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楽天・日記 by はやし浩司

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2011年05月15日
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件名:■■子育て最前線の育児論byはやし浩司■■子どもの思考力

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【1】子育てポイント∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞upto797

●家庭教育の過渡期

 家庭における教育力が低下したとは、よく言われる。しかし実際には低下などしていない。三〇年前とくらべても、親子のふれあいの密度は、むしろ濃くなっている。

教育力が低下したのは、教育力そのものが低下したと考えるのではなく、価値観の変動により、家庭教育そのものが混乱しているためと考えるほうが正しい。

 昔は、親の権力は絶対で、子どもは問答無用式にそれに従った。つまり昔は、そういうのを「教育力」(?)と言った。しかし権威の崩壊とともに、親の権力も失墜した。と、同時に、家庭の中の教育力は低下し、その分、混乱した。

しかし混乱した本当の原因は、実のところ親の権威の失墜でもない。混乱した本当の原因は、それにかわる新しい家庭教育観を組み立てられなかった日本人自身にある。家庭における教育力の低下は、あくまでもその症状のひとつにすぎない。

そこで教育力そのものの低下にどう対処するかだが、それには二つの考え方がある。ひとつは、だからこそ、旧来の家庭観を取り戻そうという考え方。「親の威厳は必要だ」「父親は権威だ」「父親にとって大切なのは、家庭における存在感だ」と説くのが、それ。

もうひとつは、「新しい家庭観、新しい教育観をつくろう」という考え方。どちらが正しいとか正しくないとかいう前に、こうした混乱は、価値観の転換期によく見られる現象である。たとえば一九七〇年前後のアメリカ。

 戦後、アメリカは、戦勝国という立場で未曾有の経済発展を遂げた。まさにアメリカンドリームの時代だった。が、そのアメリカは、あのベトナム戦争で、手痛いつまずきを経験する。そのころアメリカにはヒッピーを中心とする、反戦運動が台頭し、これがアメリカ社会を混乱させた。旧世代と新世代の対立もそこから生まれた。

その状態は、今の日本にたいへんよく似ている。たとえば私たちが学生時代のころは、安保闘争に代表されるような「反権力」が、いつも大きなテーマであった。それが、尾崎豊や長渕剛らの時代になると、いつしか若者たちのエネルギーは、「反世代」へとすりかえられていった。この日本でも世代間の闘争がはげしくなった。

わかりやすく言えば、若者たちは古い世代の価値観を一方的に否定したものの、新しい価値観をつくりだすことができなかった。まただれもそれを提示することができなかった。ここに「混乱」の最大の原因がある。

 今は、たしかに混乱しているが、新しい家庭教育を確立する前の、その過渡期にあるとみてよい。あのアメリカでは、こうした混乱は一巡し、いろいろな統計をみても、アメリカの親子は、日本よりはるかによい関係を築いている。

ただひとつ注意したい点は、さきにも書いたように、こうした混乱を利用して、復古主義的な家庭教育観も一方で力をもち始めているということ。中には封建時代の武士道や、さらには戦前の教育勅語までもちだす人がいる。

しかし私たちがめざすべきは、混乱の先にある、新しい価値観の創設であって、決して復古主義的な価値観ではない。前に進んでこそ、道は開ける。

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++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

●数は生活力

 計算力は訓練で伸びる。訓練すればするほど、速くなる。同じように、「教科書的な算数」は、学習によってできるようになる。しかしこれらが本当に「力」なのかということになると、疑わしい。疑わしいことは、きわめてすぐれた子どもに出会うと、わかる。

 O君(小三)という子どもがいた。もちろん彼は方程式などというものは知らない。知らないが、中学で学ぶ一次方程式や連立方程式を使って解くような問題を、自分流のやり方で解いてしまった。

たとえば「仕入れ値の30%ましの定価をつけたが、売れなかったので、定価の2割引で売った。が、それでも80円の利益があった。仕入れ値はいくらか」という問題など。それこそあっという間に解いてしまった。こういう子どもを「力」のある子どもという。

