世界では、 「同じ」と考える。 たとえば時間が止まれば、物体の移動も止まる。 時間が動き出せば、物体もまた動き出す。 見た目には静止していても、分子レベルでは、猛烈な勢いで動き出す。 私たちは位置を移動することによって、そこに時間の動きを感ずることができる。 わかりやすく言えば、(変化)を感ずることができる。 (時間の変化)を感ずることができる。 その時間の変化を感ずるために、旅をする。 ●時間の変化 わかりにくいことを書いた。 理屈っぽくすぎて、「?」と思った人も多いことだろう。 つまり旅をすることによって、それまで止まっていた時計が、 再び動き出す。 時間の変化を感ずることができる。 もし旅をしなかったら、今日は昨日のまま過ぎ、明日は今日のまま過ぎる。 「マンネリ」という言葉も、そういうときの状態を表現するためにある。 わかりやすく言えば、そういうこと。 が、旅は、その時の流れに、ひとつの区切りを入れてくれる。 今日と昨日の間に、区切りを入れてくれる。 今日と明日の間に、区切りを入れてくれる。 今度の旅は、確実に、その区切りを入れてくれた。 ●朝、5時に起床 朝、5時に目が覚めた。 昨夜は、午後9時半ごろ、それまでの疲れがどっと出たのか、そのまま眠ってしまった。 それで5時。 静かにカーテンをあけると、そこに再び、太平洋が現れた。 窓を開けると、潮騒の音が、部屋中に響いた。 空はほんのりと、ピンク色。 紫色の雲が、左から右へと、ゆっくりと流れているのがわかる。 その下を細いひだになった波が、手前へと流れている。 壮大な景色である。 水平線だけの、壮大な景色である。 私はDVDを回し、つづいてカメラのシャッターを切る。 午前5時26分。 日の出。 真っ赤な、小さな光点が、水平線から顔を出す。 ●リバウンド? 伊東もよい。 稲取もよい。 しかしここ熱川もよい。 伊豆半島の東岸には、すばらしい温泉地が並ぶ。 近く、下田の市民文化会館で、講演をすることになっている。 そのときは、下田市に一泊するつもり。 楽しみ。 そうそう昨夜は料理で、一夜にして、3日分を食べた。 量的には、それくらいあった。 あとで体重計に乗るのがこわい。 おそらく63キロ台に戻っているはず。 私は食べたら、食べた分だけ太る。 今日は、がまんして、絶食。 (浴場にあった体重計に乗ってみたら、意外や意外! 体重は、60キロを切っていた! 「?」と思いながら、数回、量りなおしてみる。 私は講演期間中は、食事の量を極端に減らしている。 講演中に眠くなってしまう。 今日も、口にしたのは、稲荷寿司、数個だけだった。 リバウンドしていなかったことを、喜んだ。) ●心の整理 ワイフが楽しそうなのが、うれしい。 家の中で見るワイフと、旅先で見るワイフは、別人のよう。 昔から、「電車に乗っているだけで、楽しい」と、口癖のように言う。 一方、私は実家の問題が、解決した。 実家から解放された。 ついでに姉夫婦とも、xxした。 いろいろあった。 ありすぎて、ここには書けない。 それに書けば、いろいろと問題になる。 姉の娘が、ときどき私のHPをのぞいている。 のぞいては、内容を、あちこちに知らせている。 ただできるなら、もう私たちのことは、放っておいてほしい。 気になるのはわかるが、あなたがたはあなたがたの人生を生きればよい。 私の家の心配をするよりも、あなたがたの家の心配をしたほうがよいのでは・・・? このままでは・・・? この先のことは、あなたがたが、いちばん、よく知っているはず。 私が何も知らないと思っているのは、あなたたちだけ。 (わかりましたか、SRさん、それにMSさん!) ともかくも、今は病気に例えるなら、病後の養生期。 ゆっくりと静養して、つぎの人生に備える。 ●新しい人生 こうして私の新しい人生は、始まった。 太平洋に昇る朝日を見ながら、それを感じた。 老後なんて、私には関係ない。 これからが私の人生。 今まで苦しんだ分だけ、自由に、この大空をはばたいてみたい。 今日が、その第一歩。 2009年9月6日、日曜日。 Hiroshi Hayashi++++++++Sep.09+++++++++はやし浩司 ●運命(Destiny) ++++++++++++++++++++ 無数の(糸)がからんで、ときにその人の 進む道を決めてしまう。 社会の糸、家族の糸、生い立ちの糸などなど。 それを「運命」という。 が、「運命」は、自分で作っていくもの。 一見矛盾した考えに思う人もいるかもしれない。 自分の力では、どうにもならない力を運命という。 「しかしその運命は、自分で作るものとは、どういうことか」と。 しかしそのときは、こう考えたらよい。 その「糸」は、ふつうは見えない。 見えないが、自分のことがわかればわかるほど、 それが見えてくる。 それが見えるか見えないかは、その人自身の(視野の広さ)による。 