 が、一方、そうでない子どもも多い。同じ小学三年生についていうなら、「10個ずつミカンの入った箱が、3箱ある。これらのミカンを、6人で分けると、1人分は何個ですか」という問題でも、解けない子どもは、解けない。かなり説明すれば解けるようにはなるが、少し内容を変えると、もう解けなくなってしまう。

「力」がないというよりは、問題を切り刻んでいく思考力そのものが弱い。「そんな問題、どうでもいい」というような様子を見せて、考えることそのものから逃げてしまう。そんなわけで私は、いつしか、「数は生活力」と思うようになった。

「減った、ふえた」「取った、取られた」「得をした、損をした」という、ごく日常的な体験があって、子どもははじめて「数の力」を伸ばすことができる、と。こうした体験がないまま、別のところでいくら計算力をみがいても、また教科書を学んでも、ムダとは言わないが、子どもの「力」にはほとんどならない。

 ……と書いたが、こんなことはいわば常識だが、こうした常識をねじ曲げた上で、現在の教育が成り立っているところに、日本の悲劇がある。教育が教育だけでひとり歩きしすぎている。子どもたちが望みもしないうちから、「ほら、一次方程式だ、二次法手式だ」とやりだすから、話がおかしくなる。もっといえば、基本的な生活力そのものがないまま、子どもに勉強を押しつける……。

ちなみに東京理科大学理学部の澤田利夫教授が、こんな興味ある調査結果を公表している。小学六年生についてみると、「算数が嫌い」と答えた子どもが、二〇〇〇年度に三〇%を超えた(一九七七年は一三%前後)。反対に「算数が好き」と答えた子どもは、年々低下し、二〇〇〇年度には三五%弱しかいないそうだ。原因はいろいろあるのだろうが、「日本の教育がこのままでいい」とは、だれも考えていない。

むずかしい話はさておき、子どもの「算数の力」を考えたら、どこかで子どもの生活力を考えたらよい。それがやがて子どもを伸ばす、原動力になる。

++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

【今週のBWより】

貯金箱

 毎年、私の教室では、クリスマスプレゼントとして、貯金箱を、子どもたちに与えている。しかし与えるとき、コツがある。その貯金箱に、一〇〇~二〇〇円の、小銭を入れてやる。つまりは、それが誘い水となって、子どもは、貯金をし始める。

 カラの貯金箱だと、そのままにしてしまう子どもがいる。しかしたとえ一〇〇円でも、その中に入っていると、捨てるわけにはいかない。さりとて、貯金箱をこわして、取り出すこともできない。かくして、子どもは、その貯金箱を使って、貯金をし始めるというわけである。

 私も子どものころ、よく貯金をした。小学生のときだが、最高で、一万二〇〇〇円くらいまでした記憶がある。当時の一万円と言えば、大卒の初任給程度である。今のお金になおすと、二〇~二五万円くらいか。

 しかしあのお金は、どうなってしまったのか。自分で使った覚えはないので、多分、親に取られてしまったのではないかと思う。私の親は、私が子どものときから、そういう親だった。ホント!

 いや、当時は、そういう時代だった。親の力は絶対で、「子どものものは、親のもの」という考え方が、常識的だった。あるいは、子どもは、家、もしくは、親の付録のようなものだった。児童憲章とか何とか、そういう子どもの権利が、広く認められるようになったのは、私が成人してからのことではなかったか。

 私は、浜松に住むようになってからも、収入の約半分は、毎月、実家に送金していた。今の時代の若い人たちには、考えられないことかもしれないが、当時は、そういうことをする人は珍しくなかった。親は親で、そういうことを当たり前のこととしていたように思う。

これはずっとあとになってわかったことだが、親は、私がそうして仕送りしている話を、親戚はもちろん、私の姉にすら、話していなかった。親には親の、プライドがあったのかもしれない。 

 それはさておき、私は、そんなわけで、子どものころから、お金をためるのが好きだった。毎月、数字がふえていくのが楽しかった。そういう点では、倹約家だったかもしれない。

 だから今でも、子どもたちに貯金箱を渡すと、あのころの思いが、ふと心の中に、もどってくる。「お年玉をもらっても、この中に入れておくんだよ」と声をかけた。子どもたちも、うれしそうに、それにうなずいた。
(031223)


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最終更新日  2011年05月15日 12時12分26秒



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