視野さえ広めれば、そこにある(糸)が見えてくる。 糸さえ見えれば、自分で自分の運命をコントロールすることができる。 自分の運命を、自分で作ることもできる。 作り変えることもできる。 ++++++++++++++++++++ ●たとえば たとえばこんな例で考えてみよう。 もちろんここに登場する母親は、架空の女性である。 いろいろなケースを、ひとつにまとめた。 ●子どもの非行 最初に断っておく。 子どもが非行に走ったからといって、子育てに失敗したということではない。 今どき、非行など、珍しくも何ともない。 もう少しマクロな見方をすれば、まじめで(?)、何ごともなく青春期を過ごした 子どもほど、あとあと何かと問題を起こすことがわかっている。 あれこれと非行を経験した子どものほうが、のちのち常識豊かな子どもになる。 教育の世界では常識。 「教育がしにくい」というだけで、ほかに問題があるわけではない。 (だからといって、非行を奨励するわけでもないが……。) ●母親の視野 が、視野の狭い母親ほど、自分の子どもが何かの事件を起こしたりすると、 あわてふためく。 ギャーギャーと泣き叫んで、大騒ぎをする。 そして本来なら、軽く乗り越えられるような問題まで、より深刻にしてしまう。 こんな例で考えてみよう。 ●3人も強制退学 その母親には、3人の子どもがいた。 上から、(男)(女)(男)である。 が、3人とも、高校生のとき、強制退学。 それぞれが傷害事件を起こした。 こういうケースのばあい、まず疑ってみるべきは、母親の育児姿勢。 1例とか2例なら、同じようなことがつづくことはある。 しかし3例ともなったら、原因は、環境にあるとみる。 なかんずく母親の育児姿勢にあるとみる。 が、残念なことに、その母親には、それを理解するだけの知的能力がなかった。 いや、自分では、「賢い、頭のいい女性」と思い込んでいた。 繰り返すが、子どもが強制退学になったからといって、「失敗」という ことではない。 子どもたちに問題があったということでもない。 ●夫の責任 子育てで何がこわいかといって、親の独善と独断ほど、こわいものはない。 その母親のばあいも、住んでいる世界そのものが、小さかった。 それに自分と同じレベルの人だけの世界で住んでいた。 が、それでいて、先にも書いたように、「私は賢い、頭のいい女性」と思い込んでいた。 で、こういうケースのばあい、そばにいる夫が妻を指導しなければならない。 しかしその夫も、趣味は、パチンコ。 これではたがいに、向上しあうことなど、夢のまた夢。 その女性は、いつもこう言っていた。 「子どもに教育をつけると、遠くへ行ってしまう。だから、損」と。 ●レベルの高い人 母親は、つねに視野を広くする。 「視野を広くする」というのは、内面世界を豊かにすることをいう。 外面的な虚勢を張りあうことではない。 そのためには、つねに自分よりレベルの高い人と交際する。 これは恩師のTK先生が教えてくれたことである。 そしてできれば、……というより、同時に、自分の周囲からレベルの 低い人を遠ざけることも忘れてはいけない。 私もある時期、たいへん小ずるい男性と交際したことがある。 気がついてみると、私自身も、たいへん小ずるいものの考え方をしていることを知った。 人間というのは、こうしてたがいに感化しあう。 ●長女、二男 長男が傷害事件を起こしたとき、その母親は、ガミガミというより、ギャンギャンと 子どもを叱った。 来る日も来る日も、子どもを叱った。 「私は苦労してあんたを育てた」「塾の送り迎えで苦労した」「親の恩を忘れたのか」 「世間に顔向けができない」と。 長女はと二男は、同時期に暴走族に加わった。 暴走族同士の抗争事件を引き起こし、警察に逮捕。 そのまま高校は強制退学。 再びその母親は、ガミガミというより、ギャンギャンと子どもを叱った。 来る日も来る日も、子どもを叱った。 ●子どもは家族の代表 こういう話を見聞きすると、私はすぐこう思う。 「責められるべきは母親のほうであって、子どもたちではない」と。 子どもは家族の(代表)にすぎない。 それがわかるか、わからないかは、親の視野の広さによる。 が、たいへん悲しいことに、その母親には、その視野の広さがなかった。 ウソと虚栄のかたまり。 ひとつのウソをごまかすために、つぎのウソをついた。 あとは、その繰り返し。 子どもたちが強制退学になったことについても、「学校が正しい判断をしなかった」 「相手の子どもが悪い」「うちの子は、たまたま事件に巻き込まれただけ」と主張した。 その結果、子どもたち自身も、ますます自分を見失っていった。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2009年10月07日 12時02分31秒
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